見舞金に込められた気持 確実に届けた

厳冬期に地震が起き、家が半壊した水谷育子さんは、直ちに自宅で温かい食事を作って、近所の人に届けた。見舞金を受け取ると、竹筒貯金箱を持ち帰り、孫たちと一緒に善行して慈済にお返しをしたいと言った。

地震の後、娘や孫たちは倹約した生活を送って、損壊した家の再建に頑張ってくれています。

見舞金を受け取ったので、彼女らを連れて美味しいものを食べて、幸せな時間を過ごしたいと思います。残りは家の修理のために貯金します。台湾の慈済からいただいた、心温まるご支援に感謝しています。

私は水谷育子です。年は六十六歳です。国民年金で生活しています。数年前、娘と三人の孫と一緒に小さな家を建てましたが、今年の能登半島地震で家が半壊してしまいました。

私たちが住んでいるのは古い住宅街で、多くの家は古い土壁造りですが、地震ですぐに倒壊してしまいました。幸い、私の家は一部が無事だったので、温かいスープとお握りを作ることができました。そして夫々の家で避難生活をしていた近所の独り暮らしのお年寄りたちに配りました。

あの時はまだとても寒く、温かい食べ物で心まで温まったという言葉を頂きました。その言葉に私も励まされ、その温かさを七尾市の田鶴浜高校の避難所に届けました。被災後まもない援助ができて、皆さんにも喜んでもらいました。

余震が続いていた関係で、私たちは暫くの間、車の中で寝泊まりしていました。八月末になった今でも、いつでも避難できるように、身の回り品を持ち歩いています。地震が起きた時にとても怖い思いをしたので、万全の準備をするようになりました。

最初に台湾の慈善団体が見舞金の配付に来ると聞いた時は信じられず、詐欺か何かと思いました。その後、各方面に確認して、やっと本当だと分かり、今日は感謝の気持ちで受け取りに来ました。台湾も四月に地震被害に遭われたのに、私たちの支援に来てくださり、とても感動しています。

家の修理には非常に多くのお金がかかるので、あちこちから集めた補助金を充てています。生活は決して豊かではありませんが、今日頂いた心温まる見舞金は、娘や孫たちを労る意味で少し使わせていただきたいと思います。長い間、家の修理のために生活を切り詰めて頑張ってくれたので、美味しいものを食べさせて、幸せな時間を過ごそうと思っています。残りは家の修理費に貯金します。

「竹筒歳月」のお話を伺って、私も竹筒を持ち帰りました。孫たちに、毎日善の心を育んで、台湾の慈済から頂いたとても意義のある祝福にお返しをするようにと話して聞かせています。

(慈済月刊六九五期より)

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