わずかなお金でも人助けができる
全ての人がトルコ・シリア地震の被災地へ辿り着けるわけではなく、
一人の力で苦難に見舞われている多くの人を救い出すこ… Read More »
善念を蓄える
初めは自分のために善念を蓄えようと思っていたが、
結局、衆生の世話をするようになり、
あの「私」はもう消えてしまっ… Read More »
「口舌の雄」になるよりも「模範を示す」
問:計画的に子供の会話表現能力を身に付けさせるべきでしょうか。後々、学業や職業上で人に深い印象を与え易くなると思い… Read More »
人の心にある悟りを募って、共に幸せをこの世にもたらしましょう
募金で最も大切なのは「心を募る」ことです。
災害は大いなる教育であり、世の無常に対する覚悟を呼びかけているのです。… Read More »
仏陀誕生の地─ルンビニを思いやる
仏陀の誕生地であるルンビニの住民を思いやらないではいられない。食糧不足、医療の欠乏、就学できない状況下にある貧しく… Read More »
現代における大学の社会的責任
気候危機に直面しているこの時代、多くの企業や大学が次々と、二〇一五年に国連が掲げた十七項目の持続可能な発展目標(S… Read More »
世界は即ち教室─慈済大学✕持続可能な発展
キャンパス内の「食在永続消費合作社㊟」を利用して、
自然農法で作物を作っている小規模農家を支援したりとか、
「持続… Read More »
五月の出来事
マレーシア・ジョホール州ムアル市のボランティアは、セガマト郡サンへ港のサンへ小学校で、3月上旬の水害に遭った村人を… Read More »
実に愛しい義母
義母に電話すると「私は忙しいのよ!今から助念㊟に行くから長話はできません」とか、「今週は帰ってこなくてもいい。私は… Read More »
理想的な仕事
二月一日、アメリカ総支部の唐朝(タン・チャオ)師兄(シーシオン)と張天駿(ジャン・ティエンジュン)弁護士及び王翰馳… Read More »
もし家族の中で自分一人だけ菜食者だったら
菜食をすると決めてからは、家族に迷惑をかけないように、自炊を始めた。最初は満腹になることだけ考えていたが、より健康… Read More »
徳があれば得るものがある
自分の無私を信じ、人の愛を信じ、
見返りを求めず奉仕し、感謝し合いましょう。
分秒を無駄にせず、真心があれば恐れは… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
主題報道
表紙の物語
特別報道
證厳上人のお諭し
人医の愛
親と子と教師、三者の本音
今日の食卓
命の贈り物
聞・思・修
行脚の軌跡
五月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。