菩薩は不請の友 人の心を和らげる

今回の地震は多くの人を恐怖に陥れました。慈済人は台南で修繕に投入し、被災者に安らぐ居住環境を与え、復旧に尽くしました。

各地から集まった人間(じんかん)菩薩が、災害のあるところに速やかに現れて人々を慰めていることに感謝します。どこに苦難があっても、直ちに衆生のニーズに応えて奉仕しているのです。

一月二十一日に発生した嘉義大浦地震は、隣接した台南市楠西区にも被害を及ぼしました。幸いに人々は大方、平穏無事でしたが、大自然の力は家屋に亀裂を入れるほどの威力がありました。急に修繕職人を探すのが困難だったため、北部、中部、南部の慈済ボランティアが駆けつけ、台南に集まって修繕を行いました。彼らは暫くの間、自分の仕事や事業を差し置いて、志業精神で投入し、どの職業に属しているかに関わらず、皆が同じ信念の下に行動を共にしました。

今回の災害で、私は色々考えましたが、口にすることはできませんでした。年越しが近いうえに、天気は寒く、高齢のボラティアが多かったのですが、皆は、私が被災者を見捨てないことを知っていて、師弟の心は通じていました。皆、気力を奮い立たせ、努力して仕事を急ぎました。一日でも一時間でも早く修繕を終えれば、被災者が安心して生活できるのです。

今回の地震は多くの人を驚かせましたが、菩薩は不請の友となりました。一つの行動によって、被災者は速やかに落ち着きを取り戻し、安心できる住まいと仕事によって、通常の生活に戻ることができました。台南現地のボランティアは、細心の注意を払って、責任を担い、各地から来た修繕ボランティアに宿泊場所を提供しました。大地の大きな揺れが発生した後、南部のボランティアは誰よりも早く災害援助に投入し、両手で被災者を抱擁して、彼らに温もりを感じてもらいました。

この人間(じんかん)菩薩たちは、あらゆる方面から現れ、どこかに災難があれば、直ちに駆けつけて人々を慰め、どこかに苦しんでいる人がいれば、直ちに人々の苦しみに対して奉仕してきました。皆さんの愛の心と発心に、私はとても感謝し、尊敬しています。災難は私たちから遠く離れたところにあるのではないといつも感じるのですが、誰もが常に無常を感じてこそ精進できるのです。常に良い考えを持っていれば、人間(じんかん)に幸福をもたらすことができます。

私たちは時と因縁を逃さず、迅速に前進しなければなりません。慈済は、間もなく六十周年を迎えます。「一日五十銭の貯金」から人助けが始まり、一歩一歩偏ることなく、時を経て長い道のりを歩んできました。情が長く続き、愛もまた広まりました。五十銭というわずかなお金は、六十年前でも大した数字ではありませんでしたが、この一点一滴が慈済の起源なのです。尊さは五十銭という金額にあるのではなく、毎日善行する心掛けです。こんなにも多くの人が喜んで応え、そして現在に至っていることが、最も尊いのです。

私はこの良縁に心から感謝しています。こんなにも多くの善人が私と大きな縁によって結ばれ、みんな一緒にこの道を進み、共に多くの国や地域で奉仕しているのです。この縁を不思議に感じます。生涯、私の世界はこのテーブルと椅子であり、この空間から離れなくても、毎日慈済人の愛の心と共に、世界を旅しています。たとえ慈済人がどの国に居ようとも、変わることのない誠意を抱いて、お互いがどんなに遠く離れていても、まるで一緒にいるかのように、長く続く情と大愛を共有しています。私はこれこそが福であり、そしてこの福縁が広まり続けていると感じています。

人の心が善に向かえば、社会は平和になります。調和のとれた社会を築くためには、能力のある人が貧しい人を助ける必要があります。あなたが彼を助ければ、彼の見返りの愛はさらに多くなります。なぜなら心の中に感恩の気持ちがあり、この「恩」が種となり、この感恩の心があなたを祝福するからです。

衆生の苦しみは貧と病にあり、心にある煩悩からきています。どの国にも貧富の差はあり、慈善の仕事は苦難の人を救うことです。仏教で言う「菩薩」とは、彫像ではなく、人間(じんかん)に仏法を広めて真に衆生を利し、衆生を救う人のことです。

仏陀がこの世に来られた一大事因縁とは、衆生を渡すためであり、現代のこの世はより仏法を必要としています。自分の歳を思うと、私は仏陀の教えを充分に発揮していないように感じます。恩師は私に「仏教の為、衆生の為」という言葉をくださいましたが、それが達成したかどうか、私は未だ自分に満足していません。それでも、慈済人が私の話を心に聞き入れ、発心立願して法を伝えています。師の心を自分の心に伝えるだけでなく、家庭にも伝え、地域や社会にも伝えなければなりません。

一人一人が善念を高めることが、即ち共善であり、なお万万千千(ばんばんせんせん) の善によって、共に幸福をもたらしてこそ、災難をなくすことができるのです。他の菩薩を迎え入れ、自分も菩薩になって菩薩精神を発揮するのです。自分の人生を振り返り、心に抱いたあの一念、最初の一歩の価値を改めて見直すのです。新たな一年でもう一度、限りなく続く心を奮い立たせ、世間のどこかで私たちを必要としていれば、そこへ駆けつけるのです。この広い世界には、慈済の大愛と長い情があり、苦難にある人々に尽くしています。皆さんが心して精進するよう願っております。

(慈済月刊七〇〇期より)

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