台中の慈済連絡所七カ所にワクチン接種会場を設置─高温と高接種率 臨機応変に暑さ対策
慈済基金会は各県や市政府の防疫政策に合わせて、
新型コロナウイルスのワクチン接種会場を提供してきた。
一年余りにわ… Read More »
九月の出来事
09・03
花蓮慈済病院は3日と4日、25人の専門家や学者を招いて、第14回パンパシフィック国際幹細胞及び癌研究オ… Read More »
人間(じんかん)には苦も福もある
人生は苦である----
苦は無常にあり、苦は生老病死にあります。
成住壊空も苦であり、因果を理解しないから苦しむの… Read More »
最も困難な時、最も尊い奉仕─ウクライナ家庭を迎え入れるポーランド
ロシア・ウクライナ戦争は、無数の家庭を引き裂き、女性と子供は客人としてポーランドに逃れた。所持金は僅かしかないが、… Read More »
正信の道を作りましょう
次の人が安心して歩けるように、
道のでこぼこを無くしましょう。
心の道を平らにするのは、欲望が再び頭をもたげたりす… Read More »
ネットゼロの有志たち 「五ゼロ」の達人を募集中
私は今後さらに三十年、百一歳まで環境教育に携わり、より多くの人々に脱炭素の実行を促したい。
人類が摂氏一・五度とい… Read More »
日々を美しく 慈済のネットゼロ生活
統計開始以来、世界は最も暑い時期を経験している。
「ネットゼロ」はもはや特定領域の専門用語ではない。
各国は二○五… Read More »
カナダで暮らす難民 永く安らぎが得られるように
長年難民ケアに関ってきたボランティアは、何度も「赤貧洗うが如し」の難民生活を見てきた。
中東とアフリカでの紛争が収… Read More »
食事や薬を届けるエクスプレス宅配
新型コロナウイルスの感染が急拡大した頃、台中市大雅地区に、栄養価が高くて食欲をそそる味の濃い煮物を常備して、いつで… Read More »
歩む先に心友がいる
避難してきた人の苦しみに間近で共感すると、心がとても重く感じるが、辛く長い支援の道中で、私たちは心の友を見つけるこ… Read More »
ゼロエミッション・慈済基金会─実行するだけでなく、もっと良くする
慈済は一九九〇年より環境保全志業を推進して来たが、やがて到来するカーボンニュートラル(二酸化炭素排出実質ゼロ)の実… Read More »
ネットゼロの試練
EUは来年度に世界初の「国境炭素税」計画を推し進める予定である。それにより、「ネットゼロ(温室効果ガス排出量実質ゼ… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
辛い流浪の旅
證厳上人のお諭し
法縁者のつながり
行脚の軌跡
九月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。