したいことは仏様が承知

オーブン、くるみクッキーを切る長いナイフ、パイナップルケーキ用の型……と洪連忠さんは、一つずつ数えた。リサイクルステーションから見つけて来た、これら使い勝手が良い道具は、全て彼の手作り菓子の道具として使われ、チャリーティーバザーの重要な助っ人である。彼を支える良妻の曾美英さんは、「仏様は夫がしたいことを全部承知しているようです」と言った。

四月三日、花蓮で強い地震が発生すると、水道と電気工事の経験がある洪連忠(ホン・リェンヅォン)さんは、高雄のチームと共に被災地に赴き、軽度損壊の住宅を修繕した。泥で壁のひび割れを補修し、絶え間なく続く余震の間を縫って、住民に住まいの安全を提供し、安心を与えた。彼は花蓮に合計二十一日間滞在し、高雄に戻った後、地域の高齢法縁者のことを思って、トイレに安全手すりを取り付ける緊急工事を終えると、花蓮の復興支援のためのチャリティーバザーに力を注いだ。

洪さんの良妻、曽美英(ヅン・メイイン)さんによると、「彼は毎日、チャリティーバザーで他に何を作って売ろうかと考えていました」。五月十九日から、洪さんは毎日午前四時過ぎに起きて、自宅でパイナップルケーキ、ナッツ入りマントウ、クッキー、歯にくっつかないピーナッツキャンディー、ナッツタルトなどを作った。

材料は自宅の雑貨屋にあるものを使い、自分で生地をこねてパイの皮を作り、パイナップルケーキのフィリングも自分で炒めた。作業台は雑貨屋の隣にあるアトリエにあり、曽さんはお菓子作りを手伝いながら店番をし、時々挨拶がてら、買い物に来る近所の人たちの相手をした。

「パイナップルと言えば、私たちは皮で酵素を作るのですが、ある工場のオーナーが分けてくれると言うので、もらいに行きました。そのオーナーは、良いことは自分も手伝いたいと言って、もう何年も前から寄付してくれています」。洪さんは、生地を細長く伸ばしてから等分に切り、それらを丸い形にした。そして、フィリングを入れてから、一つ一つを型に押し込んだ。

生地を切る木の道具は、洪さんが自分で考案したものである。また、「一度に四つ焼くことができるようなパイナップルケーキの型が欲しいと探していたところ、思いもよらず、リサイクルステーションでそれを見つけたのです」。まるで仏様が彼の声を聞いたかのように、その中古のパイナップルケーキの型は大活躍で、彼はそれで千個のパイナップルケーキを作ったのである。全部良い材料を使った手作りなので、食べた人は皆美味しいと言った。彼が心を込めて作った大愛の味である。

パイナップルケーキを作り終えると、彼は長いナイフを取り出し、冷蔵庫から半成品のクルミクッキーを取り出し、薄く切ってからオーブンで焼く準備をした。かつて青年ボランティアに同行した時、キャンプ期間中、クッキーを作って、子どもたちに食べさせたそうだ。その頃、一本のナイフを買いたいと思い、何度も製パン専門の道具店に行ったが、買わなかった。値段が高いからではなく、頻繁に使うものではなかったからだ。しばらく経って、まさか、このビスケット生地を切るための細長いナイフも、リサイクルステーションで見かけるとは思わなかった。「これも仏様からの贈り物です」。

このナイフが手に入ったことで、しまっておくのではなく、定期的に手作りクッキーを作って、バサーで売ることにした。曽さんは、「仏様は、彼の心の中のしたいことを知っているみたいです」と言った。

洪さんは左膝に変形性関節症を患っており、最近は痛みで長時間立っていられないが、「何もしていない時も痛いので、痛くてもやっているのです」と言った。花蓮で住宅の修繕をした時、被災者の無力で怯えた表情を目の当たりにして、「もっと何かしてあげたい」と思って胸が詰まったという。

洪さんはクッキーを平らに並べてオーブンに入れ、木製スツールに座って焼きあがるのを待つ間、簡単なリハビリの動作を行っていた。医師から教わったものだが、膝の痛みが和らぐそうだ。「オーブンも、何年も前にリサイクルステーションから持ち帰ったものです。当時は温度調節機能が壊れていて、部品を買って来て交換したのですが、英語の説明書が読めなかったので、春鳳(ツンフォン)さんの旦那さんに読んでもらいました」。洪さんは、リサイクルステーションで見つけたこれら使い勝手の良い物は、今は全てバザーで人助けするための道具になっていると言った。彼の優れた職人技は、決して自分のためではなく、全ては人間(じんかん)菩薩としての行いなのだ。

(慈済月刊六九三期より)

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