住み続けられる街づくりを—災害を防ぎ、備え、被災しないようにする

2023年台風6号(カーヌン)で南投山間部の村々が孤立し、慈済基金会は南投県政府、カルフールと協力して1・7トンの生活物資を緊急手配し、空輸した。(撮影・林政男)

極端な気候は益々酷くなり、安全な暮らしと生存基盤を脅かしている。国連は、持続可能な開発目標(SDGs)の目標十一「住み続けられるまちづくりを」で国境を越えた協力を提唱し、安全なまちづくりを呼びかけている。

慈済は災害予防と救援能力を向上させるだけでなく、各界の有識者に協力を呼びかけ、地域を守る力を強化している。

今回の地震でたくさんの家が倒れました。私の家も壊れてしまい、どうしたらいいか分かりません」。白髪混じりのお年寄りが「安心ケアエリア」にやって来て、被災後の苦境を語った。慈済のケア担当ボランティアは、先ず彼の感情を発散させ、その後に「ご家族は無事でしたか?」と優しく尋ねた。

「みんな無事です!でも家が壊れて住むところがありません」。お年寄りが答えると、スタッフは直ぐ彼をなだめ、避難所への受け入れ手続きを手伝った。「今、皆さんの避難先を調整しています。カウンセラーと相談したい方は、面談室にお越しください」と声をかけた。

今年十月、新北市板橋区役所と慈済慈善事業基金会は共同で、「災害協力センター避難所開設訓練」を実施した。板橋区でマグニチュード六・六の強い地震が発生し、二千三百棟以上の家屋が全壊または半壊になり、六万人以上が仮住まいする必要に迫られた、という想定だ。大漢渓や浮洲橋の近くにある慈済板橋志業パークが、緊急時の避難者受け入れ任務を担った。

「なぜ慈済に依頼するのか。それは被災者支援の経験が豊富で、収容スペースが十分にあり、支援の方向も多方面である上、動員力が高いからです」。訓練を開始する際に、協力機関である国立台湾大学気候天気災害研究センターの林永峻(リン・ヨンジュン)副研究員が簡潔に説明した。

会場では、被災者受け入れのシミュレーションが行われ、慈済と板橋区役所及びその他の協力機関が、迅速に二十七種類のサービス拠点や生活施設を開設した。これには、対応センター(指揮センター)、合同サービスセンター、臨時派出所、住民受付登録エリアなどが含まれていた。最も重要な避難所の生活エリアは、単身男性用、単身女性用、家族用、特別ケア用のエリアに細分され、慈済ボランティアがジンスー福慧エコ間仕切りと折畳み式福慧ベッドを設置し、基本的なニーズを満たしながらプライバシーを確保した。これら全ては、今年四月三日の花蓮地震時に大量に活用されたもので、国際的にも高評価を得た救援物資である。

訓練終了後、新北市政府の柯慶忠(コー・チンヅォン)副秘書長がこう評価して言った。

「本日の訓練は、実際の運用そのものでした。新北市が第一級レベルの災害対応センターを開設した際にも、慈済はここで同時に対応してくれて、その対応能力の高さが際立っていました」。

今回は、二○二○年六月に慈済と新北市政府が「共善提携」協定を締結した後、合同で実施した四回目の避難所開設訓練である。正式な訓練はわずか二時間だったが、事前の現地調査、準備、チーム編成訓練、リハーサルといった作業により、慈済、市政府、区役所及び関連協力機関が三カ月にわたり調整してきた。こうした繰り返しの取り組みによって培われたチームワークと熟練度が、お互いの大規模災害への対応能力を高めている。

慈済と板橋区役所が合同で避難所開設訓練を実施した際に、林永峻氏が新北市政府や各参加団体に説明を行った。(撮影・蕭耀華)

