台東での障害者歯科施療─半年前の約束 愛で包み込む

懐中電灯とヘッドランプで入所者の口を照らしながら、医師は丁寧に診療していた。全てのスケーリングをするベッドには、看護師と歯科助手、配管ボランティアが付いているが、さらに巡回医師が加わって一緒に安全を見守っている。

渡り鳥に似た毎年二回の集いで、二百人余りのボランティアが台湾全土から台東にある三つの養護施設に集まり、植物状態の人やディスアビリティ、心身障害者などに歯科の施療を行っている。

大勢で一床を取り囲み、最も行き届いた心遣いで、医者に行けない問題を解決し、家族の心の痛みを和らげている…。

「ママはここにいるよ。もうすぐだから、力を抜いて。ハンサムになるわよ!」陳世隆(チェン・スーロン)さん夫婦は毎週、創世基金会(Genesis Social Welfare Foundation)台東分院へ息子の泰佑(タイヨウ)さんを見舞いに来るが、その日だけは特別だった。七年前、泰佑さんは大型バイクで転倒事故を起こし、植物人間になってしまった。歯の治療のために、何軒もの歯医者に助けを求めたが、反応がない上に、気管切開をしているため、医師たちは治療できないと考え、丁重に断った。

二〇二二年、彼は創世緩和ケアホームに移ったところ、慈済人医会が定期的に歯科の施療を行っていたので、泰佑さんの黒っぽくて黄色だった歯が白くなった。

「泰佑が二回瞬きをしました。先生にお礼を言っています!」。息子は事故を起こしてから、去年十一月に初めてスケーリングしてもらったので、ずっと慈済のチームに会えることを楽しみにしていたが、やっと願いが叶った、と言った。「今日、こんなにたくさんの人が泰佑のために尽くしてくれるのを見ましたが、本当に思いもかけないことでした。こんなに素晴らしいチームがあることに心から感謝しています!」

陳世隆夫妻(右後方)は、慈済人医会チームが息子のためにスケーリングの準備をするのを見守っていた。

歯石が溜まっても、口で言えない苦しみ

北部、中部、南部、東部から来た慈済人医会の医療スタッフ合計二百十三人は、五月二十日と二十一日、台東仁愛の家養護センター、創世社会福利基金会台東分院、馬蘭栄の家附属慎修養護センターの三つの施設で、ディスアビリティのお年寄り、植物状態の人、心身障害者に、歯科と耳鼻咽喉科、外科の施療を行い、延べ三百人に奉仕した。

特殊な要求を必要とする歯科患者は、特別な臨床ケアが必要で、一床につき二名の歯科医を配置して相互にサポートし合う。アシスタントには看護師または特殊な訓練を受けた歯科助手を配置し、二人から三人が両側に分かれて立ち、患者の口の中の水分を吸い取り、器具の受け渡しの担当をする。ベッドの端には看護師または医師が一人いて、パルスオキシメーターを監視し、随時、血中酸素濃度に注意を払う。スケーリングする時、ひとたび水が気管に入ってしまえば、呼吸困難を引き起こし、血中酸素濃度が低下する。また、電気・水道設備工事ボランティアが側で待機し、機械が正常に作動するよう見守っている。巡回する医師も警戒心を持って待機し、緊急事態が起これば、直ちに対応できるようにしている。皆で方法を考えて、力を結集させることで、何重にも患者を保護し、最も安全な状態で治療を行えるようにしている。

花蓮慈済病院歯科部門の障害者歯科主任の李彝邦(リ―・イ―バン)医師は二〇〇七年、日本歯科大学で口腔在宅医療を学んだ。翌年、慈済人医会は創世基金会台中南屯分院から、植物状態の人が歯科の受診を必要としているが、ことごとく壁にぶつかっているという質問を受けた。そこで、台湾中部慈済人医会は初めて遷延性意識障害者施設で施療を始め、李医師と十数人のボランティアが三十人の植物状態の人に、スケーリングと治療を行った。

「初めて植物状態の人に施療をした時、私は泣きながら帰りました。それまで、あれほどの苦しみを抱えている患者を見たことがありません。まるで魂が牢獄の中に閉じ込められているようで、歯が痛くても声に出せないのです。ここで私たちはお手伝いしなければならない、と思いました」。

「彼らの歯石はコインほどの大きさになっていて、虫歯や歯周病も非常に多いのです。全部の歯をスケーリングするには、一人当たり一時間余りかかり、時には二、三回スケーリングしてやっと、歯石を完全に取り除くことができるのです」と李医師が言った。口のケアをしっかりしていないと、歯周病や虫歯になりやすく、そこから誤嚥性肺炎などを引き起こすリスクがある。歯周病の細菌が血液に入って心臓に影響を与えたり、脳に感染して腦膿瘍を引き起こしたり、血管に炎症を起こしたり、詰まったりすることで、脳卒中の確率が高くなるのだ。

