静思精舎の穀倉—志学大愛農場 天地の恵みに感謝

(撮影・釈徳倩)

花蓮県寿豊郷鯉魚山のふもとに位置する志学大愛農場は、静思精舎の「穀倉」であり、また世界中の慈済人の「穀倉」でもある。十二ヘクタールの土地を精舎が台湾糖業公司から借り、二○一六年から計画して耕作を始めた。環境に優しいその農法は、有機認証を取得している。

精舎は、世界中の慈済人にとって心の故郷である。精舎の二百人以上の常住尼僧や清修士、精舎で働くスタッフ、そして国内外から帰国した慈済人を含め、年間の食事に必要な米の量は約五十トンに上る。二師兄の徳昭(ドーヅァオ)師父は、約十年前の大愛農場がなかった頃、十日ごとに精米所から米を買わなければならなかったことを思い出した。一袋三十キロ入りの玄米や白米を、通常三十から五十袋購入し、平日や年末年始、または研修の需要に応じて調整していたそうだ。

精舎で四十年間修行を積んできた、志学農場の責任者である徳恒(ドーへン)師父は、この広大な土地を耕すことについて、一方では精舎の日常的な需要を満たすため、また一方では貧困救済のためだと述べた。證厳法師は将来の食糧危機を憂慮し、備蓄をしておくようにと何度も助言した。

志学農場のチームの一員である徳愉(ドーユー)師父は、「晴れた日に、雨の日のための糧を備えよ」という法師の教えを心に刻んでいる。初期の困難を乗り越えた時期、大師兄の徳慈(ドーツー)師父をはじめとする四人の兄弟弟子たちは、〇・八八ヘクタールの水田を懸命に耕作した。「この農場を耕すことは、使命であり、伝承でもあるのです」。

荒れ地が良田になる

八年以上にわたり、屏東、台中、桃園、苗栗などの慈済ボランティアは、交代で田植えや除草などの作業を行ってきた。「当時の水路はまるでジャングルのようで、上流が詰まって、水が他に流れてしまいました」。台中のボランティアである甘清文(ガン・チンウェン)さんは二○一九年のことを振り返った。農場には水路があっても、水がなく、雑草は稲よりも高くなっていたと言う。二十八人の台中のボランティアが、四百二十メートルにわたる溝を清掃した(写真1)。やっと水源を見つけ、木瓜溪から水を引いて灌漑を始めた。ボランティアたちは、この水路の形が観世音菩薩の像に似ていることから「水観音」と呼び(写真2)、水が流れるようになると、水田の水源は十分に確保された(写真3)。

(写真提供・甘清文)

それ以前の早い段階では、土地の整地や石拾いから始め、みんなで少しずつ荒れ果てた川岸の土地を良田に変えていった。農耕経験豊富な屏東のボランティア、曽天宝(ゾン・ティエンバオ)師兄と賴松勇(ライ・ソンヨン)師兄が最初に取り組み、計画、植え付け、機械操作などを担当した。花蓮の康天徳(コン・ティエンドー)居士は志学農場の顧問として、田植えの時期や草取りのタイミングなどを惜しみなく教えてくれた。桃園のボランティアチームは石拾いや草取り、カモやアヒルの侵入を防ぐ、防鳥ネットの設置などの役割を担った。台中チームは、灌漑水路の開通と維持、有機肥料の施肥などの重労働を担当した。毎月の畦道の草取りは苗栗チームが担当し、台北チームは農小屋の建設を行った。嘉義のボランティア、葉麗卿(イエ・リーチン)さんは、農場の行政業務のために資格を取得し、花蓮のボランティア、陳慕湘(チェン・ムーシャン)さんも、一緒に行政業務の流れを担った。

ボランティアチームの協力と連携による努力が、農場の運営をより円滑にし、農場に常住して五年の賴師兄と邱桂珠(チュウ・グイヅゥー)師姐の夫婦と農場スタッフの呉紹民(ウー・ヅァオミン)さんは、毎日田んぼの水の管理を行っている。徳恒師父は、皆が黙々と耕作し、福田を守っていることを称賛した。徳愉師父も感謝の言葉を尽きることなく述べた。「ボランティアは、これは精舎が使うものだから、しっかりと守らなければならないという思いでいるだけなのです。その心がなければ、できることではありません」。

草取りしよう!

