慈済骨髄幹細胞センターの新しい挑戦

統計によれば、一回の造血幹細胞の寄贈、受贈過程の背後には、五百人の慈済ボランティアの努力や奔走など無償の奉仕がある。二十七年の歴史を持つ慈済骨髄幹細胞センターは、二〇二〇年再びハイレベルの国際認証を取得した。世界九十三の骨髄バンクのうち、その認証を取得しているのは十カ所だけである。人命救助の任務は何時になっても簡単なことではない上に、世界に蔓延したコロナ禍が加わった……。

二十七年来、慈済骨髄幹細胞センターは造血幹細胞の提供を呼びかけ、寄贈及び輸送において、いつも様々な困難にみまわれてきたが、しかしそれら全ての過程が血液疾患患者の生命に希望を与えることに繋がるので、一歩も後退してはならないのである。去年、新型コロナウイルスが世界に蔓延し、各国が国境管制を実施したため、年初に、慈済骨髄幹細胞センターは「事前対応」の必要性を感じた。命を救うのは時間との戦いであり、コロナ禍で行動が遅れることで残念な結果を招いてはならないのである。

台湾のコロナ禍は上半期、比較的緊迫していた。もし、データバンクからヒト白血球抗原(HLA)がマッチするドナーが見つかっても、その方の家族や家族の中の年長者がこの非常時に病院まで行って採血や健診、または入院することに不安を感じて、「寄贈を後悔」するかもしれない。そこで、慈済は病院の出入り口や移動経路を状況に合わせて調整し、ドナーの健康安全を確保した。

国際線は入境制限やロックタウンで欠航が多く、海外の血液疾患患者は辛い気持ちで救命の希望を待っている。慈済はどのようにしてやっと手に入れた造血幹細胞を国外に輸送し、即座に患者の体に移植できるか、これは極めて困難な挑戦なのだ。

無名の「救命配達者」に感謝する

遺伝子が比較的似通っていて、台湾の慈済骨髄バンクでマッチングを成功させた海外の患者は、中国人が一番多い。去年の上半期に両方ともコロナ禍はやや落ち着き、幸運にも「骨髄配達」をしてくれる貨物会社が現れた。台湾のドナーからの造血幹細胞の多くが、混載で中国の決まった場所に送られた後、患者に移植する各都市の病院が専門人員を派遣して、そこから骨髄を持って帰って移植した。

骨髄配達者は、中国に到着後、十四日間隔離され、それが過ぎて台湾に戻ると、もう一度二週間の自宅待機をしなければならない。コロナ禍の下で、一人の人間が一カ月の自由を犠牲にして、寄贈者と受贈者の双方の間で「人命救助の配達人」の役割を果たしているのである。

他の国や地域の白血病患者に対して慈済は、世界骨髄ドナー協会(World Marrow Donor Association略称WMDA)の世界の骨髄バンクに対する便宜的な措置の提案に沿って、花蓮慈済病院検査医学核心実験室が、「末梢血幹細胞」または「リンパ球」を耐低温パックに分けて低溫処理を施すことに協力し、「乾式液態窒素低温容器」に入れて輸送することで、国を跨いだ人助けを行うことにした。現地の病院は、持ち帰った後で解凍してから患者の体内に移植した。

慈済骨髄幹細胞センターの楊國梁(ヤン・グオリァン)主任がこう説明した。造血幹細胞は四つの耐低温容器に分けて入れられ、摂氏零下百八十五度の低温で冷凍され、液体窒素の低温桶に入れたあとGPS装着を付けて空輸で国外に運ばれる。

慈済骨髄幹細胞センターは長年、臍帯血を運搬する経験は豊富だが、冷凍造血幹細胞を運ぶのは初めてだったため、冷凍する過程と容器への入れ方では何度も確認する必要があった。十一月までに慈済は、この方法で造血幹細胞をアメリカ、オーストラリア、マレーシア、シンガポール、韓国及び香港などの国と地域に配送した。楊主任は、「冷凍後また解凍する時、技術的な取り扱いを誤ると細胞が死んでしまい、移植に重大な影響が出ます。従って、冷凍、解凍段階で技術的に正しい操作をしなければならないのです」と説明した。

もう一つ特殊な例がある。去年四月、患者がいるシンガポールから骨髄を受け取るために、チャーター便で台湾に人を派遣し、「駐機場で物を受け取って、入国しない」方式を採用して、台湾ドナーの造血幹細胞を「フラッシュモブ」的に持ち帰った。慈済骨髄幹細胞センターが設立されて以来、初めて「取り継ぎだけで、入国はしない」方式で済ますことを了承した例である。これは花蓮空港と空港警察署花蓮分局にとっても前列のない人道支援の経験だった。

花蓮慈済病院の林欣栄院長は骨髄ボックスを花蓮空港が用意した長テーブルの上に置いてから、直ぐ安全距離まで下がり、シンガポールから専用機で、台湾まで骨髄を取りに来る人に引き渡すのを待った。(撮影・黃思齊)

