子供がペットを飼いたいとせがんだ時、どのようにして「飼う」というこの言葉の真の意味と生きている命に対して責任を負うことを理解してもらえるでしょうか?
答:どういうわけか、かなり多くの人は「ペットを飼う」ことに魅力を感じるようですが、私もその一人です。まずペットは可愛いですし、その上遊び相手や話し相手にもなるからです。
テレビでペットが飼い主に甘えている場面を見ると、思わず「私も飼いたい!」と大声をあげてしまいます。その時、私の夫はとても慎重にこう言います。「飼いたいと言うが、えさを与え、散歩に連れて行き、ワクチンの接種やシャンプー、グルーミング、そして病気になったら獣医に連れて行く時間はあるのか?それから寝床も清潔に保たなければいけない」。これらの問題を考えると、まるで頭上から冷たい水を浴びせられたようになり、願望はたちまち覚めてしまうのです。
子供がペットを飼いたいと言い出した時、先ずそういう問題を伝えるべきです。それによってペットの命を尊重し、飼うなら一切の責任を負わなければならないことを分からせましょう。こんなに多くの面倒な事があると聞くと、親に手伝ってもらうようねだるかもしれませんが、その時は絶対に妥協してはいけません。少しでも引いてしまうと、子供に責任を逃れる機会を与えてしまい、結果的にそれらは親の仕事になってしまいます。ですから、あらかじめ話し合って暗黙の了解の下に罰則まで作り、一つでも自分でしなければ罰せられるよう、決めておくのです。
多くの親は、子供のおねだりする、上目遣いの目付きに耐えきれず、ペットを買ってしまいます。そのため、子供はペットと遊ぶばかりで、責任を持って世話をしません。最初は可愛いと思っても直ぐに飽きてしまいます。それでは子供がペットを飼う責任感も生命を大切にする気持ちも育むことはできません。
笑いと涙の光陰
親友とその二人の子供は犬が大好きで、子供は犬の散歩やトイレの世話をし、ペット美容院にも親と一緒に行きます。犬が病気になった時、病院に連れて行って、親と交代で看病し、重篤になった時は犬のために祈っていました。往生した後は納骨堂に納め、今でも皆でよくお参りに行っています。全ての過程は、親だけで行うのではなく、子供も終始参加していました。それは、家族全員が犬に深い愛情を持っていたから出来たことです。
私の二人の子供は、学校の自然科学の授業で、蚕を飼育して、観察してレポ―トを書いたことがあります。その過程で、桑の葉をどのように洗って乾かし、取り換えたらいいかを教えました。そして蚕が繭を作り、蛾となって幼虫を生んで、往生するまで世話しました。蚕が死ぬと、ティッシュでそれを包み、植木鉢の中に葬って、蚕にさようならと声をかけました。
その頃、亀と魚も飼っていました。子供は家に帰ると直ぐにペットにあいさつして話しかけるのです。しかし、暫くすると、ペットが病気になり、子供はとても心配し、クラスメ―トと一緒に、どう世話すればいいのかを相談しました。子供たちは丁寧に水槽を洗い、一週間に一回、亀を日光浴させましたが、それでもその小さな命を救うことができず、さようならを言うしかありませんでした。子供たちは小さな顔いっぱいに悲しみを湛え、それ以降、二度とペットを飼いたい、と言わなくなりました。
買う代わりに里親になる
親子で話し合った結果、やはりペットを飼うと決めたのであれば、子供の年齢に合わせて動物を選ぶことを勧めます。子供が幼い時は先ず小動物を飼いましょう。例えば魚、亀…世話が少なくて済みます。少し大きくなってから初めて猫や犬を飼うといいでしょう。できるだけ、買う代わりに里親になり、多くの飼い主のいない動物に心温まる家庭を見つけてあげることです。或いは、最初に「動物中途之家(保護犬・保護猫の収容保護・譲渡施設)」でボランティアとなって世話すれば、愛の奉仕を学ぶだけでなく、動物の世話を経験することができます。その後でペットを飼うかどうかを考えれば、子供はそのプロセスの中で生命を尊重する意義を学ぶことができるのです。
(慈済月刊六四二期より)