公私連携で寒夜に温もりを

今年、台湾は○四○三花蓮地震に加え、台風三号(ケーミー)、十八号(クラトーン)、二十一号(コンレイ)、二十五号(ウサギ)という四つの台風の襲来に見舞われた。気候災害が頻発し、規模が大きくなっていることを鑑み、慈済の緊急支援モデルは、災害後の救援から災害発生前の準備へと発展した。慈済基金会の慈善事業発展処主任の呂芳川(リゥ・フォンツアン)氏は、「以前はどこかで困難が生じれば、慈済が助けに行くというものでしたが、現在は事前に予防し、防災教育と宣伝、防災倉庫の管理、高リスク地域で災害に遭遇しないこと等の準備に力を入れています」と述べた。

避難所では食事や宿泊スペースを提供するだけでなく、心理的なケアも行う。慈済は県市政府と避難所の開設訓練を行い、宗教的寄り添いのコーナーでは、ボランティアとソーシャルワーカーがケアを提供している。写真内の名札は「宗教寄り添いコーナー (仏教)」。(撮影・蕭耀華)

慈済は2022年「国家防災日」の訓練に参加し、花蓮県立体育館に避難所を設置した。この経験は今年の0403花蓮地震で活かされた。(写真1・総統府提供)

救援物資である福慧間仕切りや福慧ベッドは、避難所での市民のプライバシーを守る。(写真2・蕭耀華撮影)

慈済は、慈善救済や環境保護、災害防災能力を高めるため、台湾全土の各県・市政府及び中央レベルの環境部、消防署などの関連機関と「共善提携」協定を締結している。官民が協力して推進するこの取り組みに、多くの企業も参加し、慈済と契約を結んで、共に善い行いで人助けすることを約束している。

呂氏は、多くの政府機関が正式な契約締結前から、慈済が提供する支援を高く評価していたと述べた。

「以前は協力する際に関連部署に照会し、いくつもの手続きや承認を経る必要がありました。しかし、今は協定があるおかげで、迅速に窓口と連絡が取れ、お互いの協力を加速することができます」。

屏東県政府社会処社会救助科科長の張佳樺(ヅァン・ジァフヮ)さんは、協力協定の恩恵を深く感じている。二〇二三年九月二十二日午後、屏東市のある下請け工場で大規模な火災が発生し、十人の命が奪われ、百人以上が負傷した。その時、張さんは災害対応センターにて救助課の役職に就いていたが、深夜十一時ごろ、急遽現場でテントが必要だという指示を受けた。

深夜だったので、業者に人力と出荷を依頼することができず、困り果てた張さんは、断られることを覚悟して屏東慈済のソーシャルワーカーに電話をした。すると、驚いたことに、すぐボランティアに連絡が付いて、テントの準備と組み立て人員の招集をしてくれることになったのだ。遺体が次々と運び出される中、宗教的な寄り添いが必要な場面もあったが、それを言い出すのは難しい状況だった。

「深夜一時か二時頃に助念を依頼したのですが、本当に差し迫った状態でした」。張さんは、不安と心苦しさが入り混じった思いを抱きながら、再び慈済の関係者に連絡を取った。ソーシャルワーカーは、「深夜なので人数は多くありませんが…」と申し訳なさそうに答えた。そして、数人の男性ボランティアが暗闇の中、葬儀場に向かい、亡くなった方への助念を行って、家族を支えたのだった。

火災現場は混乱を極め、最後の犠牲者が発見されたのは九月三十日になってからだった。その間、家族は毎日捜索現場で不安と悲しみを抱えながら待ち続けていたが、慈済ボランティアは終始寄り添い続けた。張さんは、その卓越した超水準の寄り添いにとても心を打たれ、その感動を語った。

「家族が最も心細く、支えを必要としていた時に、慈済の女性ボランティアが優しく手を握り、肩に手を添えて寄り添ってくれたのです。どれほど温かく感じ、拠り所となったかわかりません」。

火災後の片付けにおいても、張さんはボランティアが苦労を厭わず、細やかな配慮をしている姿を目の当たりにした。その支援が円滑に行われたのは、ボランティアの熱意が持続したからだけでなく、「共善提携」協定の力が大きかったと述べた。政府機関と協定を結んだ団体との連携があれば、書類のやり取りや調整にかかる時間を大幅に削減できるのだ。

