若い人材を育む

どんな仕事に就いても志業精神で取り組む――
仕事で奉仕するだけでなく、
志を立てて人間(じんかん)を利する。

新芽奨学生とコミュニティケア

一月五日、南アフリカの袁亞棋(ユエン・ヤーチー)師姐がダーバン支部に関する報告をすると同時に、国境を越えてマラウィで現地ボランティアを導いた心温まる話を分かち合いました。「南アフリカでの慈済ボランティアによる新芽奨学制度は二○一二年に始まり、この縁によってとても多くの学生と知り合いました。そして、彼らにボランティアをしませんかと呼びかけました。この子たちはコロナ禍の期間中、既に食事配付拠点を主体的に運営していた大学生や中高生たちです。炊き出しを行って地域の貧しい人たちに食事を出していました。彼らもそのコミュニティーに住んでいるので、ボランティアの幹部として、家族や隣近所の人に慈済の話をすると共に、現地で人々を集めて貧しい人や病人のケアをしているのです」。

上人はそれを聞いて嬉しく思いますと言いました。「新芽奨学支援を受けた若い人は即ち慈済の優秀なシードであり、コミュニティの住民の中心となって、お世話を続けていくことができるのです。心に愛を持ち続けるよう彼らを導き、勤勉に努力を続けるよう励まし、自立を助けていけば、世代から世代へと希望がもたらされていきます」。

上人は袁さんの勇気を称賛し、志業の重い責任を担って現地ボランティアに溶け込んでより多くの若いボランティアを導いて育てる姿が、志業を彼らの村に根付かせようとしていると言いました。

「期待に応えてくれると信じています。これからも自信を持って休むことなくシードボランティアを募ってください。それぞれが大木に成長し、絶えることなく種を作っては撒き広め、活力となって現地の福田を切り開くのです」。

精神を高め、着実に向上

一月六日、或る実業家との話の中で、上人は、台湾であれ海外の慈善支援活動であれ、縁さえあれば達成できないことはなく、機会を逃さず奉仕しなければいけない、と言いました。慈済はこの理念でもって志業を展開して来ましたが、これらの事をしたから何か得るものがあると考えるのではなく、単純に苦難にある人たちを助けたいと思っているのです。

上人は、若い人を育もうとするなら、彼らに商業で商売のことや工学で方法や技術を学ばせるだけでなく、愛と願力を啓発し、人文に富んだ環境の中で品格を養うことで、感謝と尊重の心を持ち、愛で人に接し、喜んで奉仕するよう導くことが大切だとして、次のように述べました。

「近頃、よく志業体の人たちにこう話します。仕事は誰でもできますが、大事なのは志業です。どの学問を学ぶにしても、立志が必要で、一生その志を守って道を進むのです。商業の方面に進むのであれば、その方面の人脈を使い、商売で駆け引きをするだけでなく、愛でもって人々を利するのです。どの業界にいても、志業精神が必要で、その職業で奉仕するだけでなく、立志発願して志業を成し遂げるべきです」。

「仕事を退職した人は、その長い人生経験を活かすよう導き、生命の良能を発揮し続けることができます。一日中何もしないのではいけません。彼らを正しい道に導くには、各方面の講座を開き、退職した後の生活の中心にするのです。また、教育を受けて家庭を守ることが大切で、楽しく過ごすだけではいけません」。

台湾の大衆は経済の発展につれて心が浮つき、益々楽な生活をして堕落しているので、どのようにして精神面の向上を求めるよう、人々を導いたら良いかと、上人は憂えているそうです。「下に向かう」という言葉で上人が思い出したのは、南アフリカのボランティアが田舎で訪問ケアを行った時の映像でした。息を切らして山道を上り、帰り道では板に座って坂を滑って降りたことが、とても楽しい思い出になったという話でした。彼女たちの環境は困難の多いものですが、苦しさの中にも楽しさがあるのです。

「彼女たちの体格で山道を上るのは大変な苦労でしたが、懸命に山頂まで来ると、天地がとても広く開けて感じたのです。彼女たちの心も同じで、ケア世帯の家に着き、様々な苦しみを目にすると、自分は良い生活をしていなくてもこの人たちよりはずっとましだと感じ、心から苦難にある人たちを愛おしみ、助けたいという気持ちで寄り添うようになったのです。人生も山道を上って、滑り降りるようなもので、上る時は力が要り、とても時間が掛かりますが、しっかりした足取りで歩いた方が安全なのです。そして人心が堕落するのはとても速く、それは危険なことです。ですから、教育が必要であり、向上心を持たせる必要があるのです」。

(慈済月刊六七六期より)

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