編集者の言葉
台風四号(ダナス)は台湾海峡に沿って北上し、台湾西側の嘉義県布袋鎮に上陸した。これは百年に一度あるかないかの事だった。中型の上限に発達した台風は、十五級の強風(暴風警報基準以上の風)で嘉義県と台南市の沿岸地域に深刻な被害をもたらした。多くの古い家は、屋根瓦やトタン屋根、ガラス戸や窓が、強風で吹き飛ばされたり、ひび割れたり、歪んだりした。この地域に数十年間住んでいる多くの住民は、恐怖の面持ちで、こんな強い風は初めてだと語った。地元の慈済ボランティアも大きな災害を被った。
台風が過ぎた後、多くの被災地で断水や停電が発生し、インターネットも不安定になった。慈済ボランティアは役所から支援要請の電話を受け取ると、直ちに出動して炊き出しを行った。そして、被災者を訪問して「安心祝福セット」と緊急支援金を届けると共に、ビニールシートを調達して雨よけの設置を手伝い、電気のこぎりで倒木を片付けるなどの支援をした。台湾全土の若いボランティアに、学校やお寺、果樹園の復旧を手伝って欲しいと呼びかけたほか、修繕や再建支援の評価を開始した。
台湾全土から慈済ボランティアが嘉義県と台南市に集まり、地元ボランティアと共に被災世帯を訪問して寄り添った。気温が高い中での復旧作業は、体力的にも非常に過酷であったが、オンラインでも、ボランティアグループを通してでも申し込みが殺到し、登録開始から瞬時に予約でいっぱいになった。ボランティアを乗せた車が次々と各学校に到着し、一つの学校で清掃が完了すると、チームを編成し直して、次の校舎へ移動したが、ボランティアは被災地に負担をかけたくないため、学校側からの食事の提供を辞退した。
月刊誌『慈済』のスタッフが、ボランティアに同行して取材したのだが、執筆者の周伝斌(ヅォウ・チュアンビン)さんは、ボランティアたちが過去の支援の経験を活かして同時に複数の作業を行っている様子を目にした。「特に温かい食事の提供は得難いものでした。水も電気も不足していた数日間は、家にどれだけ食材があっても、一品の料理も作れなかったのですから」。
撮影記者の黃筱哲(フワォン・シャオヅォ)さんは、地元ボランティアの発心に心を打たれた。彼ら自身も被災したにもかかわらず、自分たちの家の清掃や修繕作業を後回しにし、いち早く緊急援助の隊列に加わったのだ。被災した住民も温かく親切に対応し、互いに慰め合う場面も見られた。無事でいてくれさえすれば、それで十分だった。容赦ない風雨の中でも互いに理解し支え合うことこそが、最良の再建方法なのである。
慈済は、長年にわたって緊急災害支援の経験を積み重ね、災害救済モデルを完成させている。ボランティア同士にも暗黙の了解が存在するが、益々頻繁に起こる気候災害や高齢化という社会現象と向き合ううちに、レジリエンス(回復力)を向上させることが、災害後の思考及び精進の方向性となっていった。
今年の六月から七月にかけては、台湾の台風被害だけでなく、オーストラリア東海岸では爆弾低気圧が発生し、西ヨーロッパでは熱波が、アメリカ・カリフォルニア州中部ではマドレ火災が、ギリシア・クレタ島では山火事が、日本の鹿児島県では地震が頻発していることから、科学技術が急速に発展する時代に生きていても、人類は危機に満ちた地球という惑星に住んでいるのだと感じさせられる。
今月号の『慈済SDGsレポートシリーズ』では、 慈済の環境保全志業三十五周年を始めとして、ネットゼロという目標の実現に向けた慈済環境保全ボランティアの取組みを報道している。環境保全と気候災害はどういう関係があるのか。その答えはこれらの文章の中にある。
(慈済月刊七〇五期より)


