生命の価値は語り尽くせない記憶にあり、
全てが人間(じんかん)を利する良い話です。
幸いにも慈済人がいる
新店静思堂を出発する前、上人は慈済委員たちの話を聞いて開示しました。
「ここ数日、ベテラン慈済人が過去の慈済での出来事を語るのを聞きました。当時は黒髪だった師兄や師姐たちが今、白髪になっているのを見ると、感謝と愛着の気持ちが湧き上がります。実は私も振り返ってみると、同じように年を取っており、行動が緩慢になっていることに気づきました。逆にこの「老いた弟子」たちはまだまだ活発で、頭脳明晰な上に動きがテキパキしており、社会で人のために奉仕することで、とても価値のある人生を送っています」。
「私たちは、これまでどれだけの事を成して来たでしょうか。慈済に参加してから、どれだけ慈済の志業に投入して来たかを振り返ってみましょう。志を持って全ての衆生を利し、苦難にある人がいることを聞けば、どんな山奥であっても、苦労を厭わず訪ねたり、遠く被災地に赴いて支援したり、往復の交通費まで自分で負担して、見返りを求めずに奉仕をしてきたはずです」。
「私は常日頃、幸いにも慈済人がいることに感謝しています。思い返してみると、幸いにも慈済が存在し、各地にリサイクルステーションがあるから、地域のお年寄りたちは人生の方向を見つけているのです。多くのお年寄りは、毎日夜が明ける前に家を出てリサイクルステーションへ奉仕に行き、志を同じくした人たちと一緒に、手を動かしながら楽しく雑談しています。その内容はいつも私の言葉のことであり、不本意なことに遭遇した時も、お互いに解決方法を見つけ合っています」。
「慈済人は慈済の法を説き、自分を教育して平和な家庭を築いています。慈済人の家庭は仲睦まじく、地域全体にも影響を与えており、家庭が睦まじくなれば、社会も平穏になるのです。ですからここ数十年、台湾は大方平穏です。台湾には福がある故に、私たちは市場から『五十銭の貯金』を人々に呼びかけ、今では世界の数多くの国で慈善支援を同時進行させるまでになっているのです」。また上人は、「慈済が無から有に、小から大になった最も大きな要因は、慈済人の心掛けが同じであることにあります。誰もが心を合わせることで大きな力になっているのです。ですから、微々たる一点に始まって、世界を照らす光までになったのです」と指摘しました。
上人は、「慈済人は『誠・正・信・実』の心と行動で以て、大衆の愛の心を動かしています。慈済が行っていることは、人間(じんかん)に有益な良い事であると信じているから彼らは愛を発揮し、集まった力で護持しているのです」と言いました。「私たちがこれだけ多くを建設して来たのは利益のためではありません。医療を例に取れば、生命を守り、健康を守り、愛を守るためです。建物が強固で安全なものであれば、そこで医療チームの一人ひとりが同じ方向に行動できるのです。それが愛であり、病院の建物の良能を最大限に発揮させていることになります」。
慈済人が発揮している愛は、社会大衆を啓発する愛であり、清浄無垢の慈悲の愛で、決して偏った愛ではありません。「慈悲とは、無縁の人を慈しみ、相手の身になって憐れむことです。愛がある故にそれを追い求めますが、特定の人だけを愛するのではなく、愛を広く大きくして、天地万物を愛さなければなりません。衆生を愛するからこそ、日常の行動で地球の生態系に配慮してください。大地と大気の汚染を招いてはなりません。大地と気候が順調で平穏になれば、衆生の平安を守ることができるのです」。
「今回、台北に長く留まっていますが、語り尽くせない話や尽きない慈済のストーリーを聞くことができました。慈済は愛のエネルギーを伝え続け、人心を善の方向に導き、絶え間なく善行して福をもたらし、その福の気を結集して、人間(じんかん)を和やかな目出度い雰囲気で満たせば、衆生の平安は守られるのです」。
上人は、以前から行って来た慈済の事を振り返り、機会を逃さず皆さんと分かち合うよう、年配の慈済人を励ましました。
「こうやって頭脳を働かせ続け、いつも慈済大家族の中で大勢の人と一緒にボランテイアしたり、活動したりすれば、絶えず脳の「利他」行為に反応する部分を刺激し、覚醒した仏心を啓発することができるのです。何十年も慈済に投入してきた人たちには、尽きない思い出があり、それらは全て人間(じんかん)を利する良い話ばかりです。それをいつも人々と分かち合えば、自分の記憶に深く刻むことができ、いつか人生の終末に来た時に、はっきりした覚知と意識を持って逝くことができます。皆さんも日々を無駄にせず、善という大きな環境の中で、菩薩たちに向き合って、身で以て模範を示し、自分も人も立派な人になって、絶えず善法を教え、伝承してください」。
(慈済月刊六九四期より)