愛の心で天下の平穏を護りましょう

(絵・林淑女)

この一秒間だけでも、 同じこの世界でどれだけの人たちが苦難にあり、 私たちが差し伸べる手を待っているでしょうか? 慈悲の気持ちに目覚め、責任を担い、 愛の心を尚一層行き渡らせましょう。

気候変動やウイルス感染拡大の収束に明るい見通しが立たないというのに、人災である戦争までが起こりました。四大(万物の構成要素である風、火、水、地)の調和が崩れ、人の心も不調をきたしています。この時代の人間(じんかん)には幾重もの苦難が発生しています。このところのロシアとウクライナの紛争は、数百万人もの難民を生みだしてしまいました。彼らはすべての物を置いて一家の安全だけを願い、数十キロ、数百キロ先の隣国へ避難しています。その長い行列の中には赤ちゃんを抱いている人、幼児を背負っている人、子供と手を繋いで歩く人、そして年長の子はその後ろについて家族を伴って人の流れについて行きます。この難から逃れる先は見えず、広い大地の中で彼らはどこまで歩を進めればいいのでしょう?

時が過ぎるのが早いと感じれば、直ちに頭を切り替えることです。確かに幸福の中にいる人はそう感じても、戦火の中にいる人たちは一刻一刻が「苦労」なのです。同じ一秒でも、同じ世界にあり、どれほど多くの苦しんでいる人が、私たちの差し伸べる救いの手を待っていることでしょう?絶えず憐憫の情と共感の心をもって責任を担い、更に広く愛を呼びかけ、菩薩の情が絶えないようにすべきです。善の心が四方八方から集まった時、とても多くの善事をすることができます。もし誰もが同じ信念と愛を抱いているならば、愛の力は大きくなり、より多くの人たちを助けて心身安穏の地に導くことができるのです。

善と愛の心は全てを包容し、調和をもたらして、気候と生態環境を正常に戻すことができるのです。私たちが敬虔に祈り、善念の気や清らかな気でもって重い業を軽くし、和やかな瑞気が乱れて濁った空気を一掃させるのです。物事が落ち着いて、人々が穏やかに暮らせるようになることを祈りましょう。

人の信念と行動の善悪は、全てわずかな差で起こるのです。誰もが平静な心を保ち、人間(じんかん)が平安になるよう、皆が平穏に暮らすべきです。もし、少数の人があらぬ方向に心を動かせば、権力のある人の一つの決定から国民は不安に陥り、生活は困窮し、物資は欠乏してしまいます。戦争が起これば、二度と穏やかな良い暮らしをすることはできません。

調和が取れず、既存のものに対する独占欲があってはなりません。欲念のままに行動すれば、多くの人を傷つけることになり、最終的には誰もが危険を感じるようになってしまいます。避難する人たちは前途が漠然としてパニックに陥り、恐怖の中にいても歩を止めることはできず、たとえ愛する人が側で倒れても、前に進むしかありません。それら諸々はとても苦しく、その忍びない気持ちは描写し難いものです。このことから今まで以上に絶えず自分に警鐘を鳴らし、人間(じんかん)にこれ以上の衝突があってはならないのです。心に愛を抱き、愛の心で天下の平安を庇護し、二度とこのような悲しく痛ましい場面を出現させてはいけません。

人の心が平穏で和やかになれば、人災はなくなります。欲念を一つ一つ無くすことで、煩悩が一つ一つ薄れ、自然に心が静まります。人を愛し、人を許せる心、人に対する寛大な態度、それらは全て人間(じんかん)に幸福をもたらす善いことなのです。人同士が出会った時、笑顔で挨拶を交わし、睦まじくなってこそ、天下は太平になれるのです。

自分の呼吸や生活環境を含めた、世の人、事、物はいつも同様に保つことは難しく、どんな時でも今の平安に感謝しなければなりません。人間(じんかん)の無常を理解し、福を知り、感謝し、さらに周りの人を大切にし、自分の人生も大切にし、そして命を大切にすることです。

小さな愛だと軽んじてはなりません。僅かな光でも、苦難の人に方向と希望をもたらすことができるのです。絶えず愛の心を啓発して、喜んで善行し、奉仕する人が多いほど、視界も広くなり、世間の隅々で発せられる助けを呼ぶ声を聞くことができ、そして苦難の人に速やかに手を差し伸べることができるのです。

日々、人々と共に暮らし、人々に関心を寄せ、大地のことも思いやれば、私たちの見識は広くなります。もしも自分を閉じ込めて心の窓を閉め切ったならば、外の光は見えず、時の流れさえも知ることができません。心と頭を封じ込めていると、智慧は知らぬ間に消失してしまいます。

そして、心は天下を包容するほど広くなっているか、行為が偏っていないかを反省することです。修行は自分で行うものですが、自分の能力は大衆に奉仕すべきで、模範となって人々を導き、この世を穏やかにすることに努め、多くの善行を行う人と心を共にすれば、自然と悪念は消え、善念を育むことができます。

菩薩道は私たちから遠く離れているのではなく、足元にあって、一念発起すれば、一挙手一投足全てが善事であり、それは実に簡単なことなのです。志を守って修行して天下で一緒に善行すれば、一人一人の模範的な行為が互いに感動を与え、それまで孤独だった人が仲間になれるのです。このような愛の心を私たちの周りから遍く世間に広めましょう。

千手千眼観世音菩薩に学んで両手を差し伸べて人を救い、さらに地蔵菩薩の大願力を持って発願すれば、力が湧いてくるというように、志さえあれば、幸福をもたらすことができるのです。誰もが見返りを求めず奉仕し、欲を持たず貪に染まらず、皆の心は一つに合わされば、至る所が菩薩の浄土となるのです。心して精進してください。

(慈済月刊六六五期より)

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