
九十三歳の老人が家で卒倒した。救急人員が現場に着くと、屋内、屋外とも種々雑多な物が山積みにされていたので、腹ばいで中に入ってやっと老人を運び出し、病院に搬送することができた。
ボランティアたちは、塀をのり越え、門扉を外してごみの山を運び出し、老人と地域住民に安全で衛生的な居住環境を取り戻した。
土曜日の朝八時前、新北市永和区秀朗路一段の路地に各地から来た八十人余りのボランティアが集まり、住居の清掃準備をしていた。門扉の向こうは種々雑多な物に遮られ、入ることができなかった。ボランティアは仕方なく、塀を乗り越えてそれらの物の山の上に立ち、少しずつごみを運び出すことでスペースを作り、そして二枚の門扉を取り外した。
得和地区の代表、蔡綉花(ツァイ・シュウフヮ)によると、九十三歳になる住民の張さんは先日、家で卒倒したため、友人が通報した。救急人員が来た時、三十坪の家は種々雑多な物が山積みにされて、僅かに一人が横になるスペースしかなかった。救急人員は中に入ることができず、戻ってから、もう一度体格が小さめの人を派遣してやっと中に入り、患者を運び出して、病院に搬送することができた。
永和区慈済ボランティアの初志堅(ツゥ・ヅージェン)さんは、地区の代表から、張さんの居住環境を改善してあげるために、彼が二、三十年間溜めてきた雑物の清掃を手伝ってもらえないかと聞かれ、六月十五日に行うことになった。参加者は、永利ボランティア消防隊員や得和地区のコミュニティボランティア、般若共修会、慈済ボランティアなどの他、ネットの情報を見て、自発的にやって来た九人の若者が含まれていた。
張さんは、元は塗装屋で、家には木製の梯子だけでも五十数脚ある上に大量の塗料缶を貯蔵しており、その上、資源ごみがいっぱいあった。周辺住民の安全を考えて、十一人の永利ボランティア消防隊員は大声で、「重い物は、私達に任せてください」と呼びかけた。彼らは消火用の「おきかき」まで持って来た。それは火が燻っている時に灰をかき回すためのものだが、それを使わないと、積み重なった雑物を素手で運ぶしかなく、時間と手間がかかるのだ。
玄関の扉を外すと、ボランティアたちは二つの通路を作って、雑物を路地口までリレー式に運んで袋に入れた。数人の若者は、終始笑顔を浮かべながら、きびきびした動作で運んでいた。皆にこの活動を呼びかけた慈済ボランティアの曽彦禎(ヅン・イエンヅン)さんは、こう言った。「体は疲れても、心は充実しています。慈悲によって、私たちは『苦を見て、福を知る』からです。そして、愛があるから、喜んで奉仕できるのです」と言った。
若者の一人、連思怡(リエン・スーイー)さんは不思議そうに言った。「私も永和区の人間ですが、永和区にこんな文明から取り残された所があるとは、想像もできませんでした。そこで直ちに申し込みました。今日の動員力はかなりの規模ですが、大事なことは皆が熱意をもって行動していることです。一緒に善を行うという心がとても大切だと思います」。
年配のボランティアたちは清掃の第一線に立って懸命に行動し、彼らの弛まない勤勉な精神と姿が若いボランティアにとって最良の模範となった。一日、手分けして交代で清掃し、大型のゴミ収集車によって何回も運搬した後、やっとリビングと部屋、そして庭という間取りが現れた。その後は環境局がトラックを派遣して、危険性のある有機溶剤を運び出してくれることになった。
張さんの子供は五十歳過ぎだが、発達障害があるため、父親の医療ケアをすることができない。幸いに友人が手を差し伸べてくれている。これで居住環境が清潔になったので、張さんも家に戻って休養することができる。地区代表の蔡さんによると、二十年前にも慈済ボランティアが関心を寄せ、住居の清掃を申し出たが、ことごとく張さんに拒絶されたそうだ。だが、物を溜め込む癖は日増しに深刻になり、手が付けられなくなってしまった。近所の住民は皆、ボランティアに感謝した。「この問題が解決したので、これから安心して暮らせます」。
(慈済月刊六九三期より)
張さんの家は、種々雑多な物が山積みになり、30坪のスペースは足の踏み場もなく、居住品質は一目瞭然であった。


数回の清掃と整理で、家は少しずつ元来の広々としたスペ―スを取り戻した。
