(絵・陳九熹)
次の人が安心して歩けるように、道のでこぼこを無くしましょう。 心の道を平らにするのは、欲望が再び頭をもたげたりすることがないようにするためです。 愛の心を培い、智慧を発揮して、人々を導き続けましょう。
酷暑の頃に外を歩いていると、とても暑く、四方八方から熱気に包まれてしまいます。そんな時に人の立場に立てば、太陽の下で仕事をしなければならない人の苦労を想像することができます。生活が平安に過ごせるのは、お互いのお陰であるため、感謝しなければなりません。
世の中の様子を見回すと、新型コロナは相変わらず人々を不安にさせ、異常気象は災害を引き起こしています。水害や火災は言っても仕方ないほど、地球は急を告げています。人の欲念はこんなにも早く膨らみ、大地を破壊して、大気を汚染しており、道理を越えた行いによって、業の力を絶えず増長させています。人心の不調和と天地の不調和の中で、どんな方法で火を消し、水を止めたらいいのでしょうか?誰もが警戒心を持って、因縁果報の道理を理解し、慎重に人として弁え、地球が軌道を回るように、僅かな逸れによって危機を引き起こしてはならないのです。
心に欲念が起きると、考え方が偏ってしまい、底なし沼のように、欲望は益々膨れ上がります。人々に正知、正信、正しい行為を呼びかけ、以前の行いを改め、自分の怒りで人を傷つけたり、自分の利益のために人を害したり、または、一時の口の欲のために殺生をしたために、その業が永遠に続きはしないか、自分に警鐘を鳴らしましょう。
民間の風習では、旧暦の七月になるとあの世とこの世をつなぐ門が開かれて霊や幽霊が舞い戻ると言われ、そういう「地獄の兄弟たち」のために殺生して供え物にしますが、これは間違った考え方です。生命を殺生して供えることで平安と幸せを得ることはできず、また、お金を模した紙を燃やして供養するのは大気を汚染するだけです。幸せは求めて得られるのではなく、福を造ってこそ幸せが得られ、誰もが福を造ることで、人間(じんかん)に福がもたらされるのです。人々の行為が正しければ、社会は平安になり、どの家庭も平安になります。戒を守って菜食するのは、敬虔な心を表す一番良い方法です。旧暦の七月の時だけ平安を祈るのではなく、心に汚染しない線香を一本立て、絶えず純粋な正念を持っていれば、他の人を正しい方向に導くことができるでしょう。
地球は宇宙の中でもとりわけ美しく、生気に溢れた惑星です。人類は地球を必要とし、どうやって地球を護り、感謝し、大切にすることができるかは人類だけが知っています。この世に道理の道を作り、でこぼこがあれば平らにし、次に来る人が安心して歩けるようにしましょう。心の道を平らにすれば、皆が穏やかな気持ちになり、これ以上、欲望のために心が乱れることも無くなります。欲を少なくして足ることを知り、善行を楽しみ、世に瑞気を満たせば、天地の生態は安泰します。
七月末、慈済人は法華精神の真髄である《無量義経》の内容を舞台演劇にして上演しました。「唐美雲歌劇団」と「優人神鼓」劇団が、経典の真髄を誠心誠意で表現しており、その美しさを創り出したことに感謝しています。皆さんも心を尽くし、とても素晴らしいと思いました。どの経典にも必ず「苦」が説かれていますが、苦は無常、生老病死、成住壊空(形ある物はすべて滅する)にあります。その演劇は芝居として見て、聞き流すのではなく、心して感じ取ることです。
演劇の中で仏陀の足跡を復元していますが、実際は今、そこに輝かしい軌跡は見られません。仏陀の生誕地であるネパールのルンビニは、著名な観光地ですが、開発が遅れて衰退しています。ボランティアが撮って来た写真を見ると、想像していた以上に貧しく、残念でなりません。私も苦を感じますが、それは方法がない苦しさで、どこから手をつけて彼らの生活を改善し、仏陀の故郷に生きる望みを持たせたらいいのか、です。私の心の中はそのような光景が堂々巡りし、様々な思いが込み上げてきました。
二千五百年前、仏陀は太子として生まれましたが、その栄華な生活を捨てて出家し、広大な宇宙と人間(じんかん)の真諦を悟り、また人は誰でも仏と同等の智慧が備わっていることにも気づきました。「心、仏、衆生の三者に相違はない」、ただ私たちは如何にして「無縁大慈(自分には関係のない人にも慈悲をかける)、同体大悲(人の身になって感じ取る)」、「人傷我痛、人苦我痛(人傷つけば我痛み、人苦しめば我悲しむ」という慈悲の心を発揮すればよいのでしょう。
マレーシアとシンガポールの慈済人に感謝します。私の仏陀の故郷に恩返ししたいという心願を聞いて、何チームかがリーレー式に苦難の人々の中に入り、貧しさと病と高齢の悪循環を見て、医療と教育を整え、生活改善を指導して貧困と病の人生から逆転できないか検討しました。
そして、彼らを支援するのに、自分にどれだけの時間と力が残されているかを考えると、遺憾に思うのですが、より多くの有志一同に懇切に呼びかけて、人の力と心が集まれば、できないことではない、と言い続けるしかありません。そして、マレーシアとシンガポールの人たちが心を一つに、世界の慈済人が関心を寄せることにも期待しています。私の心に寄り添い、その声を聞いて、仏陀の生誕地に仏法を取り戻してほしいという心願を実現してください。
生命は時間と共に消失しますが、今日という日を有効に活用し、無駄に過ごさず、生命の価値を残すことです。蝋燭が燃えるように、自分を消耗させてでも周りを明るく照らすことができます。世の中の何処かに災難や困難がある時、その心さえあれば、駆けつけることができ、誰もが神通力の備わった菩薩なのです。皆さんが心の灯りを灯し、愛の心を培い、智慧を発揮して、絶えず世の案内役になることを願っております。
(慈済月刊六七〇期より)