フィリピン—慈済フィリピン眼科センタ:新しい視力、新しい義足、新しい人生

ティモテオさんは、事故で最愛の妻を亡くしたばかりでなく、自分の右足も失った。肢体が不自由な人生に再びショックを与えたのは白内障だった。未来が見えなくなってしまったのだ。

彼はそれら辛い出来事によって、人生の無常を理解した。果たして幸せは再び訪れるのだろうか。

五十五歳のティモテオ・ディセンさんは、松葉杖に頼っておぼつかない足取りで慈済眼科センターにやって来た。

四年前、彼は妻と一緒にジプニー(フィリピンの乗合タクシー)で帰宅する途中、車はブレーキが効かなくなって、横転した結果、乗客二人が亡くなり、二十八人が負傷した。事故で彼は妻を亡くしたばかりでなく、右足も失った。あのアクシデントは、彼と妻の未来を奪っただけでなく、あっという間に彼の正常な生活を奪い去った。

「私がまだ入院中だったにも関わらず、彼らは妻の葬式を済ませ、埋葬してしまいました。私がやっと退院できた時には彼女はもういませんでした」と彼は涙を流しながら過去の心痛な出来事を訴えた。

彼は家族に迷惑をかけたくなかったので、以前のように建築現場の仕事をしたり、兄弟の畑仕事を手伝ったりした。しかし、右目に白内障の症状が現れた時、彼は再び無力さを感じた。その時、友人がマニラのサンタ・メサ地区にある慈済眼科センターに助けを求めるよう進言してくれた。

ボランティアは彼の事情を把握すると、先ずフォーブス・パークのロータリークラブに支援を求めた。まず彼に義足を付けて歩行能力を取り戻してあげたいと考えた。同クラブの会長であるアントン・ジェコビナ氏は、「我々は彼のような人が、自分を社会の負担だと感じるのではなく、充実した生活が送れるようになることを願っています」と言った。

今年二月、彼が慈済眼科センターを訪れた、その一周間後、義足の採型を受け、四カ月後に初めて義足を装着した。事故から四年経って第一歩を踏み出したのである。「私は目の検査のためにここに来たのに、あなたたちは私に義足を作ってくれました。どんな傷も素晴らしい道具で癒すことができるのですね。これは嬉し涙です。あなたたちは私に喜びを取り戻させてくれました。本当に感謝しています」と彼は涙ながらにボランティアに告げた。

ティモテオさんは勇敢な闘士だと、フィリピン慈済医療基金会の李偉嵩(リー・ウェイソン)執行長が言った。彼は人生のアクシデントに負けず、勇気をもって前へ進み続けている。「亡くなられた奥様の冥福をお祈りします。きっと彼女は何処かであなたを見守っていると私は信じています。彼女も幸せを感じているでしょう」と、彼もティモテオさんを励ました。

白内障の手術を待つ間、ボランティアは定期的に彼を訪問し、彼が自宅で新しい義足をつけて歩行練習できるよう、新しい靴を買ってあげた。

六月十九日、彼は慈済眼科センターで手術を受けた。当日は七十九人の患者が施療を受けた。十二人の眼科医が午前六時から無償で手術を行った。手術後まもなく、彼は視力を取り戻し、楽観的で自信がついた顔になった。四カ月前にボランティアたちが出会った絶望的な顔をしたティモテオさんとは別人のようで、まるで天と地の違いだった。

「私は全てをなくし、もう取り戻せないと思っていました。あなたたちは私に回復するまで付き添って助けてくれました。私は新しい就職口を探します。私は生きている限り、あなたたちが私に再起のチャンスを与えてくれたことを忘れません」。ティモテオさんは辛い方法で人生の無常を理解した。しかし、視力を取り戻し、新しい右足をもらったことで、奇跡的に第二の人生を得たこのチャンスを大切にしようと思った。

(慈済月刊六九四期より)

フィリピン慈済医療基金会

  • 外来患者数:15564人
  • 手術を受けた患者:延べ1973人

(2024年1月から7月までの統計)

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