再びハイレベルの国際認証を得る

慈済骨髄幹細胞センター事務局長の蘇蕙鈺(スー・フイユー)係長の説明によると、コロナ禍と安全を考量して、登録者のマッチングが成功した後、 健康診断から寄贈前までの二十八日間及び寄贈後の十四日間の段階で、新型コロナウイルスに関するアンケート調査を行い、ドナーの造血幹細胞に感染の心配がないことを確認しているそうだ。

パンデミックの衝撃の中でも、慈済骨髄幹細胞センターは去年再び、世界骨髄ドナー協会(WMDA)の「ハイレベル」の国際認証を得た。それは、センターの品質と寄贈の過程が、完全に国際規格に合致していることを意味している。寄贈の呼びかけと登録手続き、マッチング、寄贈、健康追跡と管理、個人情報の管理、ひいては、ボランティアが取り扱う伝票書類、日付、サイン、試験管の色など全ての段階で、厳格な国際認証基準を満たしているのだ。

アジアにある多くの骨髄バンクの中でも、許可を得ているのは日本と台湾だけにあり、世界九十三の骨髄バンクでも十を数えるだけである。パスした後、四年に一度、評価を見直されるが、それは台湾の骨髄バンクの運用が肯定され、国際間で目にすることができる台湾の愛とマッチングサービスの品質の高さを意味している。去年六月、慈済骨髄幹細胞センターも再度、SNQ国家品質標章認証を得た。その栄誉と肯定は四年連続して継続している。

八月には約五百名の平均年齢六十歳を超えたボランティアが、厳格な防疫体制の下に、同じように慈済骨髄ケアチームボランティアの認証教育訓練講座に参加した。彼らは台中、南投、苗栗などのボランティアで、平日は造血幹細胞寄贈の呼びかけと受贈患者のケア訪問を行なっている。従って一人ひとりが「血液検査登録活動」、「血液再検査」、「健康診断」から「寄贈段階」、「寄贈後の健康追跡」までのあらゆる過程を、よく理解しなければならないのだ。

ボランティア認証の教育訓練講座は毎年、台湾全土で十数回開かれていたが、去年はコロナ禍と会場を考慮して、九月までに四回開かれただけである。蘇係長によると、現在、慈済の一万人を超える認証ボランティアは、奉仕範囲が広く、造血幹細胞寄贈の血液検査登録活動以外に、病院で移植患者への付き添いもする。毎回の造血幹細胞の寄贈、受贈の過程の背後には、平均して五百人のボランティアの努力がある。

去年9月、新北市双和静思堂で骨髄寄贈血液検査登録活動が行われ、ボランティアが大衆に詳しく説明していた。志願登録者は累計44万人を超えたが、「規定年齢を超える人」が約、7〜8万人おり、加えて寄贈登録を後悔するケースもよくある。そのため、毎年、新しい登録者によってマッチング率を上げる必要がある。(撮影・蕭耀華)

待っている人がいるのを忘れないで

造血幹細胞の活性度合いは歳と共にだんだん下がって来る。志願登録したドナーの適正寄贈年齢の上限は五十五歳(五十六未満)である。それ故に、慈済骨髄バンクは毎年、一万人の志願寄贈登録者を新らたに募ることを目標にしている。血液疾患患者がマッチング相手を探している時に、より大きなチャンスと希望が持てることを期待できるからだ。残念なことに、去年は年初のコロナ禍のために、一時的に各地での血液検査登録活動が中止され、五月を過ぎてやっと再開された。

九月、慈済雙和静思堂の血液検査登録活動の会場に、若い蔡(ツァイ)さんが朝早く到着した。彼女はすでにインターネットで予約していた。彼女はかつてメディアの報道で、ある女性が造血幹細胞を急性白血球患者に寄贈した後、慈済ボランティアと一緒に寄贈登録を呼びかけるようになった記事を見た。そこで、蔡さんも機会を逃さず、骨髄バンクの潜在的な支援者の一員となろうと決めた。

蘇係長はこう率直に言った。慈済骨髄バンクが運営を始めてから二十七年、蔡さんのような台湾の愛を代表する志願登録ドナーは、累計で四十四万人を超えたが、現在「規定年齢を超えた人」が約七〜八万人いることと、マッチングした後で約半分の人が何かの理由で寄贈を断ったり、寄贈できなかったりする分を考慮しなければならないのだそうだ。従って、毎年もっと多くの若い人に袖を捲って参加してもらう必要があるのだという。

二〇〇三年SARS感染症の期間中、その年の四月から一時的に、中国と香港地区への骨髄提供と登録活動を全部中止し、七月以降になって全面的に再開したことがある。「前車の覆るは後車の戒め」と言われるように、コロナ禍で、慈済骨髄幹細胞センターの専門家としての準備と先手を打った対応をしてこそ、パンデミックの今、命を救うために余裕を持って時間と競走することができるのである。(資料提供・蘇蕙鈺、劉蓁蓁)


(慈済月刊六四九期より)

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