「正式な契約を結ぶことは、公の場を通して、屏東県政府と慈済がこのような協力関係にあることを社会に知らせることになります」。張さんは、「屏東県政府と社会局には、慈済のような素晴らしいパートナーがいて本当に幸運です。災害時には、非常に力強い後押しがいるのです」と述べた。

災害への備えは災害状況を想定した準備であり、協力機関は訓練の際に避難所での異なる年齢層のニーズに合わせてシミュレーションを行うようにしている。(撮影・蕭耀華)

業界を超えた提携で社会資源を活用

国連の持続可能な開発(SDGs)の目標十一「住み続けられるまちづくりを」では、包摂的で安全性を備えた、しなやかで持続可能な都市や地域の構築を掲げている。特に二〇三〇年までに、災害による死者や被災者の大幅削減が目標として含まれている。民間企業との協力による「共善提携」は、社会資源をより効果的に活用し、地域の防災と緊急援助への対応を可能にする。

二〇二四年六月二十一日には、北廻線の花蓮崇徳駅と和仁駅の区間で土砂崩れが発生し、新自強号列車が脱線した。この事故で九人が負傷し、五百人余りの乗客が列車を降りての避難を余儀なくされた。事故後、台湾鉄道は慈済に支援を要請し、乗客に食料と水の提供を依頼した。

突然の出来事で、乗客たちはシャトルバスに乗り換えることになったため、物資は一時間以内に届ける必要があった。静思精舎の師父たちは、急いで菜食チマキを蒸し、花蓮の慈済ボランティアが新城郷のカルフールで商品を調達した。

新城郷カルフール店長の林廷生(リン・ティンスン)さんは、慈済との緊急物資供給の連携について簡単に説明した。「慈済とカルフールの間には連絡用のグループチャットがあり、必要な時に、ボランティアがグループに情報を発信します。我々は即座に人員を動員して、物資の品目と数量を確認します」。

売り場のスタッフがパンやペットボトル入りの水を探し出して整理し終わると、ボランティアの貨物車も到着した。協力協定に基づき、緊急時には物資の輸送を最優先し、請求書の発行などは事後に対応することになっている。この協力関係がなければ、ボランティアは売り場で物資を探し、レジで順番を待つ必要があり、かなりの時間がかかってしまう。

「協力協定があるおかげで、私たちは店舗全体の力を動員して物資を準備することができ、効率面で大きな違いが生まれます」と林さんが補足した。本社が慈済と協力を始めて以来、防災や備えにおいて両者の間に、様々な暗黙の了解ができている。例えば、台風が接近する前に、店舗側があらかじめペットボトルの水やインスタント食品などの物資を多めに用意しておくことは、住民の台風対策の需要に応えるだけでなく、災害時の緊急対応の準備にもなるのだ。

一般の民間企業との間で緊急災害支援の協力体制を構築することに加え、長年にわたり慈済を支援してきた実業家ボランティアたちも、近年では自らの企業を率いて慈済基金会と正式に協力協定を締結している。例えば、二〇二四年一月に中美医薬グループの董事長である林命権(リン・ミンチュエン)氏が、台中静思堂で慈済基金会執行長の顔博文(イェン・ボーウェン)氏と「企業共善」協力協定にサインした。

かつて「快楽児童精進班」に参加し、慈済の寄り添いの下で成長した長男が、自分の人生を通じて支えてきた団体と協約を結ぶ様子を見て、林氏の母であり、同グループ総裁でもある李阿利(リー・アリ)氏は深い感慨を抱いた。慈済のベテランボランティアである彼女は、「法人同士の契約であり、個人間の私的な関係ではありません。例えば、私がいくら寄付するかは個人の問題です。しかし、本日会社が企業として契約したのは、社員全員が善行を行うことを望んでいるからです」と述べた。

家族が製薬業界に従事し、「良薬をもって世を救う」という家訓を掲げている李阿利さんと、夫の林本源(リン・ベンユェン)さんは、三十年以上前に慈済に出会い、積極的に護持して来た。一九九九年、台湾とトルコでそれぞれ大地震が発生した際、林夫妻は台湾九二一震災の救援に寄付しただけでなく、慈済の呼びかけに応じて社員を動員し、医薬品をパックしてトルコに送った。その後も、インド洋大津波など、いくつかの国際的な大災害に際して、医薬品を提供して慈済の救済活動を支援して来た。

