どの家庭にも模範となる人がいます

仏陀は『法華経』の中で、仏法は五十人目まで受け継がれるべきだと教えました。私も五十代目まで代々伝わっていくことを願っております。

私たちがやってきたことを人々と共有すれば、菩薩が菩薩を誘い、福を知って、更に福を作り、家庭が睦まじく幸せになり、それぞれの家庭に模範となる人がいるようにするのです。

皆さんは感謝、尊重、愛を確実に実践してきました。私は、皆さんから充実して着実に歩んできた話を聞き、深い感動を覚えました。私が皆さんに感謝の意を表すと、皆さんも直ちに「師父に感謝しています」と返事をしてくれることにお礼を言います。その実、皆さんは見返りを求めず奉仕しているのです。お互いに感謝し合うのは、なんと美しい姿でしょう!

雲林、嘉義、台南地域の土地柄はとても純朴です。大林や斗南に行くといつも、分かち合いのために集まってくる大勢の「草の根」のような素朴な菩薩たちは、あたかもススキの中の大木一本一本が大地を守っているかのようで、感動せずにはいられません。それに、以前からずっと私と共に歩みを進め、私を護持し、今も精進している多くの年配の慈済人たち、また、先輩の高齢者を敬うことを知っている中年の慈誠や委員の姿も見てきました。人々が意気投合し、心から協力し合えば、菩薩の心に出会うことができるのです。

菩提心を持って菩薩道を歩み、同じ心、同じ志を以って行動する相手のことを、「同修」と呼びますが、夫婦だけが「同修」なのではありません。夫婦ですから、ご主人が慈済の奉仕に出かけても、奥様は反対しないばかりかいつも協力的です。ご主人も奥様を連れて慈済に参加し、手を取り合って菩薩道を歩むのです。そのようにペアで心を一つにして修行していれば、家庭はとても幸福且つ平和であり、子供たちに対しても模範的な教育となっていると感じています。「家族が仲睦まじければ、全てがうまくいき、家庭も心も円満になる」と常に言っているのはそういう意味なのです。

この時代、若者は家を離れて就職したり、海外に進学したりして、あらゆる分野で若者も壮年層もそれぞれにやるべきことがありますが、田舎の年長者は年老いていきます。そして、若い世代が故郷を離れたため、彼らは孤独を感じています。もし、菩薩のネットワークとチームがあれば、地域でケアをし、付き添うことができます。特に、慈済は各地にリサイクルステーションがありますから、彼らを資源回収に誘い、慈済の大家庭に来てもらうことができます。

「ゴミが黄金に変り、黄金が愛になり、愛は清流と化して、全世界を巡る」。慈済がリサイクルを行うのは、大愛テレビ局を支援し、弘法して衆生を利するだけでなく、この世で良いことをしているのであり、あたかも海が一滴一滴の水から成っているように、一人ひとりの愛が功徳の海に集まれば、より多くの人を助けることができるのです。

誰もが時間を善用し、私たちが行ってきたことを皆さんと共有することを願っています。これまで誰が私たちを慈済に導いてくれたのでしょうか?全ては菩薩が菩薩を誘って来たのです。仏陀は『法華経』の中でこう教えています。「仏法は、五十人目まで伝授すべきである」。私も五十代目まで代々伝えていくことを願っています。そうなれば、ベテラン慈済人が益々増え、どの家庭にも良い模範がいて、家族に子供と孫が大勢いるだけでなく、家庭が愛に満ちるようにしたいのです。

家庭が平安で、子供や孫が立派になれば、もちろん幸せです。しかし、その福は、過去に積み重ねてきたものであり、その福を作って来たからこそ、今それが得られているのです。今引き続き縁を惜しんで、それを大切にしなければなりません。慈済人が精舎に帰ってくる度に私は、「戻ったら必ず私の代わりに、年配の慈済人たちに挨拶をし、これまでの貢献に感謝していることを、忘れないで伝えてください」と言付けます。また機会があれば、彼らと手を取り合って出かけましょう。分かち合いを聞くことは、彼らの記憶力を保ち、脳の働きを助けることにもなるでしょう。

人生の舞台に立って、この人生でどのような役割を果たしてきただろうかと、自分自身を見つめ直してください。もし役割を充分に果たせたなら、自己肯定し、皆に褒められ、家庭も幸せならば、なんとあり難いことだと感謝してください。私も自分自身を振り返りながらこう思います。「幸いにも私はあの時、慈済志業を始めようと一念発心し、幸運にもこの道を歩んで来ました」。今、慈済人は全世界に広まり、百三十六の国と地域で、慈済の慈善ケア活動が行われています。私たちの縁はとても広く、深くつながっているので、慈済に参加することは幸福であり、広く福縁を結ぶことができるのです。この世に生きているのですから、慈済を語り、行動する機会を逃さず、菩薩道を歩まなければなりません。

福祉用具のリサイクルや読書会の開催について、皆さんの分かち合いを聞いていると、深い感動を覚えます。それは、福を惜しんで、慧命を修めている姿です。しかし、本を読んだり、福祉用具を届けたりするだけでなく、人々の中に交わることが重要です。「学」と「覚」の文字は似ていますが、「学」と「覚」の間には菩薩道という道があります。絶えず学習し、行動に移して励めば、この正道を歩む方法を理解することができます。菩薩道の終着は悟りであり、人には誰でも仏性が備わっています。もし菩薩道を歩まなければ、人生の苦しみが見えず、自分の福も感じないため、その「正道」も見えません。その道は正しいのですから、私たちは時間を惜しんで精進し、励まし合い、互いに認め合いましょう。

今回、皆さんは帰ってきて、たくさんの人と知り合うことができました。他人の精進を見て手本として受け止め、「追いかけよう」と自分自身を励ましてください。そうすれば進歩できるのです。時間がある時には、いつでも帰ってきてください。最も重要なのは、法を聞くことを中断しないということです。皆さんの分かち合いを聞いていると、私の話を本当に聞き入れていることが分かります。私の言葉をできるだけ重複して使い、良い言葉は共有すれば、それが人々を悟りに導くようになるのです。雲林、嘉義、台南地区の皆さんに感謝すると共に、祝福します。

(慈済月刊六九五期より)

    キーワード :