東南アジア—強い台風11号 被災後のドキュメンタリー

八月三十日、台風十一号(ヤギ)は、フィリピンの東方海域で発生し、九月二日に軽度台風となってルソン島に上陸した。そのまま速いスピードで通過し、南シナ海に進みながら勢力を強め続け、中国、ベトナム、ラオスを通過した後、タイとミャンマーに豪雨をもたらした。全体で二千万人以上が被災し、二〇二四年にアジアで発生した台風のうち、最も勢力が強かったと言われている。

(撮影‧シンハラット‧チュンチョム)(場所·タイ北部ムアンチェンライ郡 メーヤオ郷コクリバー)

台風十一号(ヤギ)は九十度近い大きなカーブを描いて台湾を掠めたが、逆に東南アジア諸国が大変な事態に遭遇した。台風は、九月二日にフィリピン・ルソン島に上陸して、土砂災害や洪水被害を引き起こし、首都マニラから約二十五キロの距離にあるリサール州では、山崩れが起きた。毎年二十以上の台風がフィリピンを襲うため、ボランティアは既に、迅速に対応する災害支援マニュアルを確立している。今回は千百世帯余りに白米等の物資を配付し、被害が大きかったアンティポロ市の二つの地域で、家が損壊した世帯に建築材料の購入券を配付して、住民が店舗で引き換えに必要な建材を受け取り、住宅を修繕することができるようにした。

しかし、それは悲劇の幕開けに過ぎず、九月六日、台風十一号は中国・海南省に上陸した後、ベトナムに進んだ。勢力は徐々に弱まっていたが、残留していた雲がインドシナ半島を通過し、インド洋に入る過程で、雨水が豊富な雨季と重なってしまい、ミャンマーとタイでは多くの河川の水位が急上昇して洪水を引き起こし、山沿いで発生した土石流により農地が埋もれた。統計によると、台風十一号による東南アジアでの犠牲者は、七百人以上に上った。

ベトナム政府はこの台風を、近年の三十年間で最も勢力の強い台風であると認定した。慈済人は北部で被害の大きかった地域の一つであるラオカイ省およびイエンバイ省で被害調査を行った。被災者の多くは農民で、家屋がほぼ全壊に等しい被害を受けた人もいた。元々彼らは貧しい上に、災害リスクの高い地域に住んでいて、再建は難しかったので、政府の支援の下に、移住することになった。慈済人は十一月中旬に、二千六百世帯余りに見舞金を配付して、緊急時を乗り切れるよう支援した。

同様にタイ北部のチェンマイ県、チェンライ県でも、ここ八十年間で最も甚大な洪水被害に見舞われた。被災地の近くにあるチェンマイ慈済学校では、先生と生徒たちが自主的に被害調査や配付活動に参加し、清掃を手伝った。首都バンコクにある慈済タイ支部のボランティアは、そのすぐ後に遠隔地の町や村を訪れ、被害調査を行った。

ミャンマーの被害は、より広い範囲に及んだ。首都ネピドーやマンダレー、バゴー、そしてシャン州の低地が洪水で浸水し、その被害は全国六十四の町や郡に広がり、多くの道路と橋が損壊した。現地の慈済会員の協力の下、慈済人はネピドー・ノースダゴン郡の村落に入り、緊急支援として見舞金を配付すると同時に、「仕事を与えて支援に代える」活動を始めた。住民は外部との連絡道路の清掃から始め、続いて泥の中にあった家が本来の姿を取り戻していった。

東南アジアは、世界規模の気候変動に対して最も脆弱な地域の一つである。被災地の多くが農業国であるため、深刻な農業被害が起きると、食糧の安全のみならず、食糧価格の高騰が貧困や飢餓問題を助長するようになる。国内のインフラも深刻な損害を受け、救援活動にも多くの試練が待ち受ける。困難な復興への道は、慈済人の付き添いがあれば、共に困難を乗り切ることができる。

(慈済月刊六九七期より)

被害状況の概要
  • アジアでこの数十年稀に見る地すべりが起きた。
  • 多くの住宅が浸水や停電、或いは村落が水没し、 インフラが損壊した。
  • ミャンマー政府は、緊急事態を宣言し、珍しく国際社会に支援を呼びかけた。

慈済の支援

(2024年11月25日までの統計)

ベトナム

  • 北部のラオカイ省、イエンバイ省での災害視察。(9月25日~28日)
  • ラオカイ省ナムプンコミューン、サンマサオコミューン及びイエンバイ省チャウ・クエ・トゥオン・コミューン、チャウ・クエ・ハ・コミューンにて見舞金を2671世帯に配付。(11月15日~19日)

