慈済環境保全三十五年—SDGsに対応する草の根の取り組み

(撮影・黄筱哲)

リサイクルボランティアが毎日、街角や路地裏で資源の回収を行っている。この草の根の活動は、三十五年にわたって変わることなく続いてきた。彼らの日常生活は、地球の未来を持続可能なものにするためであり、さらに慈済を次の段階へと押し上げ、循環経済とカーボンニュートラルを実践している。

【慈済の活動XSDGs】シリーズ

一九九〇年、證厳法師が台中の新民商工高等学校で行った講演で、「拍手する手で環境保全をしましょう」と呼びかけた時、台湾の環境保全に対する認識はまだ啓蒙の初期段階にあった。行政院環境保護署(現在の環境部)が設立されてからまだ数年しか経っておらず、関連する法規や政策も実施途上にあった。当時の一般市民は、くず鉄を廃品回収業者に売ることは知っていたが、「資源の回収」の意味は分かっていなかったので、鉄やアルミの空き缶類、紙類、プラスチックなどが、回収不能なごみと一緒に捨てられるのが一般的だった。慈済人が地域で資源の回収を始めた頃は、近所の人から生活に困っているのではないかと心配されることすらあった。

最初に證厳法師の呼びかけに応じた先駆者の一人である、台中の慈済ボランティア・簡素娟(ジェン・スウージュエン)さんは、当時近所の人々から受けた誤解を今でもよく覚えている。「みんな、私が経済的に困っていると思っていたみたいで、私のためにとあらゆる物をくれました。それで近所の人に、『これは證厳法師が病院や学校を建てるためにやっていることなのです』と説明しました」。

より多くの人々を環境保全へ導くには、「自ら実践したことを語り、語ったことを実行に移す」しかないのだ。一九九〇年代初期に台湾経済は急速に成長し、工業排水や大気による汚染が酷くなり、ごみの量が激増し、社会には投機的な賭博の風潮が蔓延した。そこで慈済は、まず金車教育基金会(King Car Cultural&Educational Foundation)と協力し、「人間浄土を築く約束」という一連の活動を共催した。講演会、チャリティバザー、植樹、資源回収などを通じて、人心の浄化と環境への配慮を推進したのである。

一九九二年の「世界地球デー」には、慈済は特別に「福を知り、福を惜しみ、更に福を造る─紙類を回収して台湾の森林を救おう」という活動を催した。一般市民に不要になった紙類の提供を呼びかけ、売却収益はすべて慈済医学院の建設資金に充てられた。当日わずか六時間の活動で、回収された紙類の量は百六十トンにのぼり、「ごみは黄金に変わり、紙は優秀な医師を育てる」という歴史的な記録を残した。

一九九六年の台風九号(ハーブ)が通過すると、證厳法師は、その被害が台湾全土にわたり、山河の色が変わったことに心を痛め、改めて台湾を大切にするよう呼びかけた。『天下雑誌』(Common Wealth Magazine)は慈済、台北市環境保護局、工業技術研究院など十七の機構と協力して、「美しい台湾、清らかな故郷を永遠に─みんなで清掃」という活動を催した。参加者五万人のうちの一万人は、慈済ボランティアだった。参加者たちは台湾全土の県や市で街の清掃や資源の回収などの公益活動を行い、環境保護意識を一層人々の心に根付かせる契機ともなった。

「一九九〇年、證厳法師は『拍手する両手で環境保全をしましょう』と呼びかけました。私はさっそくコミュニティで取り組みを始め、五人の女性グループを作って中和の莒光路でチラシを手に一軒一軒を訪ね、人々にリサイクル活動への参加と近所の路地の清掃を呼びかけました」と、新北市中・永和区の慈済ボランティア・呉燕雪(ウー・イエンシュエ)さんが当時の様子を一から説明した。

当時、中和の自強小学校周辺でボランティアたちは資源の回収を呼びかけ、リサイクルステーションを開設した。全部で三十三カ所の回収拠点を開設したが、そのうちの一つは慈済が台湾に開設した初めての大規模資源回収ステーションだった。「市民たちはお年寄りや子どもを連れて参加しましたが、人がいっぱい居ても秩序は非常によく保たれていました。トラックや中型バン、さらには幼稚園の送迎バスを使ってまで協力してくれました。座席を取り外せば回収物を運ぶことができたのです。私たちが取り組みを始めると、板橋、土城、中正、萬華、新店のボランティアたちが見学に来られ、それぞれの地域にそのアイデアを持ち帰っては活動を広めました」。

「拍手する両手で環境保全に取り組む」姿は、1990年代に台中の黎明新村などで見られるようになった。(写真提供・花蓮本会)

1996年には「永遠にみんなできれいにしよう」活動を台湾各地と連携して実施し、人々は回収した資源を分別した。(撮影・林美依)

