チベットの子供に寄り添う|脊柱側弯症の子供が「体を翻す」
ニマさんは故郷の四川省カンゼ・チベット族自治州を離れて八百キロ離れた省都の成都市に到着し、電車を降りると直ぐ四一六… Read More »
学ぶことと悟ること
無明に染まると、天災や人災を引き起こします。
人間(じんかん)で心を修め、怠けず精進しましょう。
空の中に真実の有… Read More »
もっと福を造り、禍転じて福とする
今回の地震は、私たちに苦、空、無常を教えくれました。
遭遇しても、過ぎたことを喜び、心から感謝するのです。
平安で… Read More »
五月の出来事
05・01
慈済基金会は、ブータン・ギャリュム慈善信託基金の下部組織であるリニュー(RENEW)のために、首都にあ… Read More »
熱い地球|国連環境総会に出席 菜食とプラスチック使用削減の推進
経過 慈済基金会は二〇〇三年に国連NGOの協力メンバーとなり、二〇一九年には国連環境計画(UNEP)のオブザーバ… Read More »
貸そうか、止めようか?
問:クラスメートがお金を貸してほしいと言いました。
貸さない方がいいのでしょうか?… Read More »
国境なき愛
花蓮本部で毎月一回、慈済志業計画推進委員会が開かれるが、二月二十九日は世界中の慈済ボランティアとオンラインで分かち… Read More »
愛ある商店が台湾を幸福で満たす
慈済は今年の五月で創立五十八周年を迎え、その間、人道支援は百三十三の国と地域に亘って行われてきた。以前と変わらない… Read More »
修行者の本分
法器を打ち鳴らしながら、大衆を導いて朗誦するのは、修行者の本分である。勤めて学ぶことと集中することは修行の不二法門… Read More »
被災後の新たな人生|全てを失ってから マイカーとマイホームを持てるようになるまで
メキシコーク:二〇一七年の地震の後、現地ボランティアが大勢出現した。彼らは二〇二三年のオーティス風災の時に災害支援… Read More »
愛ある商店─コミュニティで善が集まる所
台湾全土で二万軒の店や屋台が参加する「愛ある商店」活動。
店頭に置かれた小さな竹筒に硬貨の音が響く時、そこに良縁が… Read More »
慈済の世界観
持っているだけの力で奉仕するのではなく、
誠心誠意発願して果敢に責任を担い、
世の人に利他するよう呼びかけましょう… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
今月の特集
世界に目を向ける
特集
證厳上人のお諭し
聞・思・修
親と子と教師、三者の本音
元気に歳を取る
行脚の軌跡
五月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。