善行に自分一人が欠けてもいけない、と自分を称賛する。
更に他人を重視し、共に善行を成し遂げたことに、お互いに感謝しよう。
慈済の志業に参加して法悦に浸る
上人は、中部地区のリサイクルボランティアとの座談会で、こう語りました。「皆さんの報告を聞くと、いつも喜びを感じます。一人ひとりの話す内容が、全て本当に力を尽くして成した善行だからです」。
「慈済にはさまざまな業界の人が参加していますが、皆が志業を同じくしています。それが慈済なのです。誰もが慈済を生涯の志業とし、営利のためではなく、見返りを求めず奉仕し、お互いに感謝し合っています」。「私たちは、協力して世を利する善行を完成させるのですから、心から互いに感謝し合い、そこから喜びを感じるのです。皆さんは先ほど、『慈済の志業に参加すると、喜びに満ちる』と言っていましたね。それでいいのです。私と皆さんの人生がとても価値のあるものになっています。どのようにその価値を評価するのか、よく考えてみてください。人々と共に在ったでしょうか、人々の為に何かしたでしょうか。答えは「はい」です。皆さんの奉仕を知って、私は自分にも感謝しています。もし最初に私が発心していなければ、今、こんなに大勢の慈済人はいなかったでしょう」。
「あなたたちも自分を称賛してください。善行は自分一人でも欠けるべきではなく、その分だけ力が減ってしまうからです。自分を重く見ると同時に、それ以上に他人を重視しなければなりません。お互いに重視し、感謝し合う環境で事を成せば、とても楽しくなります。体は疲れても、心は法悦に満ち、達成感が出てくるのです」。
上人は、長年にわたって大衆に向かって説法し、開示してきた中で、最も価値があると思っているのは、三十五年前に新民商業高校で講演した時のことだと語りました。その時、会場の参加者に対し、「拍手するその両手で資源の回収をして環境保全を進めましょう。台湾から世界に向けてその考え方を広め、皆で地球の健康を守ると共に、心の健康を守りましょう」と呼びかけたのでした。
「簡単な言葉ではあっても、とても深い道理が含まれています。皆さんが私の言葉を実践し、人々の役に立っているとしたら、その言葉はとても良い道理であり、私の話がすなわち道を示していると言えます。ですから、私は自分のことも肯定しており、この人生は価値があると感じているのです。しかし、皆さんが私の話す道理を実行に移していなかったら、私はこの人生に価値があったとは言い切れなくなります。その価値は、実は皆さん一人ひとりが実行に移すことで生まれるのです。だからこそ、お互いに感謝し合わなければならないのです」。
仏法を世の中に弘める
南投と台中港地区の慈済人が、上人に会見した時には、「慈済という大家庭はとても温かいのです。人々はお互いに声を掛け合い、関心を寄せ合い、コミュニティで住民と交流するだけでなく、慈済の会所に来てもらっては粽を包んだり、手工芸品を作ったりしてとても賑やかに楽しく過ごしています。出来上がったものを皆に持ち帰ってもらい、各志業体の人たちにも分けてあげます。この大家庭は皆、楽しく交流しており、これが所謂『菩薩が情を伝える』ということなのです」と言いました。
また、上人はこうも言いました。「イグサを使った手工芸品からは、故郷の香りがしました。私に見せる以外に、コミュニティのお年寄りにも参加してもらえるといいですね。手を動かして頭を使い、同じ世代の人たちと会話することで脳の衰えを防止し、手を動かすことで敏捷性を保つことができるのです。また、お年寄りが手工芸を若い世代に伝承することで、工芸の伝統手法が失われずに済むのです」。
慈済の道場では、手工芸をしながら、大愛テレビの『人間菩提』、『菩提心要』などの番組を見て上人の開示を聞いたり、『高僧伝』を見て歴史上の高僧がどのように道を究めたかや、弘法した過程や精神を理解したりすることができます。「これまで仏教道場の多くは山の上にあったので、『世の名山に僧侶多し』という言葉があるほどですが、信者は高僧の開山や道場の建設を護持したのです。しかし、私は、今の時代の道場は群衆の中にあるべきで、仏法は人間(じんかん)の中で実践されるべきだと思います。というのも、世界では紛争が絶えませんから、私は毎日ニュースを見て世界の時局を理解することで、どのようにすれば、積極的に社会のニーズに応えることができるかを知ろうとしているのです」。
「今の台湾は平穏ではありますが、世界が平穏でなければ、台湾も安心していられないのです。台湾の社会が平和であることに、心から感謝しなければなりません。誰もが平穏な日々を過ごしていますが、『晴れた日に雨の備えをする』という言葉のように、絶えず人心を浄化してこそ、社会は平和を維持することができるのです。世界中どこでも必ず平穏になるとは言い切れませんが、世界が平和になることは私たちの願いであり、心を尽くし、真に生命を愛護しなければなりません。世界で戦争が起こるということは、殺生、とても多くの殺生をするということなのです。私たちのこの人生は福があるから人として生まれたのですが、その福を使い果たしたならば、過去世において累積した悪業しか残らなくなります。ゆくゆくは今生で得た人の身ではなく、輪廻して三悪道に落ちるかもしれません。ですから、十善を守り、勤めて福を造り、天国でそれを享受するのではなく、再度人間(じんかん)に来て菩薩道を歩まなければいけません」。
上人はこう言っています。少数の力では、遍く人心を浄化するのは難しいため、常に人々を招き入れて一緒に菩薩道を歩まなければなりません。今生で縁があれば、直ちに招き入れ、その縁を強固なものにし、将来それを更に伝承していくのです。そうすれば、一声で百人が呼応するようになります。人を招いて善行するならば、貧富の差を問わないことです。たとえ微弱な力であっても、多く集まれば力が結集して大きくなるのです。慈済人は、貧しい人に人助けするよう励ましています。彼らの多くは喜んでそれに呼応し、人間(じんかん)に福をもたらすと共に、自分にも福縁をもたらしています。生活が裕福で幸福な人に対しては、「福を知り、惜しみ、更に福を造る」ことを教え、仏陀の智慧を深く理解して人々の苦しみを取り除かなければならないと導いています。
(慈済月刊七〇五期より)
台中市清水区のイグサチームは粽をテーマにした作品を額に入れ、上人に贈呈した。(6月30日)(写真の提供・花蓮本部)