リサイクルボランティアは家の宝

慈済人がリサイクル活動を始めた当初は、活動場所の確保、人集め、車の手配など、多くの困難に直面したが、もっと大きな課題は、大衆の心構えを改めることだった。北部の環境保全合心幹事の陳金海(チェン・ジンハイ)さんは、率直に語った。「三十年以上前ですから、多くの人が環境保全の地球にもたらす意義を理解しておらず、リサイクルを単なるごみ回収と見なしていました。私たち自身も気恥ずかしい思いをしていました」。

自らの内面と、社会一般が抱く「廃品回収」への固定観念を覆すことに加え、「お金を稼ぐ」という期待を捨て、真の価値を理解し、回収物の売値の高低で一喜一憂しないことこそが、より大切な修行なのである。時にはトラック一台分の回収物を売った金額が運搬のガソリン代よりも少なく、価格がどん底まで落ちた時や回収業者が利益にならないので引き取りを拒んだ時は、ボランティアが回収物の行き先を探さなければならなかった。

たとえば三十年以上前のある時期、台北大都会圏の回収業者が、突如としてペットボトルの買い取りを止めたことがあった。数人のボランティア幹部はわざわざ交渉に出向き、引き取ってくれさえしたら、慈済のエコステーションは、無料で提供するとまで申し出た。

陳金海さんはさらに、慈済の資源回収は、初めから金銭を尺度として行っているのではなく、一つのエコステーションには数十人が働いていることや、もし一般的なコストや利益の思考で計算していたら絶対に採算は取れないが、個々人に対する益や地球と社会への貢献を考えれば、極めて意義深い営みなのだと説明した。

「慈済の提唱と證厳法師の絶え間ない励ましを経て、今では環境保全に取り組むことは人々から大いに尊敬されるようになり、子どもたちは、親や年長者が環境保全に取り組んでいることを誇りにさえ思うようになりました。以前は家に居て食べて、寝て、死ぬのを待つだけだった、『三等市民』(三つを待つ市民)だった多くの高齢者自身も、環境保全に取り組むことで社会貢献でき、環境のために心血を注ぐことで、「上等市民」になり、さらには死後、献体して自らの体を再利用してもらうことまで願うようになったのです」。

一元の投入に秘められた六倍の影響力

見返りを求めず奉仕し、金銭収入にこだわらないが、投入することで健康になり、喜びをもって活動し、大地を清らかにすることを願う。これが、何万人もの慈済環境保全ボランティアの日常である。かつては、効果を測る基準や方法が未熟であったため、慈済人が社会や環境にもたらす貢献度は、具体的な数字で示すことが難しかった。二〇一五年、慈済が安侯建業聯合会計師事務所(KPMG台湾)と契約し、組織の最適化を進めるために、『サステナビリティ報告書』を作成するようになってからは、次第に慈済ボランティアの社会的投資収益率(Social Return on Investment,SROI)が数値化され、目に見えるようになった。

二〇二一年の調査結果によれば、環境保全志業によるごみの減量、リサイクルステーションでの高齢者への食事の提供、エコ福祉用具など、活動における総体的なSROI値は六・三であった。これは、一元の善意の寄付が社会に六・三元分の影響力を生み出すことを意味する。

「この行動は、表面上は環境保全でも、実は多様な効果をもたらしているのです」。調査と集計を担当した安侯永續發展顧問会社の取締役総経理である黄正忠(ホワァン・ヅンヅォン)さんがこう述べた。慈済ボランティアのリサイクル活動は、まず間違って廃棄された資源を回収し、その再利用性を高めていると同時に、ごみの埋立地や焼却炉による処理の量を減らしており、さらに、そこで得られた金銭的収入を大愛テレビに使うことで、より多くの慈善公益や人心を浄化する報道に充てられているのである。また、ボランティアがリサイクルステーションで回収作業をすることで、お互いに語らいながら交流することは、健康福祉の面から見ても非常に有意義な行為なのである。

黄さんは、「我々が分析した結果から、環境保全に一元の資源を投入すれば、六元以上の効果が得られることが分かったのです」と説明した。これは最低時給に基づく時間コストを考慮した数値である。しかし、ボランティアはすべて無償で活動しているため、その時間コストを差し引けば、その効率は百五十二・七元に達するのである。

慈済大学宗教と人文研究所の簡玟玲(ジエン・ウェンリン )副教授は、リサイクルボランティアの「幸福感」を深く研究した。六十歳から八十二歳までの、環境保全活動歴十年以上の慈済リサイクルボランティア十数名にじっくりとインタビューし、簡単な「幸福感尺度」と「高齢者幸福感尺度」を記入してもらった。その結果はいずれも、「最も幸福」を示す六段階と五段階を示していた。