毎回、次の動作に移る前に、李医師は患者を尊重して、一通り説明する。「スケーリングは痛いですよ。申し訳ありませんが、少し我慢してください」。特に植物状態の人の歯を治療するには経験が必要である。例えば、素早く歯石とスケーリングの時の水を吸い取り、水が口から溢れるのを防ぐ必要がある。彼は通常、心で十から二十数えると、一回スケーリングを中止する。患者が安全だと感じる姿勢を勝手に変えてはならない。ベッドを約四十度から六十度の角度に起こす必要があり、さらに首の後ろに枕を入れて、気管に角度がつくようにする。その時、患者は顔を下に向けた状態になる。頭が後ろに傾くと、水が容易に直接気管を通って肺に入ってしまう。

医師は寝たきりの患者に合わせて腰を屈め、時には長時間ベッドに身を乗り出して治療するので、首と腰部が痛くなるため、腰にサポーターをつけて診察することもあるが、どの医師も施療に喜びを感じ、皆、休みを取って自腹で何度も参加する。

二〇〇八年から既に十五年になるが、慈済人医会は三カ月に一回、創世台中南屯分院に赴いて施療を行っている。施療する場所は南屯創世に始まって、今は苗栗創世、南投草屯創世、新竹創世、台北華山創世、基隆創世、新店創世、台東創世まで増えた。植物状態の人が歯に痛みを感じ、歯茎に炎症が起きている時は、絶えず涎を垂らす。スケーリングすると、炎症による異臭はなくなり、施設内の空気も清々しくなって、臭気もなくなる。口の細菌が減り、肺炎に感染して入院する患者も減る。看護スタッフの負担が軽減するだけでなく、家族が見舞いに来る時も、近づき易くなる。

苦労は厭わないが、怖いのは孤軍奮闘

「噛まれたらそれは痛いですよ!しかし私は彼らがわざとやっているのではないことを知っています。もし私がその立場だったら、医療スタッフに理解してもらいたいと思うでしょう」。慎修センターのある高齢の患者は絶えず叫び続け、診察を拒み、黄文国(ホワン・ウェングォ)医師の手をきつく噛んだまま離そうとしなかった。

台北慈済病院歯科主治医の黄医師は、特殊需要者歯科向け外来に投入して既に二十年が過ぎた。診察室を訪れる患者の半数は精神疾患患者で、次に多いのが身体障害者である。一部の心身障害者は、警備員の協力を得てもスムーズに診療を終えることができない。

ある躁うつ病患者が診察室でぐだぐだと一時間余りも話し続けたため、一度助手が手を挙げて止めるように言ったが、その患者は憤慨して、助手の手を払いのけたことがある。黄医師は我慢強く耳を傾け、適時に諭した。患者は最後に、「私の話をずっと聞いてくれてありがとうございます。もうその人を殺そうとは思いません」と言った。

また、最後の別れを告げにきたと言う患者もいた。自分はすでに七日間、絶食していると言い、黄医師が長年にわたってケアしてくれたお蔭で、歯が痛くなくなったことに感謝した。黄医師は直ちにソーシャルワーカーに連絡すると同時に、その人を落ち着かせた。そして、慈済病院の懿徳ママが医療スタッフに贈ったプレゼントを彼にあげると、なんと患者は土下座して何度も礼を述べ、四日後の再診の時には、「気分が良くなりました」と言った。

黄医師は幼い頃から、父親に言い聞かせられてきたそうだ。「家族の面倒をきちんと見ること。能力が出てきたら、人を助けること」。彼は父親の言葉を胸に刻み、全身全霊で医療のプロとして人助けをしている。「しかし、私も歳をとって来たので、まだ働ける間に、若い人にバトンを渡したいのです!」と黄医師は最も心配していることを話してくれた。

障害者は容易に協力してくれない。医師は収入があまり高くないのに比べ医療リスクが高い。新人医師はいつも、三カ月もしないうちに辞めてしまう。黄医師は、苦労は厭わないが、外来でも施療でも、若い人材が続けて入って来てくれることを願っている。

李姿瑩(リ―・ツーイン)さんは、高雄医学大学慈済青年サークルの先輩格で、卒業後研修医(post graduate year)をしていた時、どの専門歯科を選択しようかと悩んでいた。ふと頭に浮かんだのは、彼女が大学五年生の研修の時、台湾障害者歯科医療の開拓者で、心身障害者歯科外来の創設者でもある黄純徳(ホワン・ツゥンド)医師が障害者の手を握って、患者に歌を歌っていた光景だった。それは彼女に、以前、慈青医療ボランティアチームに参加して患者に付き添った経験を思い起させた。「私は人生を有意義なものにしたいから、子供と障害者専門の歯科を選ぶことにしたのです!」。

二〇一七年、李さんは慈済人医会の施療活動に投入するようになり、翌年、後輩で大学三年生の黄子旻(ホワン・ヅーミン)さんを台東施療活動での歯科助手に誘った。黄さんは卒業後、去年初めて歯科医として台東施療活動に参加した。

