ネットゼロの試練
EUは来年度に世界初の「国境炭素税」計画を推し進める予定である。それにより、「ネットゼロ(温室効果ガス排出量実質ゼ… Read More »
日々を美しく 慈済のネットゼロ生活
統計開始以来、世界は最も暑い時期を経験している。
「ネットゼロ」はもはや特定領域の専門用語ではない。
各国は二○五… Read More »
ネットゼロの有志たち 「五ゼロ」の達人を募集中
私は今後さらに三十年、百一歳まで環境教育に携わり、より多くの人々に脱炭素の実行を促したい。
人類が摂氏一・五度とい… Read More »
九月の出来事
09・03
花蓮慈済病院は3日と4日、25人の専門家や学者を招いて、第14回パンパシフィック国際幹細胞及び癌研究オ… Read More »
ゼロエミッション・慈済基金会─実行するだけでなく、もっと良くする
慈済は一九九〇年より環境保全志業を推進して来たが、やがて到来するカーボンニュートラル(二酸化炭素排出実質ゼロ)の実… Read More »
人間(じんかん)には苦も福もある
人生は苦である----
苦は無常にあり、苦は生老病死にあります。
成住壊空も苦であり、因果を理解しないから苦しむの… Read More »
最も困難な時、最も尊い奉仕─ウクライナ家庭を迎え入れるポーランド
ロシア・ウクライナ戦争は、無数の家庭を引き裂き、女性と子供は客人としてポーランドに逃れた。所持金は僅かしかないが、… Read More »
正信の道を作りましょう
次の人が安心して歩けるように、
道のでこぼこを無くしましょう。
心の道を平らにするのは、欲望が再び頭をもたげたりす… Read More »
カナダで暮らす難民 永く安らぎが得られるように
長年難民ケアに関ってきたボランティアは、何度も「赤貧洗うが如し」の難民生活を見てきた。
中東とアフリカでの紛争が収… Read More »
食事や薬を届けるエクスプレス宅配
新型コロナウイルスの感染が急拡大した頃、台中市大雅地区に、栄養価が高くて食欲をそそる味の濃い煮物を常備して、いつで… Read More »
難民を支援した難民に感謝
トルコボランティアの胡光中さんとウクライナ人の被災者雇用による
支援活動の参加者は、気持ちが通じ合うようになった。… Read More »
台中の慈済連絡所七カ所にワクチン接種会場を設置─高温と高接種率 臨機応変に暑さ対策
慈済基金会は各県や市政府の防疫政策に合わせて、
新型コロナウイルスのワクチン接種会場を提供してきた。
一年余りにわ… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
辛い流浪の旅
證厳上人のお諭し
法縁者のつながり
行脚の軌跡
九月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。