愛のこもったワクチンが学校を護る─慈済基金会が新型コロナのワクチンを購入して寄付
台湾全土の学校では、一回目のBNT新型コロナワクチンの接種を、十月中旬までに終えた。十二歳から十七歳までの学生が保… Read More »
十二月の出来事
12・03
慈済基金会はアメリカのNPOカーモダヤから感謝賞を受賞し、アメリカ総支部の職員が代表で受け取った。カー… Read More »
あなたが居てくれて良かった
この道にあなたたちが居てくれて感謝しています。
これによって、この世にこんなにも多くの善行が為され、また皆さんの生… Read More »
ドイツ西部の水害 キッチンカーで復旧を応援
ヨーロッパ各国の作業員がドイツの水害被災地に入り、先の長い復旧工事を支援した。慈済ボランティアはキッチンカーで彼ら… Read More »
善行に尽くす社長 病院用ベッドを担ぐ
元はバリバリの営業マンだったが、今はリサイクル福祉用具を配送する「お節介」ボランティアである。「お客様」はケア世帯… Read More »
一番見え難いのは自分
快適な状況に置かれていると、一番直視したくないあの「私」は見えない。
自分の足りなさを認めるのはとても辛いことであ… Read More »
シリア難民 善には善で恩返し─トルコ・マナハイインターナショナルスクール
「やっと恩返しできる時が来た!」。マナハイインターナショナルスクールの学生は、登校日に竹筒貯金箱を持参し、慈済のワ… Read More »
故郷のコロナ禍を気遣う 慈善バザーリレー─アメリカ・ノースカリフォルニア
懐かしい味に心が満たされる台湾グルメ、自家菜園で採れた果物と蜂蜜。
ウェブサイトを立ち上げ、これら我が家の宝物を提… Read More »
ハイチ地震 災害支援に二つの難題
ハイチのコロナ禍は深刻だ。輸入ワクチンは限られた数しかなく、伝染病予防に関する住民の認識も低い。災害支援に立ち塞が… Read More »
子供がペットに出会った時
問:子供がペットを飼いたいとせがんだ時、どのようにして「飼う」というこの言葉の真の意味と生きている命に対して責任を… Read More »
私のホームレスチャイルド
阿侯にとっては街角が彼の家で、
「オバサン」たちは彼の別の意味での家族である。
彼が拗ねると、「オバサン」は彼を… Read More »
共に善行するエネルギーを集めよう
新型コロナウイルス感染症が爆発的に拡大して以来、ワクチンはこの世紀の疫病を終わらせる切り札だと見なされてきた。科学… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
主題報道
證厳上人のお諭し
台湾慈善
親と子と教師、三者の本音
聞・思・修
行脚の軌跡
十二月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。