ベトナムは台風11号が通った終点となったが、この30年間で最大の洪水が発生した。ボランティアは首都ハノイから北部のラオカイ省へ行って訪問ケアを行い、2時間かけて山を上り、荒れた農耕地の中で被災世帯を探した。

ラオカイ省ナムプンコミューンの住民は農業が主体で、5つの村落の382世帯の約65%が貧困か、それに近い状態で、台風の後、3分の1の被災世帯が、政府の支援による移住を待っていた。ボランティアは災害視察と訪問ケアを行い、餅菓子を贈って縁を結び、更に11月には、各世帯の人数に合わせて7万2千〜12万円相当の見舞金を配付した。(撮影‧阮廷雄)

ボランティアは9月25日から28日まで災害視察で、ラオカイ省ナムプンコミューンに向かう途中、何度も土砂崩れが起きた場所に遭遇し、一部の道は車両が通行できず、下車して徒歩するか、バイクでの移動を余儀なくされた。台風通過後の山は脆く、住民の安全が懸念されている。(撮影‧阮廷雄)

タイ

  • チェンマイ慈済学校の先生は、チェンマイ県・ファーン郡、メーアーイ郡ドイレム村およびチェンライ県メーファールワン郡メーサロン村を慰問した。被災視察の後、見舞金を46世帯に配付し、29名の寄宿生がファーン郡政府による被災住宅の清掃活動に参加した。(9月12日~10月5日)
  • 慈済タイ支部はムアンチェンライ郡、メーサイ郡の一部地域で被害視察を行い、薬品500人分、子供用の薬250人分、清掃用具と日用品500セットを配付した。(9月18日~19日)
  • チェンマイ県の慈済ボランティアは、チェンマイ県の市内及びサーラピー郡で2585食の炊き出しを行い、毎日チェンマイ県の社会福祉局と協力して300食を提供した。(9月26日~30日、10月5日~8日)
  • 道路が通行可能になるのを待って、二回ムアンチェンライ郡、メーサイ郡、メーファールワン郡及びウィエンケン郡で被害視察を行った。(10月4日~7日)
  • メーサロン村、タートン川沿岸の村落、ドイレム村で、中長期支援のアセスメントを行った。(10月4日~7日)
  • 慈済タイ支部はムアンチェンライ郡、メーサイ郡で888世帯に見舞金を配付した。(10月29日~30日)
  • 慈済タイ支部は、チェンマイ県メーアーイ郡で66世帯に見舞金を配付した。ムアンチェンライ郡、メーサイ郡、メーファールワン郡では、見舞金とエコ毛布を1206世帯に配付した。(11月19日、11月25日)

今回は、この80年間に北部のチェンマイ県とチェンライ県で起きた最も深刻な水害である。遠隔地の被災者に支援が行き届かないことを心配して、ボランティアは泥の中を歩いて村まで行き、配付活動を行った。山奥で宅地を調査し、地盤の緩い土地で暮らす貧困世帯が、一日も早く安心して暮らせるよう願った。10月初め、チェンライ県メーサイ郡の住民は見舞金を受け取ると笑顔を見せた。(撮影‧蘇品緹)

ミャンマー

  • ネピドー・ダゴン郡で被害視察(9月28日)
  • 「仕事を与えて支援に代える」活動による現地の清掃で、20日間に延べ5546人の住民が参加し、198世帯に見舞金を配付した。(10月8日~27日)

田畑を失い、絶望的になっていた米農家の人々は、廃墟の中から道具を見つけ出し、協力して現地を清掃した。女性たちは調理チームと生活チームに参加し、まばゆい陽の下で村内の道を隈なく清掃していたコミュニティの住民に関心を寄せた。私たちは、「仕事を与えて支援に代える」活動が与えるパワーが、士気を高め、力を合わせて村の復旧に取り組む様子を目の当たりにした。(撮影‧Hein Pyae Sone)

ミャンマーでは、寺院が社会福祉機構のような役割を果たしている。現地のチャン・ミャエ・ミャイン禅修院のウー・ティハ・ニャル・ナ法師が、被災地へ案内してくれたことで、より甚大な被災状況を見た。10月下旬、「仕事を与えて支援に代える」活動による現地の清掃は第一段階が完了し、法師は村人と励まし合った。(撮影‧Hein Pyae Sone)

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