ポストコロナの時代 リサイクルボランティアの喜びと憂い

2021年12月下旬、台北市木柵リサイクル教育センターで、ボランティアが回収物を下ろしていた。

昨年、新型コロナウイルス感染症の警戒レベルが3に引き上げられていた間、慈済は台湾全土のリサイクル拠点で作業の一時中止措置をとった。

再開の日を迎えた時、リサイクルボランティアは、再び肩を並べて善行ができることを喜んだ。

しかし、コロナ禍で盛んになったネットショッピングや食事のテイクアウトは、大量の廃棄物を出すことに繋がり、すでに地球環境に大きな影響を及ぼしているのだ。

警戒レベルの引き上げに伴い、リサイクル活動が縮小した

今年一月中旬、国内では再び、オミクロン株に新たな変異が加わったウイルスの市中感染が拡大しているという警告が出された。台湾全土に七千カ所余りあるリサイクル拠点で作業をしているボランティアは、コロナ禍の変化に注意を払いながらも、奉仕できるチャンスを逃さなかった。

ビニール袋や空き瓶、空き缶の整理、紙の分別、小物の分解など、年配ボランティアたちは熟練した動作で作業をしながら、大愛ネット放送による證厳法師の開示に耳を傾けていた。いつも通りに作業している光景は驚嘆に値する。二〇二一年半ば、各リサイクル拠点が一時休止措置を実施し、異常な様子は皆を驚かせた。

昨年、感染警戒レベルが三に引き上げられた五月十五日から、警戒レベルが二に引き下げられた七月下旬までの二カ月余りの間、台湾全土の慈済リサイクル拠点は、慈済基金会本部からの通達で、対外活動を一時中止し、回収物の受け入れも停止した。

2021年、新型コロナウイルス感染症の警戒レベルが3に引き上げられていた間、台南市頂美リサイクルセンターは、回収物の一時受け取り停止の張り紙を出した。接触感染によるクラスターを避けるため、慈済は政府の感染対策と花蓮慈済本部の指示に従って、リサイクル拠点の一時休止措置をとった。(撮影・黄筱哲)

一九九〇年から展開されてきた慈済の環境保全志業にとって、これは前代未聞の全面的な防疫措置だった。二〇〇三年にサーズ(重症急性呼吸器症候群)が猛威を振るった期間でさえ、リサイクル拠点は一度も全面的に「作業中止」を実施したことはなかった。

「その時は、リサイクルボランティアの健康を守るために、このような措置を決定しました。慈済だけでなく、社会全体の安全に配慮したのです」と慈済基金会環境保全推進チームリーダーの張涵鈞(チャン・ハンジュン)さんが説明した。「ウイルスが回収物に付着している場合、異なる材質の表面でも三日間生存する恐れがあります。そこで政府の防疫対策と慈済の防疫指揮センターの指示に従って、このような決定をしたのです」。

その対策の代償は軽くはなかった。コミュニティの住民に、防疫のために資源の回収を暫く停止することを伝えたなら、やっとの思いで設置したリサイクル拠点が失われる可能性があったのだ。しかし、リサイクルボランティアは五割以上が六十五歳以上の人であったため、やはり高齢者の健康と安全を最優先にしなければならなかった。

しかし、リサイクル拠点は一時中止にしただけで事なきを得なかった。ゲートに鍵をかけ、資源回収受け取り停止の張り紙を貼っても、一部の人は依然として回収物を次々と持って来たのだ。ごみの量が比較的少ない花蓮でも、そのような状況が見られた。

「初めは資源回収停止の掲示板を掲げ、そのあとキャンバス布製の大きな垂れ幕にしたのですが、やはり置いていく人がいました。ここに持ってくるのに慣れているので、よそに持って行きたくないと言うのです」。花蓮市美崙リサイクル教育センターが閉鎖され、その後にも回収物が置かれて山積みになったという問題について、シニアボランティアの林翠雲(リン・ツゥイユン)さんは、街の人出は少なかったが、住民が回収物を次々と持ってきた様子を思い返した。

コロナ禍で密集は回避しなければならなかったが、資源がごみになるのを心配して、リサイクルは止めるべきではないと思い、ボランティアは色々な対応策を考えた。感染警戒レベルが三に引き上げられていた間、室内には五人以上入ってはならないと規定されていたため、林さんは馴染みのボランティア二人を一組にして作業をしてもらうことにした。慈済本部の指示に従って、アルコール消毒液を回収物に噴霧し、自分たちも警戒を高めて防護に努めた。「私はいつもマスクを二重に着用していました」と林さんが言った。

「その期間は本当に落ち着きませんでした。というのも、作業を続けたいと思う反面、怖かったのです」。台中市豊原区の福陽リサイクル教育センターのボランティア林秀霞(リン・シゥシア)さんによると、感染警戒レベル三が発令された後、環境保全幹事である彼女は、拠点のリーダーやボランティア幹事たちと協力して電話をかけ、ボランティアたちに外出の自粛を呼びかけたり、年配ボランティア一人一人に安否を尋ねたりした。緊迫したコロナ禍では、皆がビクビクしながら慎重に行動していた。

「リサイクルセンターは完全に停止したわけではなく、政府の対策に従い、チームに分かれて交代で作業をしていました」。シニアボランティアの李美桜(リー・メイイン)さんは、「例えば、今日は二人か三人が来てビニール袋を整理し、明日は三、四人が来て分別する、というような具合です」と説明した。

福陽リサイクル教育センターでは元来、十数人から二十人が同時に作業をしていたが、今回は同じ時間帯に多くても四人しか入れないので、作業効率は五分の一になった。幸いに回収物の量も大幅に減少し、ボランティアが対応できないほどでもなく、以前から溜まっていた回収物を処理する時間もあった。「阿欽(チン)師兄(スーシオン)のように、在庫や何年も溜まっていた物をきれいに整理している人もいました」。

「家からリサイクルセンターまで近いのです。バイクで五分間も掛からないので、ここまで来るのは安全ですよ」。グラインダーを下ろし、モップのアルミ製の柄を半分に切断するのは、たくましい体の詹益欽(ジャン・イーチン)さんだ。「ドアを閉めれば、私は一人で回収物を処理できます。空間が広く、人が多くいなければ大丈夫です」と元気に言った。
 
同じ時間帯に五人を超えていなければ、防疫対策には違反していないので作業は継続できるとはいえ、長年にわたってリサイクル拠点に「出勤」している年配ボランティアにとっては、無理矢理自宅で「休暇」を取らされる事になる。暇な時間が多くなって楽しいとは限らないようだ。

昨年、感染警戒レベルが3に引き上げられていた間、各リサイクル拠点は防疫措置を実施し、回収物にアルコール消毒液を噴霧した。(写真の提供・慈済基金会環境保全推進チーム)

感染のピークを迎え、リサイクルボランティアは奉仕できる幸福を大切にし、我が身を大事にしながらも見返りを求めない奉仕をし、蛍のように常に大地を照らし、社会や大衆を利している。彼らは行動することでお金を得るわけでもなく、最も貴重な健康と喜びを得ているのである。無事に旧正月を過ごした後、全てのリサイクルボランティアは、防疫対策を着実に続けて、しっかりと自分を守り、愛でもって大地を守っている。

(慈済月刊六六四期より)

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