本来の自分に戻る

食習慣で美を追求するのも欲望であり、 真の善と純粋なる源に戻らなければなりません。

薬草はあらゆる生き物に有益

一月十九日、花蓮慈済病院のチームが薬草に関する研究経過を報告すると、上人は「それは自分たちのためではなく、世の中の必要に応じて開発しているのです」と開示しました。

上人によると、この世で一番大切なのは生命ですから、四大志業の中でも医療志業は最も生命と密接な関係にあります。人は微々たる存在ですが、逆に偉業を成し遂げることもできるのです。その人が人生で行ってきたことよく見てみましょう。人は宇宙の中ではとても小さい存在であり、仏典の中でも、別の世界の衆生から娑婆の衆生を見ると、人は一匹の小さな虫に他ならない、と書いてあります。しかし、人は心を無限に大きく広げることができ、小さな蟻でも方向を見定めて登る決心をすれば、須彌山でさえも超えることができるのです。

逆に、小さな存在だとしても重い業を蓄積します。人々の長い間にわたる営みは、結集して大自然の「気」に影響しているのです。今、疫病が流行っていますが、この人間(じんかん)に広がる「病」、目に見えない新型コロナウイルスは、全世界の人々を感染の恐怖に陥れています。

上人はこう言いました。過去にも疫病は発生しましたが、殆どは地域に限定されたもので、しかも流行した期間も今回ほど長くはありませんでした。今回のコロナウイルスは、二〇一九年末に発生してから今日まで続いており、収まるどころか、絶えず新たな変異株が生まれ、一波また一波と記録的な感染拡大を引き起こしています。ワクチンや治療薬は開発され、使用されていますが、感染を止める有効な手段は見つかっていません。

「人類に疫病を止める手立てはなく、斎戒して菜食するしかないと、それが妙薬であると、私は言い続けてきました。そうしなければ、他に方法はありません。ジンスー本草飲の研究開発は、因と縁が合わさったものでした。慈済病院の研究チームが時間を費やして、ミソナオシやヨモギなどの昔から知られる自生の植物から免疫力を高める成分を見つけ出したのです」。

上人は、以前から台湾には、亡くなった人の家や病人の見舞いに行って帰ってくると、ミソナオシを入れて沸かしたお湯で体を清める風習があり、邪気を追い払うことができると言われていることを知っていました。医学が発達していなかった時代にそのような習慣があったということは、病原菌からの感染を抑える作用があるためなのか、またはこの特定の植物には感染を防ぐ成分があるのかもしれない、と思って探索を始めたのです。「その頃私は、いつもその話を繰り返していたので、ある時チームにお願いしたのです。この数種類の草の成分を分析してほしいと。すると思いも寄らず、次から次へと何種類もの植物から人体に有益な成分が発見され、製品にすることができたのです。チームの皆さんが一心に研究したので、縁が成就して完成に結びつきました」。

また、静思法脈に話しが及ぶと、これは仏教を源とした、仏教を弘法するための法であること、慈済宗門は衆生のために、社会が必要としている奉仕を実践していること、そして今慈済病院ではチームで研究開発を行って、世の人の生命と健康、愛を護っているのだと語りました。ジンスー本草飲を使った製品を開発しているのは名声のためではなく、世界中の人々のウイルスに対する恐怖心に呼応して、効果があると確認された製品を直ちに広めて使ってもらう必要に迫られているからです。特に、医療資源の乏しい国や地域に送ることができ、貧しい人々を感染から守るのに役立つからなのです」。

菜食は心を静める効果がある

一月二十日、慈済人が食レポ交流プラットフォームと協力して菜食を呼びかけるプロジェクトに関する報告をすると、上人はこう言いました。「現代人は食に関してのこだわりが過ぎていて、味以外に色や美しさも追求しています。こういう形での欲望は良くありません。食は簡素に、生活は素朴であればあるほど良いのです」。

「膳」という料理を表す字は、善の横に「月偏」別名「肉月」が付いていますが、この「肉」を取り除くと、真の意味での「善」になり、純粋な菜食になります。できる限り人々が菜食に回帰するよう呼びかけるのです。そして、ご飯も胚芽米や玄米を食べるようにして米ぬかを取り除かなければ、稲の栄養は残っています。以前の人は玄米をよく食べていましたから、米ぬかの栄養まで取り込んでいました。最近は栄養バランスを考えながら、栄養士も余り加工したものを食べないよう呼びかけています。従って、皆で頑張って、大衆の食習慣が本来あるべき質素な姿に戻るように呼びかけるのです。

「先ず、このプラットフォームに人々を誘い、菜食も悪くないことを感じてもらうのです。一番大事なのは大衆を教育することであり、一回の食事だけで、舞台裏でどれだけの人が奉仕したのか、天地万物の生命はどこから来たのかを深く考えてみるべきです。人の生理や心理は飲食と切っても切れない関係にあります。この世には老いない人はいません。もし、食べると老いるのが遅くなると話すのであれば、それを宣伝するのではなく、その理念を広めるのです。菜食は心も脳も落ち着かせ、徳の向上と善に向かわせます」。

上人は、「菜食は心を調整することができる」と呼びかけることこそが重要なのだと言っています。先ず菜食は人の生理に有益であることを話し、次に天地万物の生命と人の心理について語り、そこから生命の尊重と健康的な愛につなげるのです。人間が健康的な生活を送ることは、他の動物が望むことでもあり、人も物も愛さなければいけません。

(慈済月刊六六四期より)

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