愛で宝と化した買い物カード

買い物カードを持つ被災者は、
特約のスーパーマーケットで生活必需品を買うことができる。
それは実用的なだけでなく、個人に対する尊厳も与えるものであり、支援者の優しさと気前のよさを感じることができる。

ガズィアンテプ県のシャヒンベイ市で、四十歳過ぎのニチャティさんは慈済から配付物資を受けると、息せき切って家に帰り、びっくりするほどの贈り物である五枚の買い物カードを家族に見せた。それは五人の子供を持つ彼らが暫く生活のストレスから解放されるに十分だった。「私は多少の食糧と衣類を受け取るだけだと思っていましたが、こんなに支援してくれるとは思ってもいませんでした。本当にびっくりしました!」

デジタル技術の発展に伴い、チェーンストアやショッピングセンターが次第に普及するようになり、かつて各地にあった大量の物資を集めて一々配付する方式は、既に唯一の方法ではなくなった。慈済はチェーンストアと協力し、被災者がプリペイド式の買い物カードを使って、必要な物を買うことができるようにした。

「住民は家が倒壊し、何も持ち出すことができませんでした。買い物カードはとても実用的で、粉ミルクや紙おむつなど、異なる生活のニーズを満たすことができます」とボランティアの周如意(ヅォウ・ルーイー)さんが言った。また、「買い物カードは家族構成によって、四枚から六枚を受け取ることができます。カード一枚に二千リラがチャージされており、一世帯につき五万五千円から六万三千円を受け取ることができるのです」と説明した。

二〇二三年のトルコにおける基本月給は八千五百リラ(約五万九千円)で、この買い物カードは被災者にとって「とても重みがある」。しかし問題は、重被災地ではスーパーマーケットを含む建物が瓦礫と化したため、どうやって買い物をするかにあった。

慈済はハタイ県にある台湾レイハンル世界市民センターで、第一回配付活動を行った。慈済がシリア難民のために設立したマンナハイ・インターナショナルスクールの最上級生、ジャネードさん(右)が、被災者に買い物カードと證厳法師からの慰問の手紙を手渡した。買い物カードを受け取って、スーパーマーケットで生活必需品を購入することができるようになる。(撮影・楊景卉)

「彼らは被害を受けていない車に相乗りして、隣町へ買い物に行くのです」。周さんは、「被害を受けなかった地域の親戚を頼って、当地で買い物カードを使用することもできますが、唯一の制限は酒やタバコの購入です。高く評価されるべきことは、特約スーパーマーケットが特別にトラックを出して物資を重被災地に輸送し、被災者がカードで買い物できるようにしたことです」と付け加えた。

買い物カードには、世界各地から集まった愛の寄付、そして台湾全土の慈済ボランティアの街頭募金がチャージされている。配付会場でも大衆が次々に寄付する光景が見られ、トルコ語に訳された「家族」という唄が流れると、多くの人が感動で涙を流した。被災者のイルマツさんは、壇上に駆けあがってボランティアと抱擁し、嗚咽しながら「皆さんの目を見た時、私たちの心は一つだと感じました。このような困難な時期に、こんなにも多くのボランティアが寄り添ってくれています。私は憂いも悲しみも捨て去ることができました」と言った。

胡さんは、「この地震で金持ちも貧しい人も全て支援が必要です。今日の私たちの贈り物は、彼らが失った物とは比べ物になりませんが、大いに『愛』を感じ取ってもらうことができました」と言った。

シリアに通じる道

文‧葉子豪
訳・常樸

慈済は、ヨルダンの人道支援組織と共に、軍当局の支援を得ながら、国連に引き継いでもらう形式で、支援物資をシリア政府軍や反政府勢力が支配する地域を通って、被災地に送り届けた。

トルコ·シリア地震の被災範囲は十万平方キロを超え、百万人以上が家を失った。シリア政府は国際慈善団体が被災地に入るのを許可していないが、隣国ヨルダンの慈済人は積極的に支援手段を探し、三月に支援物資をシリア北部の重被災地に送り届けた。これは二〇一一年シリア内戦勃発以来、慈済が初めて当地を支援したケースである。

「国王は外務大臣に、シリア大統領と協力するよう通達し、今年二月から八月まで、ヨルダンからシリアの被災地に物資を送ることに合意しました」。ヨルダン慈済ボランティアの陳秋華(チェン・チュウフヮ)さんによれば、ヨルダン国王は、シリアへの災害支援に関することをハーシム慈善団体に委託した。ハサン皇太子が創設したこの慈善組織は、長く国際災害支援に力を入れており、国際的人脈を持ち、救済活動の経験が豊富である。また、シリア政府とシリア反体制派の双方の信頼を得ているので、対立を超えて、支援物資をシリア政府が制圧する大半の国土から様々な反抗勢力の統治下にある地域を通って、シリア北部の被災地に送り届けることができるのだ。

支援の手段が分かると、ヨルダンの慈済ボランティアは、早速一万枚以上のジャケットや帽子、手袋などの防寒用品を集めた。ヨルダンの台湾人ビジネスマン黄大功(ホワン・ダーゴン)さんも気前よく四十三万枚の冬物衣類と五万枚の毛布を寄付することにし、従業員総出で製品を仕上げた。二月下旬、先ずマフラク県にあるハーシム慈善団体の倉庫に行き、次いで軍用トラックでスィーブ・ジャービル国境通行所に運ばれ、そこからヨルダン·シリア国境の倉庫に運び込まれた。そこから国連がシリアの車を使って物資をシリアのイドリブ県、アレッポ県など北部被災地に送り届け、被災者に配付された。

ヨルダンのハイウェイで、中国語、英語、アラビア語の3カ国語で書かれた「慈済基金会」の横断幕が掛けられたコンテナ車が、ハーシム慈善団体の倉庫に向かっていた。支援物資はそこで卸された後、軍用トラックが引き継いで、シリア国境まで運ぶ。(撮影・Mohammad Fayoume)

「各方面の協調ができると、シリア政府は、これら物資が直接、被災地に届けられることを保障しました。私もハーシム慈善団体に伝えました。シリア政府軍であろうと、反体制派に制圧されている地域であろうと、被災者がいる限り、支援しなければなりません」と、陳さんが説明した。

その期間、ヨルダンで慈済の支援を受けた多くのシリア難民は、ボランティアベストを着て、物資の運搬を手伝った。自分も故郷に救いの手を差し伸べられることが嬉しかったからだ。「たとえ私たちの奉仕が微々たるものであっても、地震の被災者を慰めることができます」。シリア人ボランティアのルースさんは、言葉を幾つも話さないうちに、眼鏡を外して涙を拭った。

二月十八日、四台の軍用トラックが初めて、マフラク県の倉庫から衣類と毛布を載せて、十五キ口離れたスィーブ・ジャービル国境通行所に向かい、そこから輸送が引き継がれた。ヨルダン慈済ボランティアのハタさんによると、トラックの前には慈済のロゴが印刷された横断幕が掛けられ、菩提樹の葉に載る愛に満ち溢れた船が見えた。その歴史的な瞬間、壮観な車の列を見て感動した高揚感は、言葉では言い表せない、という。

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