トルコ・シリア地震─被災地に残る

慈済災害視察チームは2月にトルコ南部の被災地である幾つかの県を訪れた。3月末までに4万3千世帯に物資の配付を終える予定である。(撮影・楊景卉)

トルコ・シリア地震の被災範囲は、台湾の三倍ほどの広さに及ぶ。慈済ボランティアが重被災地に入って目にしたのは、倒壊した建物か、未だ廃墟の中で取り壊し中のもので、大規模な配付活動ができる場所は一カ所もないと言えた。将来が見通せない住民がいかに不安であるかを、身にしみて感じた慈済チームは、被災地に残り、一刻も早く支援することにした。ここで一緒にこの困難を乗り越えるのだ。

美しい古都アンタキヤ市は、地震で殆どの建物が全壊し、廃墟のようになった。(写真の提供・TPG達志イメージズ)

慈済の配付物資を受け取ったヌルダギ地区の女性が、家のあった場所へボランティアを伴った。住居と裁縫店は瓦礫と化していて、彼女は涙を流しながら、「ここに来るととても悲しくなります」と言った。(撮影・楊景卉)

震源地の1つであるカフラマンマラシュ県。無事だった人々は墓地で亡くなった肉親を追悼していた。2度の本震と強い余震でトルコとシリア両国合わせて5万人余りが犠牲になった。(写真の提供・TPG達志イメージズ)

三回引っ越した後の希望

文‧葉子豪 
訳・済運

地震発生からひと月半が経ち、
人々は順にテントからコンテナハウスに移った。
恒久住宅の建設も始まり、各方面からの支援を受けながら住民の新たな生活が始まった。

ショベルカーや大型トラックがひっきりなしに倒壊した建物の廃材を運び出し、整地が始まっていた。砂埃が舞って大気を汚染していたが、むしろ斬新とも言える情景が見られた。コンテナハウスが一棟一棟と建設現場に運び込まれ、小さな集落ができ、コミュニティサービスセンターもできていたのだ。そこには幼児向け遊戯室や成人向け『コーラン経』クラス、小中学や幼稚園教室、カウンセリング室、行政部門があり、美容院まであった。ハウスの前には救助に来た兵士たちが、列を作って散髪を待っていた。ここは、ガズィアンテプ県の震源地から僅か二十三キロしか離れていないヌルダギ地区である。断層の上に位置し、八割を超える五千軒の建物が損壊し、四万人余りが住居を追われ、三千三百人余りが亡くなった。

地震発生後一カ月足らずだが、生活は秩序を取り戻しつつあった。外国からの寄贈と国内製造のコンテナハウスが次々に到着し、人々が順に入居していた。屋内には政府や民間から寄付された非常食や毛布、カーペット、ソファベッド、テレビなどでいっぱいだったが、一番大事なのは個別の浴室があることだった。この地区に、慈済基金会を含む世界各地の慈善団体が、こぞって支援に来ている。

トルコでは百四十数万人が家をなくした。被災地の建物は瓦礫と化したのでなければ安全に問題を抱えているので、大半の人はテント住まいをしている。三月上旬の統計によると、政府が開設した避難所は三百三十二カ所ある。慈済ボランティアが二月半ばにハタイ県やガズィアンテプ県などの重被災地に入って視察した時、既にトルコボランティアの周如意(ヅォウ・ルーイー)師姐(スージエ)は、「彼らが苦労しているのは、テント区域では給水が不便なので、公共の浴室やトイレに行かなければならないこと」だと見て取っていた。

ガズィアンテプ県ヌルダギ地区は4つの県の交通の要所で、商業が栄えていた。被災後、住民は政府が開設したテント区域に避難した。(写真の提供・TPG達志イメージズ)

テント区域では原則として一家に一つのテントが提供されるが、それは最低限の暖房と煙突が付いたものである。まともな住居の暖かさには劣るが、野宿するよりはずっと良い。また、区域内に太陽光パネルが設置されているので、簡単な照明とモバイル端末に使う電力を供給している他、通信会社が臨時基地局を設置し、基本的な通信のニーズを満たしている。しかし、水道とトイレに関しては不便を感じる。政府は住民のために、昼夜を分かたずコンテナハウスの建設を進めると共に、一年後に入居できる恒久住宅を建設し、被災者に十年無利子の住宅ローンを提供することで、人々に再起する機会を与えるプロジェクトに着手した。