二〇二四年十月、李さんと長男の林命権さんは再び「医薬パック作り」を呼びかけ、社員を率いて慈済のボランティアと共に、千三百六十二個の携帯式保健パックを作った。「今回の医薬パックは、海外支援活動に赴く慈済ボランティアが持参するもので、かぜ薬や痛み止め、胃腸薬、絆創膏などが入っています。もし、被災地で蚊に刺された時や、湿疹が出たりした時に使用できる常備薬も揃えています」と李さんが説明した。

愛と善を出発点に、環境保護、防災・救災、弱者支援といった分野で専門性を活かして貢献することができるのだ。「企業の規模は関係ありません。例えば小さな飲食店や書店、どのような業種でも、持続的に取り組み、専門性を活かして善行すると発心して行動すればよいのです」と李さんが励ました。

台風時には小型ボートで温かい食事を届けた。大きな事故や自然災害では、防災や災害時のケア能力を高める重要性が浮き彫りになる。(撮影・莊煌明)

特急「タロコ号」脱線事故では、家族の悲しみに寄り添った。(撮影・林素月)

持続可能な発展は防災の必修科目に

個人の寄付から、NGOや企業、政府間の連携と協力に至るまで、「協力提携」の締結がもたらす影響力は加速度的に拡大している。特に現代の国際社会では持続可能な発展が重視され、企業や組織に対して環境(Environment)、社会的責任(Social)、企業統治(Governance)の面での要求と監視がますます厳しくなっている。頭文字を合わせてESGと言われるこれら三つの観点を着実に実践し、環境への負荷を減らし、人類の持続可能な発展に貢献することは、もはや選択可能な加点項目ではなく、達成しなければならない、厳格な「必修科目」なのである。政府、企業、NGOが連携して資源を共有し、災害に対応し、人類と地球を守ることは、大きな潮流となっているのだ。

防災は救災に勝る。それは、多様なパートナーと共善を行い、それぞれが持つ資源を統合して活用することで、災害の影響をより軽減できるのである。また、地域社会において防災の意識を住民に浸透させることが必要だ。災害が発生しても迅速に復旧できるようにすることで、居住する都市や農村がより安全で強靭、そして持続可能なものとなるのだ。

(慈済月刊六九七期より)

防災士が防災の善知識になる

文/葉子豪(月刊誌『慈済』執筆者)
撮影/蕭耀華(同カメラマン)
訳/葉美娥

防災士には、住まいの安全、コミュニティの防災、災害への対応、避難生活に関する様々な知識が必要。慈済ボランティアは、防災士養成研修講座を受講して、心肺蘇生法や包帯の巻き方などの応急処置といった基本的な救急救命技能を習得する。

気候変動により、極端な災害が常態化する傾向にあることを鑑み、内政部は民衆とコミュニティによる自主的な防災能力を強化できるよう、二〇一八年より、日本で実施されている「防災士制度」を台湾に導入した。また同年八月、南投県消防訓練センターで、台湾で初めてとなる防災士養成研修講座が開講した。

そして、長年にわたる緊急援助と国際的災害復旧復興支援の経験を持つ慈済基金会も、積極的に「防災士養成機関」になることを目指した結果、二〇二〇年に政府の認可を受け、公的部門と共同で防災士養成研修講座を開設することが可能となった。

(慈済月刊六九七期より) 

防災士とは?

  • 防災の基礎知識と技術を兼ね備えたボランティアのこと。15時間の研修コースを修了し、救急救命実習と学科試験に合格すると、内政部から認証状が発行される。
  • 平時には自ら家庭やコミュニティ、職場で防災活動を広めることができ、災害時には、公的救援が到着するまで、被災地での初期消火、避難誘導、被災状況の通報などの応急作業を行うことができる。
  • 慈済が他の公的部門や民間組織と協力して養成した防災士(慈済ボランティアと一般の民衆を含む):11,050人。

(2024年10月現在)

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