儲からない裁縫師

母は裁縫の仕事をして私たちを育ててくれた。七十六歳になった彼女は、今も熱心に仕事を続けている。客がお直しに服を持って来るのは、彼女と世間話をしたいからである。「互いを思いやる」善意と心の交流が、狭い工房に満ちていた。

作者懿旖(イーイー)さんの母親は、若い頃から今に至るまでミシンを踏み続けている。自分は極めて倹約的だが、周りの人に対しては気前が良いので、数多くの良縁を結んで来た。

台湾最南端の屏東の辺地にある客家人の農村に生まれた母は、十八歳の時に一人で台北に出ると、裁縫を勉強して生計を立てるようになった。一人で服の注文仕立てや直しをして家族を養った。勤勉で倹約家の客家人精神が、彼女には惜しみなく現れている。服装は、一年中いつも白い服と黒いスカートだ。両方を二枚ずつ持っていて交互に着るのだ。自分に対して極めて倹約的だが、他人に対しては非常に気前が良かった。

今年七十六歳の彼女は、今でもお直しの仕事をしている。いつもサイズ直しなどの簡単な用事で来る客に対しては、ついでだからと言って、お金を取らない。時には、客と母がお金を押しつけ合っているのを見かける。母は「いいの、要らないから!」と懸命に断るが、最後に客はお金を置いて、さっとドアを開けて逃げてしまうのである。

もし客が外国人労働者だったら、母は費用を安くするか、無料サービスにする。適当な物があれば、その人たちにあげることもある。異国で頑張っている辛さは、十八歳の時に異郷で生計を立てた彼女にはよく分かるのだと言っていた。

「損得を気にしてはいけない。度量が大きければ、福は自然とやって来るよ」。母はいつも私にこう言う。母は周りの人に寛大なので、良い縁に恵まれたのだ。多くの客はお直しにやって来るのだが、主な目的は母と世間話をしたいからである。母は、あまり学歴はないが、真心で人に接し、誠実である。新しい洋服を買ってはお直しに持って来る若い客には、「あまり無駄遣いをしないように。買う量を減らしてね」と思わず自分の子供のように諭してしまうのだ。

新年や祭日になると、狭い工房の中は様々な贈り物でいっぱいになる。ほとんどの客が彼女を友だちだと思っているので、彼女の好意にお礼をしたいと言って、持ってくるのだ。

相手がよくしてくれたら自分はもっと尽くす

「相手がよくしてくれたら自分はもっと尽くす」とは、母の処世信念である。毎年、端午の節句になると、母はいつも自分で食材を買って来て粽を作る。「今度は九キロの食材を買って、一人で百十個の粽を作って多くの人に分けたわよ。皆、私の手作り粽が美味しいと言ってくれるの」と電話で私に自慢していた。

粽を作るのに、一週間も忙しい日が続いた。毎日早朝の四時に起きて粽を作り始め、その後八時に工房でリフォームの仕事を始める。夕方にやっと家に帰り、夕食の支度をして食事と家事を済ませると、深夜の十二時まで粽を作り続けた。

母にはそんな頑張りをしてほしくないが、「お客さんから贈り物をもらうたびに、お返しするものが何もなくて恥ずかしいのよ。手作りの粽だったら、誠意満点でちょうどいいでしょう」と言った。彼女の粽は、ただの粽ではなく、人の温もりと感謝の気持ちを包んでいるのだと私は思った。

彼女は平凡で素朴な人間だが、情熱的でもあり、その姿には多くの台湾人に共通する勤勉さが現れている。自分なりの方法で、周りに優しい雰囲気を醸し出しているのだ。私は慈済という大家族に入ってから、もっと多くの、このような真心から出た誠意を見て来た。リサイクルセンター、調理場、大小さまざまな慈善活動で、時間を気にせず熱心に自分の労力で以て奉仕する人たちだ。みんなに共通する信念は、「人々のために」である。

利他の信念を結集すれば、大きな力となる。五十八年前のように、花蓮で三十名の主婦が、「人助けのために一日に五十銭を貯金する」という単純で優しい考えから、市場で寄付を募った。その善意の信念はさざ波のように広がり、庶民から企業家までが、それぞれの力や良能を奉仕するようになった。今日では、慈済の足跡が、世界百三十六の国と地域に及んでいる。

善と愛の積み重ねは、他人への思いやりから生じたものだ。この愛の雰囲気は、分厚い福の防護カバーとなって、台湾という美しい大地と、この土地にいる愛しい人々を護っていくだろう。

(慈済月刊六九三期より)

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