李さんは以前、證厳法師が彼女に話したことを思い出した。「若い人を施療活動に誘うのは、実はそれほど困難ではありません」。そこで今年、勇気を出して、先輩の廖官瑄(リアォ・グヮンシュェン)医師と一緒に、母校の慈青サークルで青年医療ボランティア養成講座を開いた。十人の在校生と卒業生が参加してくれた。口腔の保健指導や医師について診療テクニックなどを学ぶ課程を組み入れた。そして順次、高屏地区慈済人医会の施療活動と協力し、今回の台東施療活動には五人の学生が参加した。

李さんによると、若い人は素直で熱意がある。国際的に著名な人類学者、ジェーン・グドール博士が言ったように、「若い人が集まれば、世界を変える力になる」。そして、彼女はその力の心強い後ろ盾になることを決めた。

陳清家(チェン・チンジア)医師は台東の人で、台東県歯科医協会の理事長である。三、四年間、健康保険医療チームが養護施設で行っていた障害者歯科診療に参加したことがあり、二〇二〇年十一月、初めて慈済人医会の施療活動に参加した。施設内にエイズ患者がいると知っていたが、彼は怯むことはなかった。「自分をしっかり守れば問題はない。みんながやっているから、私もやるのです」。

施療活動はコロナ禍で二年間中止されたが、二〇二二年十一月、彼は再び施療活動に加わり、初めて創世で植物状態の人のためにスケーリングをした。不安は収まらなかったが、幸いにも同じチームの李彝邦医師が数多くの診療テクニックを教えてくれた。また、医療チームにこれほどたくさんの人が一緒に患者をケアしているのを見て、彼は気持ちが大分落ち着いた。

植物状態の人がスケーリングの時に突然涙を流したため、彼はとても驚いたことがある。患者が痛みからなのか、それともたくさんの人の心遣いに感動したからなのかは分からなかった。皆優しく、「私たちはお手伝いするために来ているのですよ」と労った。

妻の呉彦嬋(ウ―・イェンツァン)さんと息子の陳道宜(チェン・ダオイー)さんも参加して助手を担当した。妻は彼と一緒に施療活動に参加できたことに心から感謝した。道宜さんは丁度一回目の国家試験に合格したところで、まだ研修医だった。陳さんは息子が施療活動で技術や経験を学ぶだけでなく、将来、大愛精神を生涯の医療志業の中に溶け込ませてほしいと望んでいる。

施療開始前、ボランティアは、医療チームがスムーズに診察できるように、配管や配線の取り付けに忙しかった。

定期治療にまた来ます

創世基金会台東分院の王玉鳳(ワン・ユ―フォン)院長は、二〇一六年、慈済人医会が初めて施療に訪れた時、四十数名の医療スタッフとボランティアが来てくれたことに、彼女はその場で感動して涙を流し、「まるで一筋の暁光が射したようです」と言った。

二〇一四年に台東分院が開院した後、彼女は現地で口腔医療ケアのリソースを見つけることができなかったが、台湾全土から集まって、遠く離れた台東で患者に奉仕しているチームがあるとは思ってもいなかった。活動終了間際、王さんは、「次の機会はあるのでしょうか」とひどく心配した。謝金龍(シェ・ヂンロン)医師や李医師などの多くの医師は迷うことなく、「私たちは必ずまた来ます!」と答えた。

毎年五月と十一月、慈済人医会は定期的に、台東での障害者歯科施療を行っている。新型コロナの感染が拡大した時期、施療は中止せざるを得なかったが、医療チームはオンラインで継続してケアした。「昨晩、台東の地震はやや大きかったようですが、院長も入所者も大丈夫でしたか?」、「院長と入所者のことがとても懐かしく、彼らの口腔の健康が心配です」、「施療活動が早く以前のようにできるよう願っています」……。

コロナ禍が落ち着くと、去年十一月に施療活動が再開し、王玉鳳さんは、「彼らが来るのを見て、私はまた泣いてしまいました。彼らは私たちのことを忘れていないのです!」

李彝邦さんは患者に歌を歌ってあげるのが好きで、患者の気持ちが落ち着く。「歌ってあげると、植物状態の人は、血中酸素濃度が上がることもあるのです!」若いマイさんは交通事故で脳が損傷し、創世台東分院に来て半年になるが、奇跡的に意識を取り戻した。李医師は、マイさんが台湾の歌手ジェイ・チョウの歌を聞くのが好きだと知っていたので、「虹」という歌を特別に練習して歌って聞かせた。マイさんは聞きながら笑顔を見せた。李医師は、リハビリをしっかりやるよう励まし、「杖をついて歩くことができるようになったら、台中に遊びに連れて行ってあげるよ!」と言った。

「初めは十数人だったのが、今では二百人余りになっています。本当に別の意味での奇跡だと思います」と李医師が言った。

「慈済に参加しているから、これほど多くの志を一つにした医師とボランティアを見つけることができ、本当に素晴らしいと感じました。皆が力を結集させたことで、一度にこんなにも多くの人の口の健康ケアをすることができたのです。あらゆる善の心やポジティブなエネルギーがここに集まって、彼らの苦しみを取り除いているのです。私は、慈済にいることはとても幸せなことだと思います!」。

(慈済月刊六八〇期より)

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