佛の恩に浴し、自分の心を清める
去りゆく春から立夏を迎え、猛暑と豪雨が交差する中、一年一回の「灌仏会」を迎えた。西洋の賑やかな「クリスマス」パーテ… Read More »
一株の野菜の誕生
食卓に並ぶご馳走、その食材が成長するまでを見たことがあるだろうか。自分の手で種を蒔き、発芽して収穫に至るまでを観察… Read More »
食卓の新たな主役はオクラ
二〇二三年の夏、静思精舍の野菜畑は、いつもと違っていた。新しく植えたオクラが、一面に生い茂る緑の葉の上に浮かぶよう… Read More »
慈済はこうやって発展してきた
この世を庇護する大愛エネルギーは、
小さくて僅かな力から生まれ、
目に見え、聞こえる範囲から始まった。… Read More »
食・農・教育
72世界で飢餓に苦しんでいる人口が七億人を突破した今、食べる分だけ取ることは、一種の美徳である。小学生による食品ロ… Read More »
各クラスの食べ残しは120グラム
台南市私立慈済高校小学部の一日あたりの給食の食べ残しは、三年前の三十五キロから今では三キロにまで減り、平均すると一… Read More »
無我夢中で引き受ける|仁者・杜俊元
二〇二二年二月、栄誉董事の杜俊元(ドゥ・ヂュンユェン)氏の高雄の自宅で、二日間の単独インタビューを行い、慈済でドキ… Read More »
悪念を消して善念を増やし、良縁を結ぼう
過去の悪い考えから離れ、善を志してこの世で福を作り、時を善用して勤しめば、恩も恨みも忘れてしまいます。人との出会い… Read More »
インド—サンディープ君 あれから元気でしたか
「サンディープは今では健康に過ごしています。先日のかけっこでは一位になりました。ただ、勉強があまり得意ではないので… Read More »
0403台湾花蓮地震で損壊した家屋を修繕—安全な住まいのために 専業ボランティアが結集
0403台湾花蓮地震で、
被災範囲の広さと修繕必要戸数の多さから、業者不足に陥った。
台湾各地から左官、鉄工、ペン… Read More »
日本—能登半島地震 復興の道
石川県北部に位置し、日本海に向かって突き出している能登半島は、
豊かで美しい自然に囲まれている。
有名な輪島市白米… Read More »
気づき、行動し、成し遂げる
苦を見て福を知れば、善の念を呼び起こすことができ、人を助けて苦を取り除きながら、生きていけるようになります。学びに… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
グローバル慈善
人品の典範
證厳法師のお諭し
農禪生活
行脚の軌跡
七月の出来事
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。
20240420
高山の石地に新しい教室ができた─仏陀の故郷への恩返し
慈済ボランティアは、仏陀の故郷に長期滞在して、現地の住民たちが自助と助け合いをするよう導いている。2023年11月にネパール西部で強い地震が発生した時は、山間部の小学校でプレハブ教室の建設を支援したり、ルンビニで職業訓練を受けている女性たちが編んだ毛糸の帽子を送ったりして、生徒たちが安心して授業を受けられるようにした。
20240320
日本・能登半島地震─大雪に見舞われた半野外の仮設厨房
【台湾の慈善団体は、なぜやって来たのか】
比較的積雪の少ない能登半島に大雪が続いたこの冬、炊き出し支援を計画したのは、断水と地震被害で閉ざされた生活を送る住民に、ただ温かい食事を届けたい一心からだった。住民の感謝は親しみに変わり、慈済ボランティアとの絆が深まった。(詳細はp.64-89)(撮影・鍾佳玲)