惠雀さんは、四日間続けてお客様にカットやパーマ、シャンプーなどをして得た収入を、全部寄付した。仕事をしながら、慈済の事とチャリティーバザーの話をすると、ほとんどの客は善行に呼応してくれた。お釣りを受け取らなかったり、寄付してくれたりしたのだ。この事は、彼女にとって一番の喜びとなった。
「
皆さん、こんにちは。今朝は惠雀(フェイチュエ)師姐(慈済の女性ボランティア)の美容サービスを楽しんできました。彼女は、ここ数日間のシャンプー、パーマ、カットの收入を全部花蓮の地震災害支援に呼応して寄付する、と発願しました。私は一人目の客で、二人目は遠く金門から帰ってきた胡(フー)師姐です。もっと多くの人が来ることを歓迎します……」と、沈邱梅華(スン・チュウメイフヮ)さんがボランティアグループのSNSで分かち合い、善行の成就に皆を誘った。
賴さんは高雄県鳳山で美容室を経営しており、彼女には五十年間積み重ねて磨いてきた技術がある。台湾花蓮地震の後、彼女はバザーに出ていた各種の商品を買って支援に呼応したが、当時、交通事故に遭ったばかりの彼女は、どうやって参加したらいいかを考える余裕がなかった。六月三日のオンライン勉強会で同じチームのメンバーから、多くの人が積極的に参加して粽を包んだり、干豆腐を煮込んだり、カボチャ餅を揚げたりして参加した事や、コミュニティのチャリティーバザーの話を聞いた。そこに皆の法悦を感じ、彼女はとても羨ましかった。
結局その晩、彼女は何度も寝返りを打って眠れなかった。「私も参加して奉仕したい。私に何ができるだろうか?」。夜が明けて起きた時、彼女は閃いた。「そうだ!ヘアースプレーのような店にある商品を売るのだ」。彼女はそれをバザーに出すというメッセージを送った。その後、製造業者がそれを知って、原価で協賛したいと申し出た。
沈さんが「あなたは技術が売れるわよ。パーマやシャンプーのお金を寄付したら?」と提案した。それで、グループのSNSで伝えることにした。「ヘアースプレーの売り上げだけでなく、更に追加して、六月八日までにパーマとシャンプーで得た收入も同様に全部寄付します」。
ある人は、どうして直接お金を寄付しないのかと聞いた。賴さんは、自分だけ愛の心を発揮するのではなく、もっと多くの人に愛の心を啓発してもらいたいのだ、と言った。店に来る客一人ひとりに、慈済が花蓮で中継永久住宅を建設して、被災世帶が難関を乗り越える手伝いをしていることを話したところ、客は相次いで呼応した。お釣りは要らないという人や先払いして、別の日にセットに来るという客もいた。
六月七日は元々出勤の予定にしていなかった。というのは、賴さんは長年の胃の病気で、大林慈済病院で定期検査を受けることにしていたからだ。だが思いも寄らず、夜になって二人の客から予約が入った。その中の一人は、慈済ボランティアの林初翰(リン・ツゥハン)さんだった。ずっと決まった理容師にやってもらっていたと言うので、賴さんは希望に添えなかった時のことを心配して、先ず話を聞いてみた。林さんは答えた。「髮の毛はまた伸びるから、思った通りにカットできなくても大丈夫ですよ。あなたの発心に私は呼応したいのです」。
ヘアーカットする時、賴さんはもう一つ話を分かち合った。ある保険業に従事しているボランティアは、自分の外見をとても重視しているので、普段は町の高級な美容室でセットしてもらっている。今回はカットに来られたので、賴さんは彼女に尋ねた。
「私があなたの髮型を台無しにしてしまうのではないかと、心配ではないですか」。すると彼女は、こう答えた。
「證厳法師は、あれこれと悩まないように、と言いました」。愛の心に呼応出来て、彼女はとても喜んでいた。
その晩の最後のお客様は男子中学生だった。普段は彼女のことを「おおおばちゃん」と呼び、いつもお金を払う必要はない人だ。今回は塾が終わってから駆けつけて来て、どうしてもお金を払うと言った。このように忙しくして、夜の十一時過ぎにやっと休むことができたが、彼女は全く苦労だとは思わなかった。
四日間のチャリティー散髪で、合計二万元余りを寄付した。お客様の花蓮地震被災世帶を助けたいと言う気持ちに接すると、賴さんは感謝と感動で胸がいっぱいになった。
「花蓮に住んでお金を稼ぐのは容易ではありません。住民の中には今回の地震で全てを無くした人もいて、一からやり直すのは大変なことです。法師はとても慈悲深く、彼らに住宅を建ててあげようとしていますが、膨大な資金が必要ですから多くの人が一緒に協力することが必要です。勿論私も頑張らせていただきます!」
(慈済月刊六九三期より)