仏陀が悟りを開いた心境を追い求める

法華経の精神とは、仏陀が悟りを開いた精神に他なりません心境は無限に広々として、宇宙萬物の真理に透徹しています。

誰もが仏性を持っていることを悟り、自覚してから人を目覚めさせるのです。

二千五百年前、この世に生を受けたシッダールタ王子でも、私たちと同じように生、老、病、死の苦を経なければなりませんでした。一国の高貴な王子として、宮廷内で父王の保護の下に成長したため、初めは世間に存在する苦を知りませんでした。その後、或る因縁によって城門を出て、当時のインドの様子を見て回るうちに人間の苦を感じました。一生富貴栄華を享受したとしても、避けられない感情のもつれが最終的には苦なのです。

王子は生命の真諦(真の意義)を探し求め、衆生の解脱を助ける道を見つけたいという志を立て、一切を放下して追い求めました。数年間の訪問と苦行、静思を経て無明の煩悩が一つ一つと取り除かれ、心がとても清らかになりました。或る日の夜明け前、心と外部の世界がとても静かな時間に、正座中の瞼をゆっくり開けると、遠方の空で瞬く明けの明星が見えました。その瞬間に、心が無限に広がり、心身と宇宙が一体となった時、王子は悟りを開いたのです。

「仏陀はこの世の苦難を見て、人間(じんかん)で修行し、宇宙の真理を悟った後、解脱したため、二度と世間の人事物に纏われることはありませんでした」。しかし、衆生の苦を忍びなく思い、説法して衆生を済度し、人に自性が即ち仏性であることを知ってもらいました。仏陀が説法して四十二年後、以前説いていたのは方便の教えでしたが、晩年、霊鷲山では真実の教えを講釈しました。それが『法華経』です。それは仏陀の理想であり、未来の衆生が仏法を人間(じんかん)に根付かせ、菩薩道に励むことを願ったものです。

仏陀は『法華経』を講釈する前に、まず『無量義経』を講釈し、次いで入定しました。会場では、仏陀が説法に出てくるのを人々が静かに待っていた間、皆、荘厳で静寂な心境と共に、霊山会で花や草木が微かに揺れ、花弁が地面に舞い降りる境地は、大地までもが喜びに震え、仏陀の荘厳な有り様はより心に感動を与えました。

説法瑞、入定瑞、雨華瑞、地動瑞、衆喜瑞、放光瑞という此土の六瑞に、諸仏や菩薩が衆生に説法する時の慈悲深い思いやりが込められています。説法を聴く大衆は心身共に仏法を受け入れる準備が整っており、仏陀も説法する因縁が成熟したことを知りました。

続いて、文殊菩薩と弥勒菩薩の問答で、仏陀の『法華経』講釈の幕が上がりました。文殊菩薩は過去仏で、弥勒菩薩は未来仏であり、二人による問答によって、現在仏である釈迦牟尼仏が今にも講釈を始めようとする法が、どの仏も悟りを開いた後に、必ず説法しなければならない重要な法理である証しを立てたのです。

『法華経‧見宝塔品(けんほうとうほん)』の中では、多宝仏の塔が湧き出て、多宝仏と十方菩薩が仏陀の『法華経』講釈を聞きにやって来たと書かれてあります。どの仏も衆生に説法して悟りに導く時、最後には必ず『法華経』を説法しています。

多宝仏は成仏した後、説法する相手がいなくなったため、涅槃に入ってしまい、『法華経』を講釈する縁がなかったことが悔やまれました。そこで、後世で誰かが『法華経』を講釈すると、必ず多宝仏が現れて「仏仏道同」という証しを立てたため、そこからも『法華経』の重要性を知ることができます。

代々に亘る人間(じんかん)菩薩道

『法華経』の精神理念は、仏陀が成道した後、衆生に真諦の道理を話したいと思ったため、その内容は人間(じんかん)での修行と成仏の道を説いています。時を経て色褪せることなく、現在でも通用します。私の以前からの願いとは、『法華経』を伝承することであり、二千五百年余り前に霊鷲山で説法した『法華経』の霊山会が永遠に散会せず、法華精神が永続することです。

私は慈済を創設した当初から、『法華経』を用いて道を切り開いて整え、皆を導いてきました。慈済人は『無量義経』を運用して菩薩道を歩み、『法華経』に深く入ることで、心を大きくし、仏心に近づいて来ました。『法華経』は菩薩道を教え、慈済人は慈済の志業に励んでいますが、その全ては『法華経』の精神理念の実践であり、心髄でもあるのです。

『法華経』を理解すればするほど、経文で示している道が真実の道であることが分かるため、自修することも人への応対や生活の中で使うこともでき、永遠に社会と繋がりが切れることはありません。「経典は悟りへの道なり、その道は人の進むべき道なり」と言われるように、仏法、経典は人が歩くことのできる道であり、人に体得させ、また到達させることができます。ただ成し遂げるだけでなく、心に感ずるものがあって、悟りを人々と分かち合うことで、皆にこの道は歩けることを知らせているのです。

この五、六十年来、私は『法華経』でもって、自修し、人に修行することを教え、縁が益々成熟して来ました。慈済人がこの時代、この世で『法華経』を実践し、菩薩道に励むことは、新時代を開く重要な役目を担っています。現代科学技術が発達したことに感謝するとともに、情報伝達が便利なったことで、法を聴くのも伝えるのも、とても簡単に速くなっています。例えば、各コミュニティーで行われている読書会は、ネットを通じて参加しており、まるで空中に菩薩が集まり、直ちに法を海外に伝え、その上、傍では異なる国々の言葉を通訳して、読書会の参加者が即時に理解して仏法を体得しているのです。

仏陀が悟った真理とは、あらゆる衆生には仏性が具わっていて、凡夫と覚者の智慧は平等ですが、凡夫の心は久しく無明に覆われて来たため、業力に伴って輪廻して、ぼうっとして目覚めていません。仏法が世に栄え、より多くの人が法を護持して伝え、人心からこの世の禍を取り除くことを願っています。誰もが、「如是聞(このように聞き)、如是説(このように言う)、如是傳(このように伝える)」のように、よく聞いて多く話し、導いて、絶えず人を利して啓発し、煩悩を取り除いてあげるのです。代々に亘って『法華経』の道を引き継ぎ、『法華経』の路を敷いて、この菩薩道が延々と続くことを願っています。


(慈済月刊六五五期より)

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