責任を引き受け、その重さを知ることで、
「やり遂げた」という心が軽くなる喜びを感じることができるのです。
慈済の慈善活動の特別な点
日本の岩手県大船渡市で、二月二十六日から山林火災が発生しました。慈済は四月に現地を訪れ、見舞金と共にエコ毛布やショールを配付しました。さらに、ボランティアは自ら温かい食事やお茶菓子を作り、地元住民の心と体を愛で温めました。思えば二〇一一年に東日本大震災が発生した際に慈済人が最初に駆けつけた被災地、それが大船渡市でした。そして、十四年前に蒔いた愛の種が今、芽を出して成長し、地元ボランティアになったのです。
四月六日、宗教処スタッフの報告を聞いた後、上人は次のように語りました。「一般の人は平穏無事な時には苦しみを感じることはなく、『無常』という概念もないかもしれません。しかし、突然災害に見舞われると、苦しみと無常を痛感するものです。東日本大震災の後も、慈済人と東北の被災地の人々がこのように絆を維持していることに、心から感謝しています。本部は地元ボランティアと緊密に連携していきます」。
「これまで、私たちはこの絆を強くして大切に保ってきました。これこそが慈済と他の慈善団体との違いなのです。慈済は大衆の小さな愛の力を集めて大きな力に変えています。必要性が出てくると、まず能力があるかどうかは考えず、『やればいい』という信念で行動します。資金はどこにあるのでしょうか?まずは信念を持ち、社会への信頼も持つことが大切です。『自分は無私であり、人には愛がある』という信念です。普段から『信頼され、頼れる存在』というイメージを築いておけば、私たちが世のために行動を起こす時、力不足を恐れることはありません」。
上人はこう続けました。「日本は国力が強く、国民性として尊厳を重んじています。しかし、慈済人は災害が発生するといち早くボランティア精神を発揮するのです。だからこそ、地元で災害が起きた時に、地元の慈済人が動員されるようにと願っています。それでこそ、責任を果たすことができます。責任を担うことでその重さを知り、慈済の活動経験を積むことで、『やり遂げた』という達成感で心が軽やかになり、喜びを感じることができるのです」。
「私は、日本の慈済人が被災地で炊き出しをし、人と人との交流を大切にし、長期的に寄り添い続けている姿を見ています。悲しみに暮れる高齢者や女性、子どもたちを温かく抱擁してお世話をし、菩薩の精神を実践しています。そのため、どの国や地域で災害が発生しても、情報を受け取ると迅速に被害状況を把握し、地元の慈済人が無事かどうか、支援が必要かどうかを積極的に確認すべきです」。
法縁者と共に力を出す
四月二十五日、慈善事業の管理職及び職員たちと懇談した際に、初期の写真の中の一枚、訪問活動時に乗っていたバスが川床にはまって委員たちがバスを押している写真について、上人は次のように述べました。「初期の頃は人数も少なく、力も弱かったため、すべて自分たちで行いました。委員を連れてどれだけ歩き、どれほどのこの世の苦難を目にしてきたでしょうか。いつも人々の苦しみはいかばかりかと思い、その姿が頭から離れませんでした」。
上人は次のように当時を振り返りました。「その時、空が灰色になって小雨が降り始めたので、とても心配していると、大型バスが川床の砂利にはまってしまいました。委員たちは力を合わせてバスを押し、運転手も懸命にアクセルを踏みましたが、押せば押すほどタイヤは空回りし、車体は傾き、片方のタイヤはさらに深く沈んでいきました。委員たちは皆主婦でしたから、どうすることもできず、途方に暮れていました。当時は携帯電話もポケットベルもなく、連絡手段はありませんでした。幸いにも、地元の住民がトラクターで、バスを引っぱり出してくれました」。
またこう述べました。「慈済を始めて以来、様々な問題に遭遇すると、バスが川床にはまったこの時のような気持ちになったものです。無謀とも言える挑戦をして、一般の人は多くの資源と努力を要すると感じることを行っていました。しかし、幸いにも良い縁に恵まれ、これだけ多くの人々に支えられながら、進んでくることができました。バスが困難な状況に直面した時のように、多くの支えを受けて乗り越えることができたのです」。
「慈済人は今、世界六十八の国と地域に広がり、一緒に世の人のために活動しています。皆が心して大きな力を出しており、このような見返りを求めずに奉仕するという大愛のエネルギーは、とても貴重なものです。私たちが地に足をつけ、昔、川床でバスを押した時のように、志を同じくした法縁者と共に力を合わせましょう。そこで止まってしまうのではなく、皆で共に努力をしてください」。
(慈済月刊七〇三期より)
岩手県大船渡市では、2月末にこの30年間で最も大規模な山林火災が発生した。ボランティアは4月5日から6日にかけて被災した地元住民にお見舞金を手渡した。(撮影・呉惠珍)
1970年、半年に一度の台湾慈善再訪問の途中で花蓮県鳳林鎮の六階鼻川を渡ることになったが、乗っていたバスが川床にはまってしまい、全員で力を合わせてバスを押した。(撮影・證厳上人)


