(絵・林順雄)
一人でも多くの人が愛の心を尽くせば、それだけ力は大きくなります。 一人一人が時代の重責を担うことで、この世紀の疫病の荒波の中でも人々の苦難を一変させることができます。
この世紀の新型コロナウイルスの蔓延に一年以上も向き合っていますが、人々の心に残る無念さ、憂いは言葉で言い表すことができません。この時期に台湾の医療人員は大変重い責任を担い、分秒を争って貴い命を救っています。毎朝行われる慈済医療志業との会議では、各病院の医療スタッフが自分を顧みず、貴い命と愛を護ろうとしている姿に感動すると共に感謝しています。皆、疲れ切っていると思いますが、人々の健康のために、引き続き努力して重責を担っています。
医療スタッフは、職業の使命と家庭の平穏を両立させています。仕事に打ち込めば、感染することを恐れるため、何日も続けて家には帰りません。彼らが身につける何重もの防護装備は、頭から顔、体を密封するため、空気が通らないばかりか、水を飲むのも困難です。
医療スタッフはまるで鎧を身にまとった戦士か大将のように、兵士を引き連れてウイルスという大敵と戦っています。ウイルスは目に見えず、触ることもできないため、完璧に防護するだけでなく、愛の心で患者を安心させています。私は毎日、各院長たちに、医療スタッフは患者を護る前に自分を護るようにと注意を促し、私の代わりに病院のスタッフを護り、感謝の言葉を伝えてくれるようお願いしています。
志を守って道に身を奉じ、勇敢に担っている医療スタッフを何より大切に思っております。ですから、私たち自身のスタッフを思いやるだけでなく、台湾のあらゆる医療機関に関心を寄せ、防護物資を必要とする時は、世界中の慈済人が心を一つにして支援しています。慈済の四大志業は既に一斉に動き始めています。医療志業は感染患者の苦しみと恐怖心を優しく思いやり、慈善志業は各地の医療志業の後ろ盾となっています。また、教育志業と医療志業は切っても切れない関係にあり、心して資源を統合し、関連薬剤の研究開発に努めています。人文志業は真実を正しく報道して、人心の安定に努め、大衆に正しい予防方法を理解してもらうと同時に、敬虔に菜食し、それが健康への道であり、防疫にもなることを呼びかけています。
益々高まる感染拡大に対して、恐れ慄いても仕方なく、それよりも戒慎し、敬虔になることです。自分の生活や行動が欲望のためだったのかどうかを反省し、心から目覚めて、殺生を戒め、斎戒して敬虔な心を表しましょう。人間は肉食しなければ生きて行けないことはありません。動物には動物の世界があり,互いに領域を侵さず、共生共存してこそ、調和のとれた天地となるのです。もし、生命を殺めて自分の口の欲を満足させることが当然だと考えているならば、その殺生が業を造り、秩序を乱し、衆生の共業となり、その逆襲の力は怒涛の津波のように、抵抗し難いものになります。
動物の体には多くの病原体が潜んでいるため、それを口に入れないことが最も効果的な防疫なのです。菜食でも充分な栄養があり、清潔で汚染されてなく、安心して食べることができます。誰もが一言でもよい話をすれば、口の徳が一つ増えるように、生霊の肉を一口でも食べなければ、口の徳がまた一つ増えることになります。一人一人が菜食をすることは、一食で多くの生き物を放生することになり、無量の功徳を成就させることになるのです。
誰もが影響力を発揮することができます。ネット上で指を一本動かすだけで、菜食に関する情報が送り出され、一秒で世に伝えられて、世界中の人がその場で斎戒して、福を造ることができます。誠心誠意、人と菜食の道理を分かち合えば、心から納得して貰え、一日三食を安心して食べることができるようになります。
このコロナ禍では、医療に関わる人全てが、心して仕事に投入することで、大いなる無畏施㊟の実践をしていると言えます。また、社会を守る警察官と消防士に対しても、より一層相手の気持ちになって、思いやりと尊敬の念を持つべきです。感染防止は第一線だけではありません。「天の将に大任を斯(こ)の人に降さんとするや」という言葉がありますが、この人とはあなたのことであり、私のこと、皆んなのことであり、コロナ禍の中では、誰もがこの時代の「大任」を担う責任があるのです。そして、この世に尽くし、発心立願して人間(じんかん)の苦難を覆す菩薩となるのです。一人でも多くの人が愛を奉仕すれば、それだけ福は多くなります。一人一人が愛に富むようになれば、この世も大きな福に包まれ、災難をなくすことができるのです。
㊟無畏施‥三施の一つ。人に畏れの念を起こさせず、恐怖心を取り除くこと。
あらゆる慈済人に感謝しています。私の話をよく聞いて寄り添い、心から責務を担って投入し、奉仕することに期待しています。世の人の愛を結集して最も緊急で苦しんでいる人を助けてくれていることで、私の肩の重荷は軽くなります。フィリピンの貧困者が慈済の支援を受けた時、所持金が小銭一つであっても、それを人助けの為に差し出した姿を目の当たりにしました。人々が自分相応の奉仕をするのが、この世の美しさです。その美しさは人々の病苦を知って、富める心で喜んで奉仕し、相手が救われたことを見た喜びです。僅かな布施が漏れずに集まれば、愛のエネルギーはもっと密度の濃いものになります。
今回の感染症は「大いなる教育」だと言えます。人類は今、道理を聞くだけでなく、その道理を行動に移すべきだと教えているのです。生命は正にひと呼吸の間にあり、今生のあらゆる時間を有意義に使い、縁を把握して重責を担い、天下の善行を成し遂げるべきです。自ら善法を実践し、人々を善行に導くのです。皆さん、心して励んでください。
(慈済月刊六五六期より)