明日の落ち葉

今日の落ち葉は、今日のうちに掃いておこう。明日のことは心配しなくてもいい。

命ある今日、何をすればいいのかを把握すること、それで着実に生きていくことになる。

「寧容(ニンロン)師姐(スージエ)、早く一緒に落ち葉を掃きましょう。落ち葉だらけでとても掃きにくいの」。静思精舎のボランティア朝会が終わって静思書軒(ブックカフェ)本店に着いたばかりの彼女に、先に来て店を開けたスタッフの黄映掬(ホワン・インジュー)さんが、よく通る声で呼びかけてきた。

「はい、すぐ行きます」。私は荷物を置くとほうきを持って一緒に掃いた。昨日の午後は猛烈な北東の風が吹いたので、地面は落ち葉でいっぱいになり、気温が下がって雨も降り、地面が濡れて掃きにくかった。

本店は建て替え工事が行われるので、暫くの間は協力工場脇での営業となっている。店の前には大きな木が何本もあり、雑草に覆われて荒れ果てていたが、大勢のボランティアが一生懸命片付けたので、今は整然としたたたずまいになった。木の下にはチェーンブロックや小石が敷き詰められ、石のテーブルと椅子が置かれており、ほっと一息入れて落ち着ける好い場所だ。

しかし、その優雅な樹木は普段から落ち葉が多くて、掃くのが大仕事である。秋と冬にはとくに多く、雨が降ると地面を厚く覆い、凹凸のあるチェーンブロックと敷き詰められた小石の隙間に入るので、私たちは跪いて手で拾うしかない。

皆、汗だくになって庭をきれいに掃除した。掃除の後「とても充実した」感じがして喜び合い、座って水を飲んで気を休めていると、風が吹き、また、一面が黄金色に変わった。あたかも、修行の過程で「自分の心を掃き清め」たのに、また他人の一言や嫌な顔で、知らぬ間に心の中に怒りと憎しみや不平不満が生じたようなものである。

「あー!また始めからやらなくては……」
一面の落ち葉を見て、私は小さい頃のことを思い出した。

私が十一歳の頃、家の裏の林に木の葉が舞い、家の中の仏堂や居間にまで飛んできた。そこで父は、登校する前に林の落ち葉を掃除し、綺麗に掃いてから学校に行くよう、私たちに規則を設けた。それは私たちがもっと早起きしなければいけない、という意味だった。

夜明けと共に起きて落ち葉の掃除をするのは辛いことである。特に秋や冬には摂氏五度に下がるのに温かい寝床から出なければならないので、心は不満だらけだが、ふくれっ面にするしかなかった。ある日、父が私たちの「いやいや」な様子を見て、「落ち葉掃きがそんなに辛いのか。こっちに来なさい。お父さんが簡単な方法を教えてあげよう。掃く前に樹を揺さぶるのだ。明日落ちる葉を落としたら、二日に一回掃けばいいのだ」と言った。

私たちはそれを聞いてとても喜んだ。「こんないい方法どうしてもっと早く教えてくれなかったの?」。父は笑顔で白衣を持って、患者の診察のために病院へ出かけて行った。

翌日、私たちはいつもより早起きして、母が作った朝食を急いで食べ終わると、明日の葉まで落とそうと激しく樹を揺さぶった。汗だくになって気がついたのは、樹を揺さぶることが葉っぱを掃くよりも疲れるということだった。特に翌日の葉まで落とすとなると、そう簡単な事ではない。

私たちが樹を揺さぶり終わって、地面もきれいに掃除し終えたと思って、庭に座って休んでいた時、風が吹いて葉っぱがまた、ハラハラと落ちて来たのを見た時は驚いた。変だなあ!どうしてこんなことがあるのだろう?と。
従姉は「きっと揺さぶる力が足りなかったのよ。明日は皆でもっと強く揺さぶりましょう」と言った。
弟は「そうだよ。明後日の分まで落とそう」と言った。
私は「もし七日分の葉っぱを一度に落とせたら、私たちは一週間に一度掃くだけで済むのよ」と言った。

三日目、私たちは起きると直ぐに林の中に行って樹を揺さぶった。しかし、どんなに力いっぱい揺さぶっても、今日中に翌日の分は落ちて来なかった。

父は私たちがしょげて、困っている様子を見て慰めた。「よく考えてごらん。昼ご飯に晩ご飯の分まで一緒に食べたら、お腹はパンクするけど、夜になるとやはりお腹は空くだろう?」皆が頷いたのを見て、父は「鉄は熱いうちに打て」と言わんばかりに、「今日は今日の仕事をこなせば、しっかりした仕事ができるのだ。一日で二日分の仕事を終わらせようなど、『ガチョウの肉を食べようとするガマガエル』のようなもので、できるわけなどない」と言葉を続けた。

そうか、今日掃ける「明日の落ち葉」などないのだ。明日も葉は必ず落ちて来るが、今日は今日の落ち葉を掃けばいいのだ。

幼少期の落ち葉掃除の経験が、私に良い啓示を与えてくれた。私たちが生活の中で直面する全てが、そうではないだろうか?生きている今、この瞬間を逃さず、良い発願をして、善い言葉を口にし、しっかり事を為すべきである。慈悲心を抱いて生命を愛し、庇護してこそ、意義のある人生と言える。今日の落ち葉を今日のうちに掃き清めればよく、明日のことは心配するに及ばない。

心の落ち葉、それを煩悩と言うが、今日中に片付けよう。明日は明日の宿題があり、それは明日やればいいのである。

(慈済月刊六六四期より)

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