阿侯にとっては街角が彼の家で、「オバサン」たちは彼の別の意味での家族である。
彼が拗ねると、「オバサン」は彼を叱る。
「あんたが健康に気をつけてくれないと困るのよ。私たちも若くないから、後は誰があんたの世話をするの?」
若い阿侯は一日中街をブラつく。ひどく汚れた服を着て、足に履いている草履は汚れて色が分からないほどだ。歩くと左右のバランスが取れず、体が揺れる。彼は、いつもは静かだが、たまに大声を出し、道行く人をびっくりさせる。 定住先がなく、昼間は街中を彷徨い、夜はアーケードや建物の隅で過ごす。
一九九六年に、基隆信義区東信路の慈済リサイクルステーションが設立された。毎月一回のコミュニティリサイクルデーで、阿侯は資源回収をする人を眺めているが、ボランティアが彼にリサイクル活動を一緒にやろうと誘っても、いつも拒否される。ボランティアは彼に合う服を見つけ、洗ってから、着替えさせた。
それ以来、彼はリサイクルボランティアの家の前を通る時、ガラス戸越しに大声で「オバサン! 」と彼なりの挨拶をして行く。 それでボランティアが扉を開けて「今日は朝ご飯を食べたかい?今日はお粥だけど、食べるのを手伝ってくれる?食べる?」と言った。
かなり頑固な彼は、もしボランティアが「お粥一杯上げるよ」と言ったら、きっと拒否するだろう。食べるのを手伝ってくれるよう頼めば、引き受けてくれるのだ。ボランティアたちと知り合ってから、彼は人と挨拶するようになった。近所の人は、彼の変化を見て、暖かい手を差し伸べ、受け入れるようになった。 彼が人を傷つけたりはしないと分かって、彼と話をする人も多くなった。
二○○七年の夏、ボランティアの呉束満さんが阿侯の側を通り過ぎた時、彼に呼び止められた。「オバサン、僕は死ぬかもしれない。三日間もおしっこが出なくて、気分が悪い」と言った。呉さんは、直ぐに彼を近くの診療所に連れて行き、その後、大病院を紹介された。盲腸破裂と診断され、緊急に手術する必要があった。しかし、彼は身分証明書を持っていなかったし、自分が誰なのかも言えなかったため、どうしたらいいのか分からなかった。ボランティアは医師に、後で必要書類は補填するから先ず治療をしてほしいとお願いした。
阿侯は入院中、退院して帰宅したいと言い続けた。しかし、彼の家はどこにあるのだろう?退院した後は、どこで療養したらいいのか?ある隣人が倉庫の隅を空け、折りたたみ式ベッドを取り付けると言ってくれた。また、別の隣人は体力をつける営養品と食べ物を提供すると言った。彼は言葉にすることはできないが、彼の目付きは柔らかく、人を見ると口角に笑顔を浮かべるようになった。
阿侯の身分証明書を申請するのが最も急を要することだった。訪問ケアボランティアは、以前の彼の隣人を訪ねたが、何も分からなかった。そこで、警察署と市役所の支援を得て、彼の本籍資料を探し出し、その線を辿って遠い親戚と連絡を取ることができ、阿侯本人に間違いがないことを確認してくれた。
この証明書を手にボランティアは、身分証、健康保険カード、身障者カード、低所得証明などの手続きに奔走した。それによって政府からの毎月の補助金で彼は生活していくことができるようになる。
ボランティアの呉束満さん(ウー・スーマン)(右)は、母親の心で阿侯(左)を世話し、彼を連れてリサイクル活動をしている。
見よう見まねで、任務を達成
阿侯は体力が徐々に回復し、たまに呉束満さんについてリサイクル活動をするようになった。暫くして、彼は自主的に決まった店舗から資源の回収をする任務を始めた。
毎週水曜日の午後三時、彼はカートを押して飲食店の前で待ち、四時半にシャッターが開くと、直ぐ中に入り、倉庫に向かう。段ボール箱やオイル缶、ペットボトルを分別し、カートに積んでから縛って、分別する場所に行って整理する。 飲食店のオーナーから従業員まで、皆、彼を褒め、よく飲み物を出してくれる。
ドライクリーニングを経営して二十年以上になる王文祥(ワン・ウェンシアン)さんと黄素媛(ホワン・スーユエン)さん夫妻はこう言った。阿侯は随分変わり、服装もきれいになり、積極的にお年寄りのゴミを出す手伝いをしたり、ホームレスにいじめられているお年寄りを見かけると、助けたりする。リサイクルステーションは、彼が整理してきれいになり、悪臭も野良猫も鼠もいなくなった。実に素晴らしいことだ。
先日の医師の検査では、阿侯は知的障害だったため、自立能力がないと診断された。二○二○年に身体障害者手帳の更新時に再度鑑定した時は、知能が向上していたことに医師が驚いたが、意識障害の症状があり、薬を服用しなければならないと言われた。薬の副作用で阿侯は眠気を催し、気分も悪くなるため、彼は服用を嫌がった。ボランティアはいつも「あんたが体を大事にしてくれなければ困るのよ。私たちはもう歳だから、誰があんたの面倒を見るの?」と言って聞かせる。彼はその時には何も言わないが、時には「何でもないのに何で薬を飲まなければならないの?」と口答えする。
呉さんは阿侯と自分の子供のように接している。彼の姿が見えなくなると、心配でたまらなく、あちこち探し回る。彼が情緒的に不安定な時は、苦労して彼を説得し、リサイクル活動に連れて行く。彼に福を大切にし、福を積むよう教えている。長年、呉さんは一度も諦めたことはなく、彼女はいつも「行動に移せばいいのです 」と言う。
(慈済月刊六五〇期より)