(撮影・陳宜成)
台風は過ぎたが、停電したので懷中電灯で照らしてみた。私の家の屋根が、人の家の方に飛ばされていくのが見えた。その瞬間、何もかも失った。残ったのは三人の子供だけだ。しかし、慈済が新しい家をくれた。屋根だけでなく、希望も戻ってきてくれた。―台南市将軍区住民ミシェル
台風4号(ダナス)が上陸したあの夜、風雨が次第に強まってきたので、台南市将軍区に住むこの一家は二階へ様子を見に上がった。すると突然、異様に大きな音がして、目の前に天井の一部が落下してきた。その直後、家全体が激しく揺れ、次々と物が落下した。一家四人は、急いで階段下のスペースまで降りて避難し、素早くへルメットを探して被り、頭部を守った。
この一家の主は、フィリピンからの新住民のミシェルさんである。ご主人が数年前に病気で亡くなった時、慈済から生活支援を受けた。彼女は出来高制で洋服の縫製をして二男一女を育てている。長男は発達遅延だが、十九歳になる双子は、屏東にある大学に通っている。壁一面に掛けられた賞状からも、子供たちが品行方正で学業にも優れ、思いやりがあり、物分かりの良い子供であることが見て取れた。
台風で二階の屋根が飛ばされ、雨水が上階からそのまま一階へと降り注ぎ、停電で真っ暗な状態が十日間も続いたが、一家は誰に助けを求めればよいのか分からなかった。そんな中、慈済ボランティアが「安心家庭訪問」に来て彼らのことを知り、修繕を支援することに決めた。電気が復旧したことを知っても、彼らは漏電を恐れて灯りを点けずにいたため、ボランティアは、水道・電気専門の職人に直ぐ来てほしいと連絡した。八月一日に工事が始まり、職人たちは現場で切断機を使って梁に使う鉄骨を適当な長さに切り、大型クレーンで二階に吊り上げて溶接し、屋根用鋼板を取り付けた。
工事が終わると、それまで毎日ミシェルさん一家に寄り添ってきた台南ボランティアの呉連登(ウー・リェンドン)さんと賴秀鸞(ライ・シユウルァン)さんが、八月七日、再び訪れた。家の中はきれいに掃除されており、十九歳の息子さんが、「枕や掛布団は、ブラシで清潔にしてから外に干しました」と言った。
賴さんは、それを聞いて急いでこう言った。「だめですよ。倹約できる物もあるけど、枕は毎日鼻に触れるものだから、カビでも生えていたら体を悪くします。取り替えなければいけないわ。私たちが二組の枕を申請しますから。師姑の言うことを聞くのよ」。その心のこもった気遣いに、ミシェルさんは心を打たれて涙を浮かべた。何日も顔を会わせて来た北部の修繕事務担当のボランティア、余文清(ユー・ウェン)さんともハグした。
慈済は、台南市将軍区で十数軒の家の修繕を行った。現地のボランティアである李宝桐(リー・バオトン)さんが何度も訪問し、根気よく住民とコミュニケーションを重ねたことで、素朴で善良なお年寄りたちは心を開き、ボランティアに尽力する機会を与えてくれた。よそから来たボランティアでは、所番地を基にGPSで探しても見つけられなかった家があったが、彼が案内役を買って出た。その一カ月間は、目まぐるしい忙しさだったが、彼の足取りは確かだった。
台北市南港区のボランティア、陳菊正(チェン・ジュウヅン)さんは、鉄工業に従事して四十年以上になるが、修繕任務が決まるとすぐに材料を探し始めた。「問屋は、慈済人が修繕のために休暇を取って自腹で出向いていることや、資材が恵まれない世帯のために使われることを知っているので、優先的に提供してくれました。慈済のために材料を用意し、納期を急いでくれたことに、心から感謝しています」。
資材を輸送したボランティアの陳重光(チェン・ツォングォン)さんが、同業者が同じ時期に限られた資材を奪い合っていた、と言った。「私たちは朝一番に二台のトラックを走らせ、高雄の問屋の所に行って、並んで資材を受け取りました。実際、問屋も大きなプレッシャーを抱えていて、皆が苦労していました。その上、天気が不安定になり、作業は進んだり止まったりで、できることが限られています。縁に任せるしかありません。私たちは全力を尽くすだけです」。
(慈済月刊七〇六期より)
ボランティアは、職人たちと工事の段取りについて話し合った。8月1日に修繕が始まり、8日に点検を終え、ミシェルさん一家は安心して暮らせるようになった。(撮影・陳宜成)