志学農場は精舎から車で約三十分の距離にある。数年前、徳慈師父と農場の責任者の師父たちが、常住師父たちと一緒に食事や縁結びの品を準備して、農場でボランティアに感謝の気持ちを伝えたものだ。

後輩の常住衆たちが農場の運営や収穫をより理解し、農業の苦労を体験できるようにと、この二年間、八人の責任者の師父たちも皆を引率して、「挲草(ソーチャウ、台湾語:膝をついて草を取る作業)」に参加した。二○二四年八月中旬、常住衆たちは農場に行き、「挲草」作業を行った。みんなが一列に並んで、田んぼに足を踏み入れたとたん、まるで泥沼に足を取られたような感じで、足を引き上げようとしても、実に「抜き差しならぬ」状態だった。

田植えから約一週間後に「挲草」が始まる。「一般的には多くの場合、農薬を使って病害虫を駆除し、雑草の成長を抑制するのが慣例です」と徳恒師父は説明した。農薬を使えば「挲草」する必要はないが、田んぼの生態系を壊すことになる。有機農法では農薬や化学肥料を使わず、生命を尊重し、生態系をそのまま保つため、「イヌビエ」(水稲に似た雑草)が発生しやすくなる。イヌビエは種子が小さく密集しており、稲よりも早く成長し、土に落ちるとすぐ成長するので、適時に抜き取る必要がある。

草を取るのに腰を曲げずに済むように、ボランティアたちは長い「穴じゃくし」を発明した。それを使って、イヌビエを泥の中に押し込み、一方で雑草を取り除き、同時に苗が根を張るのを助け、酸素の含有量を増やして、風雨にも耐えられるようにし、しっかりと成長できるようにしている。

「土地を耕す農夫は、良い種子を大切にし、有益な収穫を得るべきです」。法師は皆に「悪しき知識を捨て、近づかないように」と開示し、「心の畑や良い種に害を与える雑草を見つけたら、すぐに取り除き、善い念をしっかり守り、悪い念が生まれないようにすべきです」と教えている。

(撮影・釈徳倩)

食卓に並ぶご飯の一粒一粒が辛勤の結晶

有機農法の水田は生態が豊かで、アヒルやカモが水遊びをし、スズメが餌を探すのに最適な場所である。

根がまだしっかりと張っていない苗が踏まれて倒れるのを避けるため、植え付け後には田んぼの周囲に「愛の防護網」を張らなければならない。ボランティアの呂春桃(リュ・ツゥンタオ)さんはこう共有している:「細い糸を張らなければ、夕方から明け方まで、ボランティアは徹夜で交代しながらアヒルやカモを追い払わなければならないのです」。

徳恒師父によると、防護網があっても、「小鳥たちはとても賢いです。彼らはお互いに協力し合い、細い糸の上に立ち、群れの重みで糸を押し下げ、何百、何千羽もの家族が通り抜けることに成功し、美味しそうにお米を食べるのです」。しかし、と徳恒師父は慈悲深く続けた。「彼らに食べさせてあげましょう。ただ、全部食べ尽くさなければいいのです」。これも法師が常住衆に教えたことである。「小鳥たちが残したものが私たちのものなのです」。

(写真提供・甘清文)

(撮影・蕭耀華)

豊かな収穫 漂う米の香り

二〇二四年十一月中旬、連日雨が降り続いたので、収穫は下旬に延期された。桃園チームと屏東、 高雄のボランティアが集まって、防護網を撤収し、雨が止むのを待って、稲刈り機が金色に輝く稲田に入ると、皆の心は感動で満たされた。風害の試練を乗り越えて、残った稲穂は、一粒一粒しっかりと実っていた。稲刈り機が残した稲穂を丁寧に拾い上げると、手にしたそれらの稲穂がどれほど貴重なものであるかを実感した。

斎堂(食堂)では、訪問客が精舎のご飯を絶賛する声をよく聞く。徳倩(ドーチエン)師父も、あるインドネシアの慈済人に食卓で尋ねられたそうである。「このお米はどこで買ったのですか?ご飯が本当に美味しいですね!」。

これは単なる形容詞ではない。事実であり、真心を込めて実践した結果得られた収穫なのである。精舎の厨房でご飯が炊き上がると、いい香りが四方に広がる。徳恒師父は、ボランティアの勤勉な耕作に感謝した。「ただの有機栽培ではありません。私たちが自分で米を精米し、精米したてのものを炊いています。そうすることで酸化しにくく、栄養が失われません。食べると、甘くて豊かな香りがします」。

汗を流して得た「幸せ」の体験は、長い間にわたる一粒一粒の米への努力の結果である。私たちが口の中で米の香りを味わうとき、その幸せを知り、感謝し、そして再び幸福を造ることを忘れてはいけない。

(慈済月刊六九八期より)

(撮影・釈徳澡)

(撮影・蕭耀華)

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