経典劇を演じる 《靜思法髓・妙法蓮華経》
二千五百年余り前、仏陀は霊鷲山で『法華経』を説法した。現在この時に、私たちは『静思法髄・妙法蓮花経』の経蔵劇を演じ… Read More »
それぞれ苦難が異なる衆生に、臨機応変に対応する
問:現代社会の福祉資源は多様化していますが、慈済慈善活動の特色は何ですか?… Read More »
一緒に霊山法会に参加しよう
慈済五十五周年にあたり、慈済手話による『静思法髓・妙法蓮華経』の経典劇が五月三日と五日に初めて花蓮の静思堂で上演さ… Read More »
仏陀が悟りを開いた心境を追い求める
法華経の精神とは、仏陀が悟りを開いた精神に他なりません。
心境は無限に広々として、宇宙萬物の真理に透徹しています。… Read More »
『どの瞬間も良い時』─山を乗り越えてから
この本を読んでくださっているあなたに感謝したい
ここから何かを得られるものがあれば、本当に嬉しい
私が困惑の中で体… Read More »
世界で新型コロナウイルスの感染が再び拡大─呼吸が贅沢として感じる時
各国でワクチン接種が実施されているが、新型コロナウィルスはいまだ津波のように世界各地を襲っており、五月の感染者数は… Read More »
無形の法理、有形の表現
「優人神鼓」の音楽総監督・黄誌群(ホワン・ジー
チュン)さん(左一)は、音楽を創作し、団員を率いて、「六瑞相(六つ… Read More »
衆生と霊を護り、疫病の厄災を鎮める
疫病の大災害は、人類が阻止できるものではなく、
口の欲が続けば、世の安泰は難しいでしょう。
敬虔に戒慎し、斎戒して… Read More »
天から任された重責を皆で担う
一人でも多くの人が愛の心を尽くせば、
それだけ力は大きくなります。
一人一人が時代の重責を担うことで、
この世紀の… Read More »
慈済の創設記念日 寿桃に秘められたソフトパワー
三種類の中華まん生地を最高比率で混ぜ合わせ、それを繰り返し揉み推しした後に形を整えて発酵させ、高温で蒸し、凹みを付… Read More »
七月の出来事
07・01
慈済基金会は「弱者世帯学生夏季栄養救済プロジェクト」で、コロナ禍の影響によって生活に影響が出た弱者世帯… Read More »
慈済チームが自発的に集結─二つのサイクロンに襲われたモザンビーク
モザンビークの大統領はメディアを通じて、まもなく上陸するサイクロンに警戒するよう国民に呼びかけた。しかし、携帯電話… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
新書のすすめ
證厳上人のお諭し
特別報道
行脚の軌跡
防疫と人助けの両立
七月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。