「やっと恩返しできる時が来た!」。マナハイインターナショナルスクールの学生は、登校日に竹筒貯金箱を持参し、慈済のワクチン購入を支援した。教職員は給料日にその一部を寄付し、校長は学校を代表して、台湾の慈済が絶えず寄り添ってくれ、故郷を追われたシリア人に最善を尽くしてくれたことに感謝した。
九月六日はトルコ・マナハイインターナショナルスクールの給料日である。教職員は今日、一大プロジェクトを成し遂げようとしている。台湾慈済のワクチン購入の支援である。これまで頻繁に募金活動を行ってきたが、今回は特別な幸せと喜びに満ち溢れていた。彼らは機会があれば、これまで慈済がシリア難民に施して来た愛に恩返しをしたいと思っていたからだ。
マグド先生は、「長年、慈済は我々を気にかけて下さり、無料診療や救済補助金、教育支援などを提供して下さいました。我々は必ずこのご恩にお返しをし、その感動と感謝の気持ちを伝えたいと思っていました」と語った。
ゼケリア先生はシリアで教職に就いて四十年以上になるが、トルコで再び教鞭を執れることに非常に感動していた。「いくら募金しても、ここ数年来我々に寄り添って下さった世界中の慈済ボランティアへの恩返しには足りません。台湾の人は我々の母国ができないことをして下さいました」と語った。
教職員からの募金は、二百、四百、六百リラと様々だが、その金額は彼らの何日分もの給料にあたる。慈済ボランティアの胡光中(フー・グオンジョン)さんは、「教職員たちの月給は約三千~四千リラ(約三・三万円)です。一千リラは台湾ドルに換算すると約三千元(約一万円)で、彼らにとっては生活に欠かせないお金です。しかし、教職員は、台湾の人から貰った愛にいつか恩返しをしたいと言っていました」と語った。
心からの奉仕は教義の実践でもある。ファティマ先生はこう語った、「我々は台湾の人のためにワクチンを寄付します。アッラーがコーランでこう語っています。『一人の人間を復活させることは全人類を復活させるようなものだ』」。
コロナウィルスの感染が落ち着くと、マナハイインターナショナルスクールは9月に授業を再開した。学生たちは少しずつ貯めた小遣いを寄付し、慈済のワクチン購入を支援した。
苦しみを味わったからこそ、慈善を習慣にする
二○一五年一月、シリア難民を支援するマナハイ小中学校がイスタンブール省スルタンガージ市に設立され、学生らの学費は慈済が補助した。二○一八年にはマナハイインターナショナルスクールに名称を変更し、アメリカ教育機構の認証も受けた。学生は卒業時にアメリカとトルコが認める卒業証書を受け取ることができる。以前は工場で働くことで家族を養っていた子どもたちは、ようやく教育を通して、再び難民家庭の希望となった。そして異国で暮らす知識人らは、マナハイ校で教鞭を執ると同時に、尊厳も取り戻した。
慈済は毎月三千名の学生、六千世帯の家庭をケアしている。胡さんは、「新型コロナウィルスの流行後、集会はできなくなってしまいましたが、特に支援を必要とする難民世帯への毎月の生活費は配付を止めたことはなく、ボランティア自らが各家庭を訪れ、補助金を手渡しするよう変更しました」と言った。九月になってワクチン接種率が七十%に達すると、各業種は営業を再開し、学校でも対面授業が再開され、室内の人数制限も緩和された。皆がウィルスと共存していく方法を学んだ後、慈済も会場での配付を再開し、二週間で計二十九回の活動を行い、六千世帯に対して物資購入プリペイドカードを配付した。以前からのケア世帯だけでなく、新型コロナ禍で失業した難民家庭の人たちにも、共に困難を乗り越えられるよう、支援を行った。
ジ・シャンさんはシリアでは校長を務めていたが、残酷にも戦争で教職を奪われ、家は破壊され、拉致された夫は今でも音信不通である。二○一三年、彼女は二人の子どもを連れてトルコに密航したが、彼女を教師として受け入れてくれる学校はなく、一度は清掃人として働くしかなかった。二○一七年、彼女は近所の人から慈済のことを聞き、それ以来、補助金に頼って生活している。ボランティアは空っぽだった彼女の住まいを見て、タンスや戸棚、コンロなどを提供した。ジ・シャンさんは、「子供たちは彼らの父親を知りません。慈済基金会は彼らの親のようなものです」と語った。
