仏恩、師の恩、両親の恩

(絵・陳九熹)

仏陀の故郷にお返しすることが、仏恩に報いることです。

また両親の恩に報いることでもあり、両親より授かったこの身をもって、人間(じんかん)で良いことをするのです。

私は師の恩に報いなければなりませんから、「仏教の為、衆生の為」の教えを守るため、現在に至るまで尽力して皆さんにお話をしているのです。

人間(じんかん)の一点一滴の力を集めて 団結するように呼びかけることで、苦難と困窮にあるこの世を立て直すことができるのです。

全ては時によって成就します。慈済が行っている四大志業が台湾で深く根を下ろしているのは、生い茂った大樹のようなものです。最近、各志業体の職員が帰って来て話をしてくれるのですが、幼い頃に両親や目上の人に連れられて精舎に来たか、或いは両親が慈済に勤めていた関係で、大愛幼稚園、慈済小・中学校、慈済科技大学や慈済大学を卒業し、今は志業体に勤めている、と多くの青年職員が言っています。そして、慈済人の家庭のお子さん、或いは慈済の学校の卒業生が、今は既に志業体の役職に就いているのです。

こういう話を聞いて、私は感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。そして、五十数年歩んできた慈済の道を見つめ直すと、まだ道のできていなかった原点から人々に呼びかけたのですが、当時ははっきりとした声量だったため、縁のある人たちはそれを聞き入れました。その縁が成就し、皆さんが私の声に応えて足並みを揃えて前進してくれたおかげで、ここまで来られたのです。一粒の種が無量の種を生み出し、その無量の種が四方に蒔かれ、今では五大陸全てに慈済人がいます。

もっと嬉しいのは、一粒一粒の種のDNAが変わることなく、純真で誠実なままなのです。人々の心が慈済の法に触れると、敬虔の念を持って自ら実践するようになるのです。最初の一歩を踏み出さなければ、力を尽くすことはできません。踏み出せば力が出て、遠くまで歩いて道をさらに広げることができます。五十年来、慈済の道は実に広くなりました。慈済人は法師である私の願いを達成させるために、とても誠実に、また積極的に志業を遂行し、そして世界で多くの良い縁を成就させております。

私たちは仏陀の教えに努め励みつつ、仏陀の正法が再び仏陀の故郷に帰るようにと願っております。マレーシアとシンガポールのボランティアは、既にかなりの期間、ネパールとインドに滞在し、仏陀の故郷の住民にとって、慈済の制服姿は見慣れたものになっており、慈済人は町から村へ、愛の心を以て道を切り開いて来ました。今では、現地の女性たちの中に、慈済人の姿を見ると近づいて来て抱擁するようになり、以前は想像だにできなかった事です。というのも、現地のカースト制度の観念が深く根付いていて、女性は地位が低いので、外部の人に触れることはしません。今はこのように心を開いて、自分から慈済人に近づいており、容易なことではありません。それは、慈済人が先に愛を以て奉仕したことで、女性たちが安心して慈済人と交流することができるようになったのです。慈済人が愛で以て包容した賜物と言えます。

シンガポールとマレーシアのボランティアは、菩薩の使者となって、先ずネパールのルンビニで道を切り開き、仏法教育の法門の扉を開けました。慈善を基本に、次いで医療、教育、人文の四大志業を展開したのです。将来、仏陀生誕の地に静思堂が建つことを願っています。世界の慈済人に、仏陀の故郷に我が家があるようにし、現地の人たちを束ねて、皆で「家」を護り、仏法の教義を定着させてほしいものです。

皆で発願して、心を込めて力を出し、仏陀の故郷に恩返しするという誠意も功徳無量です。世界の慈済人は、それが私の心願だと知って、心から応えてくれています。ネパールとインドの人たちまでが、ミャンマーの農民の米貯金や竹筒貯金の精神を学び、僅かな力ながら結集して、皆で愛の心を発揮しています。これらの映像を見ると、私はとても満足し、感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。このようにして、慈済人は絶えず各地で、民衆が発心して力を尽くすよう導いています。皆の力が集まれば、世界中の貧しい人たちも、ネパールのこの村のような極貧の生活を立て直すことができるのです。

仏教徒として、私たちは仏恩に報いなければなりません。私自身も、師の恩に報い、親の恩に報いることであり、親から授かったこの身で以て、人間(じんかん)で良い事をしています。その上で、恩師が私に下さった「仏教の為、衆生の為」という教えを実行しなければなりません。ですから今に至るまで、私は力を尽くして皆さんにお話ししてきました。たとえ牛車を引っ張る力がなくても、私は傍で皆さんに語りかけることができます。着実に歩みを進めるには、一分でも多くの力が必要なのです。皆さんが心を一つに、時間をかけ、根気よく続ければ、必ずや牛車を須彌山に押し上げることができるのです。(出典:「伝承静思法脈、弘揚慈済宗門」精進研修セミナーの終わりの開示記録より)

(慈済月刊六八四期より)

    キーワード :