一緒に霊山法会に参加しよう

編集者の言葉

慈済五十五周年にあたり、慈済手話による『静思法髓・妙法蓮華経』の経典劇が五月三日と五日に初めて花蓮の静思堂で上演された。これは、二〇一一年の『法は水の如く』経典手話劇に続く、大規模な仏教の法会である。

それと同時に證厳法師は、インドの新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めが掛からず、既に二十数万人が亡くなっていることを心配していた。慈済は五月六日、オンライン祈福会を催した。慈済の医療体系を含む世界二十五の国と地域の慈済人が参加し、心と愛を募ってインドに医療物資と生活物資を支援し、現地の宗教団体を通じて、民衆に提供することを期待した。

その一週間後、台湾でも感染が拡大し、一日の新規感染者が二百人を超えた。長期にわたって保っていた国内感染がゼロの状態が一変し、台湾全土で全面的な警戒体制が敷かれ、あらゆる業種と人々の生活は必然的に調整を迫られた。

挑戦はそれだけにとどまらなかった。證厳法師はこう丁寧に指摘した、「今、世界を巻き込む災害が頻発していることからして、大宇宙も小宇宙も調和が取れていないことが分かりますが、この時こそ一層人心には仏法が必要なのです。敬虔に斎戒し、殺生せず、諸々の欲念に対して懺悔することによってのみ、人々の愛を大きくさせることができるのです。絶えず心を善良に保ち、善行を行い、分秒を把握するよう呼びかけ、寸分も方向が偏らないようにしてこそ、災厄をはらう万能薬となるのです」。

半世紀余りを経てきた慈済は、貧困救済から慈善の行いを始め、證厳法師は「仏教の為、衆生の為」という印順導師の言い付けを守って、多元的な志業を世界に展開してきた。慈済人は種種の利他的行為の中から、自浄其意(じじょうごい‥自ら心を清らかに保つ)の必要性を体得している。例えば法師が初期に木造の小屋で修行した頃、『法華経』を礼拝して、清浄かつ透徹した境地を感受し、この法脈精神をもって後日、慈済宗門を立ち上げたのである。

今回、慈済の記念日に演出する『静思法髓妙蓮華』の経典劇は、単純な一回限りの公演ではない。演じる前に、半年以上、経典の内容を学ぶ読書会が開かれ、出演者は如何にして生活の中に取り込むかを分かち合った。そして、経典劇に使われる楽曲や慈済手話の練習を繰り返し行う過程で、体と精神、情感を全力で投入したのである。

法師はかつて、「人の命ははかなく、「慧命」だけが泰山よりも重い、それを連綿と受け継ぐことで、後世の人が絶えず前進でき、また、困難に直面した時にそれを乗り越えることができるのです」と言ったことがある。慈済人の精神力は自利利他(じりりた)から来ている。つまり、法華経の精神は時空を超越した仏教の伝承なのである。

コロナ禍が深刻になる中、大衆が感染症対策に協力し、恐怖心を持つのではなく、誠意でもって自助と人助けすることを願っている。仏典にあるように、霊山は自分の心にあり、霊山法会(読書会と修行の集い)に参加して初めて、共に困難を乗り越えることができるのである。


(慈済月刊六五五期より)

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