体が弱いジ・シャンさんには安定した収入はないが、買い物をした後にはおつりを竹筒貯金箱に入れるよう子どもたちに教えている。配付会場でジ・シャンさんは竹筒を取り出し、「これは一つのチャンスです。必要としている人を助けられるだけでなく、彼らに自信をつけることができます。慈善を一つの習慣にするのです!」と言った。彼女の話は会場にいた難民家庭の心を動かし、以降、皆が積極的に竹筒貯金を慈善という功徳の海に入れるようになった。
彼女の下の息子であるサメハ君は今学期、マナハイスクールに転校した。成績優秀なサメハ君の夢は歯科医になることだ。「僕の二つ目の夢は、将来この学校のボランティアになることです。胡光中さんが僕たちにしてくれているような良い行いをしたい」と言った。
マナハイインターナショナルスクールの教職員は、7月という早い時期に、慈済がワクチンを購入して寄付する計画があることを知ると、寄付に協力したいとの意思を表し、9月の給料日にその心願を叶えた。
登校日にはリュックと竹筒貯金箱を背負って
去年の三月、トルコで初めて新型コロナウィルスの感染者が出た際、政府は直ちに全国の学校に授業停止するよう通達した。その期間、マナハイインターナショナルスクールの教師は、同じように登校して授業を行い、学生たちは自宅でオンライン授業を受けた。十八カ月にわたるリモート授業を経て、今年九月七日から通常の授業が再開された。学生たちは興奮を隠しきれない様子で、「スマホでの授業は目に悪いし、先生にも会いたかった。学校が大好きだし、やっと友達にも会えた」。「一年半経ってやっと学校に戻ることができ、先生に会えて嬉しい。先生たちは一段と綺麗になったと思う」と話した。
学生たちは久しぶりにカバンを背負って学校に登校しただけでなく、愛のこもった竹筒貯金箱も持参し、台湾の人を助けるために、慈済のワクチン購入を支援した。アハメトさんは、「慈済に恩返しがしたいのです。慈済が私たちにしてくれた支援に比べたら微々たるものですが、小さなことでも努力し続けます」と言った。
マナハイスクールの学生であるファティマ・ベトゥさんは戦争で父親を亡くしており、彼女は二人の妹、そして母親と助け合いながら暮らしている。彼女たちもまた、慈済が生活支援する家庭である。ファティマ・ベトゥさんは、「私たちは難しい状況に置かれていますが、慈済から絶やさず愛の心を募ることを学びました。私たちのこの小さな気持ちは、世界各地に向けて伝える愛と平和のメッセージなのです。私たちはこの偽りのない愛で、慈済の皆さんと共に、尊敬する台湾の方々にワクチンを届けたいと思っています。慈済はこれまでシリア人や助けを必要としている世界中の人々を支援してきました。私たちの愛は慈済が与えてくれた恩恵へのお返しです」と言った。
この期間、マナハイスクールの教職員と学生らは約二万USドルにも及ぶ募金を集め、慈済のワクチン購入を支援した。「なぜ苦しい生活を送っている難民に募金を呼び掛けるのか、と言う人がいます。しかし、我々が伝えたいのは、一滴の水を大海原に垂らすのと同じように、確かに一月に三十枚のコインの募金は、合わせても五元(約十七円)にも満たないものでも、彼らが毎日、善の思いを起こし、竹筒にお金を入れた時、支援を受ける側から人を助ける側に変わり、己の人生を覆すことになるのです」と胡さんが語った。
マナハイスクールが世界を支援したのは、これが初めてではない。この数年間、台湾が度重なる風害や震災に遭ったり、アフリカ東部の国々がサイクロン・イダイによる被害を受けたりした際、彼らは率先して慈済の災害支援に協力した。校長のジュマ教授は、「今回の愛の心を募る活動がこれまでの募金と異なる点は、兄弟としての情です。慈済と出会ってからの七年間、我々はずっと恩返しできる機会を待ち焦がれていました。離散して寄る辺のないシリア人に寄り添い、最善を尽くして助けて下さった、善の心を持った台湾の方々に感謝します」と言った。
ジュマ教授は、今日は愛と愛が出会い、善には善で恩返しをする、歴史的な一日だと語った。「我々はわずかな寄付で最も美しい感謝の意を表し、慈済に対する我々の愛と感謝を記しました。そして皆は今、台湾の兄弟姉妹にこう伝える資格を得ました。『私たちは台湾の皆さんに対する兄弟姉妹の愛と友情と忠誠心を持っています。私たちは全ての愛を結集し、台湾の皆さんの命と安全のためなら如何なることも惜しみません。なぜなら皆さんの命は我々の命であり、皆さんの安全は我々の安全なのです。私たちは兄弟姉妹であり、家族なのですから』、と」。
(慈済月刊六六〇期より)