編集者の言葉
二月六日に発生したトルコ・シリア地震は、この一世紀近くの間に現地で起こった地震の中で、最も多い死傷者の数を記録した。台湾慈済基金会の災害調査チームは、地震発生の五日後にトルコに到着すると、厳しい寒さと道路の困難な走行状況を克服して重被災地へ被害調査に赴き、同時に四万世帯余りに物資の配付を行った。
被災地の復興への長い道のりは、まだ始まったばかりだ。被災者は何を性急に必要としているのか。どうすればそれを本当に必要としている人に届けられるのか。政府機関を通して手に入れたリストを元に、慈済人は配付した買い物カードを持つ被災者ならば、タバコとアルコール以外の物資を特約店で買うことができるようにした。たとえ、避難のために他の都市に移住していても、それを使うことはできる。被災者は自分たちの必要な物を買うことができ、何も制限はない。
慈済チームは、支援項目の重複を回避するため、被災地に駐在する慈善組織や政府機関を訪ねる一方で、他のNGOと協力する方向を探っている。たとえば、トルコとシリアの国境には野戦病院やクリニックはあるが、医療支援を提供している世界の医療団(MDM)によると、多くの被災者は心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんでおり、緊急に心療内科医と看護師を必要としているという。彼らは最善を尽くして最も支援を必要としている人々を探し出しているが、スタッフと資金が不足していたため、慈済チームも審査を経て支援を提供することを決めた。
台湾の民衆は、一九九九年の九二一地震に対して深い印象を持っている。当時、トルコ政府は直ちに捜索隊を派遣して支援した。彼らの行動は人々の心に残っている。慈済内湖連絡所が駐台北トルコ貿易事務所の要請を受けて災害支援物資を募った時、各方面から大量の物資が殺到したが、梱包を手伝った人の大半は自主的に投入した大衆だった。
慈済のトルコにおける足跡は、九二一地震より少し早く発生したトルコ地震に端を発している。当時、台湾のマスコミに「トルコを救わねば。台湾隊はどこにいる?」と率直に語ったトルコ在住の台湾ビジネスマン・胡光中(フー・グアンヅォン)氏は、既にトルコで支援していた慈済ボランティアと合流した。その後、慈済に入り、現地で深く志業を推し進める慈済人となった。隣国シリアで十年以上に亘って内戦が続く中、トルコの慈済人の努力により、「マンナハイ・インターナショナルスクール」が開設されると、トルコに住むシリア難民の学生は学業を続けられるようになった。今ではボランティアとなった多くの卒業生は、今回の慈済の支援活動における新たな主力だ。
今月号の主題報道では、被災地の住民の現状について報道している。物価が上昇してインフレが起きているこの時期、相変わらず多くの民衆が情熱を以って募金活動に呼応しているとのことだ。誰かが言ったように、平和な台湾にいることは幸福であり、愛を奉仕すると、どんな小さな愛も積もれば大きな力となるのだ。
国境を越えた愛が海を渡り、復興への新たな生きる力になってほしいものだ。そして、愛の泉は湧き出て結集し、苦難の世界に慰めと希望をもたらしたいと願っている。
(慈済月刊六七七期より)