「奉仕した後の気持ちこそが、この高齢ボランティアたちが感じる幸福なのです。簡単に言えば、リサイクルボランティアの幸福感の奥深くにあるメカニズムは、家という概念を一度壊して再構築することによって成り立っています。限られた時間と空間の小さい家庭から、環境の調和を取り持ち、子孫の持続可能性を包含する大家族に転化しています。思いやりとケアの心と行動は無限に広がり、その背後で『究極的に大きな喜び』を達成しているのです」と、簡さんが総括した。

夕暮れの大通りから路地裏まで、多くのリサイクルボランティアが数十年にわたって本業のかたわら資源の回収に尽力してきた。(撮影・黄筱哲)

回収物は拠点からリサイクルステーションに集められ、シニアボランティアたちが細かく分別をして整理する。手を動かしながら頭脳も使う。(撮影・蕭耀華)

大地を守る手で
ボランティアも守る

認証機関による定量化から、学術研究者による質的な分析までを見ても、環境保全活動は、自利利他の善行であり、その影響は極めて深くまた広範囲に及ぶ。

慈済慈善事業基金会の統計によれば、二〇二四年一年間に、全台湾で九万二千人余りの慈済リサイクルボランティアが、合計八万トン余りの各種資源を回収した。その内訳は、三千五百八十一トンのビニール袋、六千五百三十三トンのガラス瓶などだった。三十年以上にわたる努力は、二酸化炭素排出量三百四十一万トンの削減に相当する。これらの数字は、同時期に地球が受けた環境破壊と比べれば微々たるものであるが、全台湾、さらには世界の慈済リサイクルボランティアは、善行が小さくてもためらわず、地球と人類の持続可能性のために努力を続けているのである。

ボランティアが高齢化していることを踏まえ、各リサイクルステーションの施設や用具も年月の経過とともに老朽化している。慈済基金会環境保全推進チームは二〇二〇年より、「リサイクルステーション電気回路改善計画」を推進し、台湾全土のリサイクルステーションで電気回路および関連安全設備を新しくした。まず、老朽化して安全性に問題のある電線や配電盤を取り替え、現代の安全基準に適合した新設備を導入した。ステーションの厨房用ガス管についても、ボランティアは念入りに、ネズミにかじられても破れないステンレス製編み込みホースと、ガス漏れを遮断できるジョイントを選び、より万全な安全対策をとって災害リスクを軽減している。五年の歳月を経て、今年の夏季に再度、安全面の点検と改善が行われた。

業務安全を担当する環境保全推進チームスタッフの許桂榮(シュ・グェイロン)さんによれば、現在、慈済は二つの安全面に重点を置いているそうだ。一つは火災予防で、電気回路、ガスを使用する上での安全を確保することである。特に『リチウム電池の発火』問題にも備えている。

「私たちは既に、全てのリサイクルステーションでリチウム電池を回収しないよう告知しました。民衆は不要になったリチウム電池を直接、市の清掃班の資源回収車に手渡すことができます。もし回収物の中にリチウム電池が混入していた場合は、千分の一に薄めた食塩水に一日浸し、電気がなくなって泡が出なくなったら回収業者に渡すか、清掃班に処理を依頼することにしています」。

ステーションの火災予防対策に加え、同チームは高齢ボランティアの運転の安全にも注意を払っている。七十五歳以上のボランティアには、交通部の規定に従って運転免許を更新し、さらに随行係を担当して回収物の搬送に協力してもらっている。

国連の持続可能な開発の観点から見ると、ボランティアたちの一見単純な資源の回収活動や、同時に物を大切にする姿勢と省エネでCO2を削減するライフスタイルは、海洋や陸上の生態系を保護するだけでなく、個人の能力で行える最高の「気候行動」なのである。それは、都市や地方で持続可能性を促進し、個人および社会の健康と福祉の向上することにもつながっている。

振り返れば、たくさんの人々が既に三十年以上環境保全に取り組んできた。今では、働き盛りの会社員や熱心な若い世代も加わっている。背景や年齢、職業はそれぞれ異なっていても、地球を大切にしたいという一念の心で、無数の手で人々の捨てた資源を拾い、清らかな大地の明日もまた拾い上げているのである。

(慈済月刊七〇五期より)

ビニール袋は軽くて薄いため、廃品回収業者の多くは回収しない。慈済のリサイクルボランティアは丁寧に整理して梱包し(写真1)、プラスチックビーズの原料に再生する業者を探す(写真2)。利益の多少にかかわらず、大地の汚染を減らすために取り組んでいる。(撮影・蕭耀華)

ペットボトルのキャップを集めて慈済環境保全志業のロゴを作った。ボランティアたちの素朴な笑顔の中には、地球の資源を大切にし、青い山や清らかな水を子孫に残したいという共通の願いが込められている。(撮影・蕭耀華)

    キーワード :