あの素晴らしい週末の朝

あの週末の午前に開かれたがん患者懇親会で、おじさんと私は一緒に花を鉢に植えた。

傍目から見ると、私が身寄りのない彼に付き添っているように見えるだろうが、実は彼が私に素晴らしい時間をくれたのだ。

(絵画・温牧)

七十歳を超えたそのおじさんは、腹痛のために病院の救急外来を受診したが、検査の結果、腸に腫瘍ができていることが判明した。さらに腫瘍の蠕動によって、腸に腸が被さるような状況になり、「腸重積症」という病気になってしまった。一般には、腸が蠕動によって腸に被さるのはよくあることだが、腫瘍によって腸が被さったら、回復することができない。私たちが指にぴったり合う指輪をはめていて外すことができなくなった時と同じで、手術する以外に方法が無いのだ。

私はおじさんに、「腹痛と腸の腫瘍は、手術で治療するしかありません。ご家族と一緒に、病状に対して最良の方法を相談したいと思います」と説明した。「私には身内が一人もいません。次に何をするかは、私に直接話してください」とおじさんが言った。

これは夏休みの時のことだ。私の妻と子供は丁度、他県でサマーキャンプに参加していた。それで私は、毎日仕事が終わって家に帰ると、一人で食事や家事をしていたが、数日経っただけで、家の中がとても閑散としているように感じられた。目の前のこのおじさんは何年、或いは何十年も一人で暮らしてきたのだ。私は「できる限りお手伝いします」とおじさんに伝えた。

一回目の手術の後、おじさんの腸の回復状況は余り良くなかった。そこで一時的に人工肛門(ストーマ)を作った。後日、病院に戻って二度目の手術をして、人工肛門を閉じることにした。そして、おじさんはとても嬉しそうに再び入院してきた。

自分が以前、病気で入院した時、とても辛くて退屈だったことを思い出した。毎日一番楽しかった時間は、主治医が回診に来る時だった。だから、おじさんは私の顏を見たら、嬉しいだろうと思った。手術の翌日、回診に行くと、おじさんはとても勇敢に、すでにべットから降りて歩いていた。

あの週末、私たちの大腸直腸科で、がん患者の会が開かれた。朝の回診を終えた後、私が会場に向かうと、同僚たちは準備に忙しく、手作り体験用の園芸の材料は側に置かれたままだった。会場を一周したが、おじさんの姿が見当らなかった。彼はすでにべッドから降りて動けるようになっているし、ましてや彼の得意分野は草花の園芸なのに、なぜ参加していないのだろう、と思った。そこで病室に行って、直接誘うことにした。

おじさんは、「今の体の状態で参加したら、皆さんに迷惑をかけないでしょうか」と尋ねた。私は「大丈夫です。私たちが二人一組になって、お互いに助け合えばいいのです」と答えた。おじさんの同意を得て、私は車椅子を押しながら会場に行った。

寄せ植えを作る過程で、おじさんはとても上手に作業を進め、私は側で簡単に花を挿すぐらいだった。私たちのチームは美しい作品を完成させた。周りから見たら、私が彼に付き添っているように見えたかもしれないが、実はおじさんが私に寄り添い、私に素晴らしい朝の一時をくれたのだった。

エジソンが百四十五年前に発明した電灯は、私たちの世界を照らし、人類の文明を明るくした。私はこの小さな物語を通して、より多くの人の心に愛を呼び覚ますことを願っている。皆が愛をもって他人の心の灯をともせば、世界は温かさに満ち、菩薩が人間(じんかん)に満ちるだろう。

(慈済月刊七〇一期より)

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