新型コロナウイルスの感染が急拡大した頃、台中市大雅地区に、栄養価が高くて食欲をそそる味の濃い煮物を常備して、いつでも届けられるようにしていた人がいた。またある人は、オンライン問診の経験を人々と分かち合うだけでなく、薬を取りに行って家まで届ける宅配天使となっていた。
「兄が感染しました。スマホで衛生福利部に通知するように言ったのですが、機嫌を損ねてしまいました。直ぐに薬を取りに行かないと…」。陳さんは慌てて電話を切るとバイクで林清棠医師のクリニックに駆けつけた。
七十歳のお兄さんにとってスマホはいつも、掛かって来る電話に出るだけである。突然、何日も自宅隔離しなければならなくなり、その上、インターネットを使っての通報と問診の必要が出ると、頭が回らなくなって頭痛を訴え続けるだけで、スマホの操作を諦めてしまったため、甥の奥さんは叔母の陳麗雪(チェン・リーシュエ)さんに助けを求めた。陳さんは硬軟織り交ぜた言い方をしながら、電話でお兄さんに忍耐強く操作方法を教えた。先ず、スマホでスクリーニングの結果と健康保険証の写真を撮ってもらい、それをアップロードし、クリニックに連絡してからオンライン問診をしてもらって、何とか作業を終えた。
台中市は六月中旬の数日間、連続で新型コロナウイルスの感染者数が台湾で最多となった。六月以来、大雅地区の慈済ボランティアは二十数人が感染した。陳さんはお兄さんのお陰で、オンライン問診を受けた経験があり、通報のプロセスをよく知っていた。そこで、薬を代わりに受け取って届ける宅配天使になったのである。大雅地区の至る所をバイクで行き来し、ジンスー本草飲の濃縮液を届ける時もあれば、西洋薬や漢方薬を届ける時もある。
ボランティアの黄美珠(ホワン・メイジュー)さんは、娘のコロナ検査の結果が陽性だと判明した時、瞬時に多くの問題が一斉に頭に湧いた。「簡易検査キットは足りているかしら?娘をどのようにケアをすれば、家族を感染から守れるのだろうか」と途方に暮れた。ある人に「経験のある陳麗雪さんに聞いてごらん」と勧められた。
陳麗雪さんが電話でいろいろな情報を直ちに提供してくれ、少しは心が落ち着いたが、それでも娘の在宅ケアの細かいことでバタバタしていた。例えば、一日三食を娘の部屋の外まで持って行き、彼女の服は単独で洗濯して消毒し、家の隅々まで丁寧に掃除した、というようなことである。丁度、端午の節句だったため、ボランティアの張貴珠(チャン・グイジュー)さんは、黄さんが隔離生活をしていても心温まる節句を過ごせるようにと、手料理と果物を添えて玄関先まで届けた。
一家全員が在宅隔離となった慈済ボランティアのために、張貴珠さんは栄養のある菜食弁当とジンスー本草飲(ハーブティー)を玄関先まで届けた。(撮影・陳麗雪)
大雅地区の法縁者ケアチームの責任者である張さんは、法縁者に感染者が出たと聞くと、直ぐに電話をかけて関心を寄せた。中には家族全員が在宅隔離になり、買い物に行ってくれる人がいなかったので、彼女は煮物やおかずを玄関先に持っていき、離れた後に出てきて取ってもらった。
その一カ月間、張さんはいつでも届けられるよう、たんぱく質が豊富な菜食の煮物を用意しておいた。法縁者は野菜炒めを添えれば、それで栄養を十分に摂れた。また、ジンスー本草飲を常備して、感染者が健康を保てるように、食事と一緒に届けた。
ボランティアチームリーダーの謝佩佩(シエ・ペイペイ)さんと葉文安(イエ・ウェンアン)隊長も、感染した法縁者と家族の健康状態と診察状況に注意して自ら関心を寄せた。そして、直ちに祝福パックと證厳法師の慰問の手紙を届け、慈済人の愛で彼らの心身を落ち着かせた。
「金燕さん、気分はよくなりましたか。まだ頭が痛いですか?」魯金燕(ルー・ジンイエン)さんが自宅隔離していた間、法縁者たちが電話で病状に関心を寄せた。張さんは、食欲が出て栄養補給になるようにと、様々な料理と果物を届けた。魯さんは、法縁者の厚い情が彼女の病気と闘っている心を暖かくしてくれたと言った。「とりわけ慈済基金会からの祝福パックの中に、上人の慰問のお手紙があるのを目にした時、涙があふれ、自分はこのようなお心遣いをいただくのにふさわしいのだろうかと思いました」。
魯さんは頭痛、動悸、呼吸困難など、体の不快さは五日間も続いた。幸いにも聖原漢方クリニックの郭儒綺(グオ・ルーチー)医師がいち早く「清冠一号」という漢方薬を処方し、症状を和らげてくれた上に、高齢の義理の両親に感染しないように、と空き家を隔離用に貸してくれた。
愛生クリニックの林清棠(リン・チンタン)医師と郭医師は二人とも慈済人医会のボランティアで、普段は大雅地区の住民や慈済のケア世帯と一人暮らしの高齢者を世話している。この時期はオンラインによる診察で忙しく、休診時間にも陽性患者の具合や服薬状況に注意したりして仕事量が多過ぎるため、食事や休息もろくに取れない時もあった。
張さんはその状況を見かねて、二人の医師をサポートした。「私ができる唯一のことは、愛を込めて菜食料理を作り、診療所に持って行って、医療スタッフを応援することです」。「私の仕事は些細なもので、母親が子どもを心配するように、二人の大医王に多忙な中でも温かい食事を取って欲しいと願っているだけです」と張さんは遠慮がちに言った。
(慈済月刊六六九期より)