まさかの時の友こそ真の友 被災地の伝言板

ボランティアは職人チームが毎日作業を続けてくれたことに感謝し、職人チームはボランティアが雑務を担ってくれたことに感謝した。村のお年寄りたちは、安堵の微笑みを浮かべた。(撮影・黄筱哲)

屋根瓦が吹き飛ばされた地元民、商売を中断して駆け付けた職人チーム、自費で食費と宿泊費、交通費を払って清掃に来たボランティアが、被災地で出会い、一軒また一軒と新たに屋根が修復され、日常の生活が戻った。

「私は今年六十歳になりましたが、このように大きな風災に遭ったことがないばかりか、八十歳を超えたお年寄りですら経験したことがないそうです。妻は脊椎を三度も手術していますが、何とか持ちこたえています。私ももちろん、妻以上に頑張らないといけません。私の家の大広間の屋根瓦は半分飛ばされましたが、慈済の支援と自分の努力によって、短期間に再起することができました!」

―台南市七股区西寮里の陳(チェン)さん

西寮里に来ると、村の半分の家の屋根が、ブルーシートで覆われているのを見て、事態の深刻さが分かりました。我々鉄工職人は雨を最も恐れます。屋根が滑りやすい上に、電気を使うからです。普段そういう天気の時は、緊急でなければ工事をしませんが、物事には緊急性の度合いがありますから、住民に早く住めるようにしてあげなければなりません。

慈済が指定した鋼板は、他では使わないような厚くて良質なものです。ボランティアは雨合羽を着て、割れていない瓦をリレーで下ろし、整然と並べて再利用できるようにしていました。皆ガソリン代も自腹を切って、自発的に来てくれたのです。私は受注していた工事を延期し、息子と従業員を連れてやって来ました。そこは自分の家ではありませんが、見ぬふりができませんでした。できる限りを尽くして、一刻も早く完成させました。

―高雄市・鉄工工事業者の林保爐(リン・バオルー)さん

台風が過ぎるとすぐに区役所に電話し、住民が弁当を必要としている、と伝えましたが、区役所は災害救助で手一杯でした。そこで、知り合いの慈済ボランティアに連絡すると、二百五十個の弁当を送ってくれると約束してくれました。自分の家も浸水したのですが、それに構わず、姉が母の世話をして、私はまず住民の困難を解決することにしました。私は地元の公民館や頂山小学校に泊まっていましたが、慈済の緊急支援金は受け取りませんでした。それをより必要としていた人々に譲りたいと思ったのです。

頂山里には古い家や独居のお年寄りが多いのです。何日間も停電していましたが、最も深刻だったのは屋根が吹き飛ばされていても、短期間に解決できなかったことです。というのも、職人も材料も足りなかったからです。最も切実な時に、慈済が恵まれない人たちの家の屋根を修繕して、彼らに安心して住める場所を与えてくれました。心から感謝します。

―台南市七股区頂山里・里長の陳博静(チェン・ボージン)さん

「私の実家は南投県の竹山で、二〇〇一年の台風八号トラジーの襲来によって被災し、屋根を剝がされて、家の中は泥だらけになって、家具は全部だめになりました。当時父一人では処理できなかったのですが、幸いに慈済ボランティアが多くの人を集めて、清掃を手伝ってくれました。

今回はその恩返しの気持ちで奉仕に来ました。七月十二日から二十七日まで三回南部に来て清掃しました。洪水被害を我が身のことのように感じたと共に、上人の『因があるだけでなく、縁で結ばれる必要がある』という教えが胸に響きました。そして、宿泊するところを提供してくれた帰仁区のボランティアと、清掃スケジュールを二日間びっしり組んでくれたボランティアの蕭文傑(シァオ・ウェンジェ)さんに感謝しています。無駄足にならなくて済みました。

―新北市新店区・介護員の柯詩語(コー・スーユー)さん

「私は中和区の慈済ボランティアです。風災後、初めは被災地の清掃を手伝いましたが、その後、将軍区の修繕活動で事務関係の仕事を手伝い、家庭訪問をして家主の名前や所有権を確認し、被害状況を記録して同意書にサインをもらいました。

家という家の屋根がなくなっているのを見て、強風の怖さを知りました。家は建て直せますが、人は無事であってこそ幸福と言えるのです。私たち事務関係のボランティアの仕事は、一連の流れが順調にいき、ボランティアたちが被災地に来て、十分に食事を摂り、よく寝て、安全に仕事ができるようにしてもらうことです。

上人から、台風の後、先ず人々の心を落ち着けることだ、と言われました。お見舞いの品は、物質面の支援だけであるだけでなく、精神的な支えでもあるのです。水が引き、屋根が修繕され、明りが灯れば、人々は安心します。その時に私たちの使命が終わるのです。

―新北市・慈済ボランティアの余文清(ユー・ウェンチン)さん

(慈済月刊七〇六期より)

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