「地震で何もかも無くし、どうしたらいいのか分かりませんでした。毎日、崩れた家とテントの間を行き来して、とても悲しく、寂しく感じていました。今日あなたたちに出会い、話すことができました。あなたたちが来てくれたことは私にとって最高のプレゼントです」。ヌルダギ地区の住民クルドさんがボランティアに言った。(資料の提供・寧蓉、楊景卉、周如意、李佳欣)

厳冬を乗り切って 迎えた春の温かさ

文‧葉子豪 
訳・済運

零下十℃の寒い夜、住民は大変な生活を送っていた。
慈済は先ず、台湾からエコ毛布を空輸すると同時に、現地でも毛布を買い付けて配付した。緊急援助は人命救助と同じである。

今回のトルコ・シリア地震に対する緊急援助において、毛布は最も重要な物資である。二月上旬の地震で、家屋も暖房も失われた重被災地の気温は、零下十℃以下にまで下がった。十分な大きさと厚みのある毛布は、温かさをもたらすだけでなく、苦労が尽きずに野宿をするしかない人たちの命を守り得るのである。

少しでも早く毛布を必要としている人の手に届けるために、慈済は同時進行した。先ず、慈済内湖志業パークに常備されている三万枚のエコ毛布の中から厚手の毛布を八千枚、大至急調達して救援にあてた。厚みと保温機能だけでなく、心からの祝福が人々に伝わるようにという願いを込めたのだった。

「毛布はトルコでも買えますが、意義が異なります。このエコ毛布は、台湾のリサイクルボランティアが一つずつ拾い集めたpETボトルから作られたもので、地球を大事にする気持ちが込もっています。そういう毛布だからこそ、必要としている人たちに温かさをもたらすのです」。トルコ慈済ボランティアの胡光中(フー・グォンヅォン)師兄(スーシオン)は、台湾からトルコまでエコ毛布を輸送する時の心遣いと、「ボランティア自らの手による布施」という願いを説明した。

しかし、被災状況が急を要していた上に、トルコ政府が地震発生直後、首相府防災危機管理庁(AFAD)に外国からの災害支援物資の輸入と配付を統括させたため、慈済の八千枚余りのエコ毛布はトルコ政府に寄贈され、二月十日に順次空港に到着した後、政府の手で配られた。

ヌルダギ地区で、トルコ慈済ボランティアは、自らの手で被災者にエコ毛布を贈ると同時に、台湾のリサイクルボランティアの、地球を大切にする心と苦難にある人々への思いやりを伝えた。(写真の提供・トルコ慈済ボランティア)

一方、慈済はトルコ現地でも緊急に毛布を買い付けて配付した。特筆すべきは、一番に慈済が寄贈した毛布を受け取ったのが、台湾の救助隊だったことだ。

「慈済の毛布は、本当に必要な時に間に合いました」と、消防署の責任者だった許僑聲(シュー・チアオスン)さんが、その時のことを振り返った。彼はイランと日本の大地震でも救助に参加したことがあり、その時も同じように気温の低い劣悪な天気に見舞われたが、今回のトルコの被災地ほど寒くはなかった。「毛布に手を触れた時、皆、大喜びでした。やっと毛布をもらって一層暖まったからです」。消防署救助隊の金国旺(ヂン・グオワン)小隊長によると、救助隊の任務が終わった時、隊員たちは、自分たち以上に必要としていた現地の住民に、毛布を寄贈したそうだ。

慈済は、イスタンブールとハタイ県、ガズィアンテプ県での配付活動のために、既にトルコで緊急に三万枚の毛布を買い付けている。シリアに近いレイハンル市にある台湾レイハンル世界市民センターでは、避難しているシリア人女性たちが、暫しの間でも震災によるパニックから逃れて、二坪足らずのスペースで家族と共に三枚の厚手毛布にくるまっていた。体が温まれば、心も温まるのだ。

    キーワード :