チベットの子供に寄り添う|脊柱側弯症の子供が「体を翻す」

発端:慈済が青海省玉樹チベット族自治州にある熱哇(ローワ)慈善会と協力して「チベット族の子供に寄り添う」プロジェクトに取り組み、チベット地域の子供たちを対象に、脊柱側弯症や先天性股関節脱臼、先天性心疾患の無料検査と治療を行った。

経費:中国慈済基金会が現地で資金を募った。

統計:過去五年間で、脊柱側弯症を患う二百人以上のチベット族の子供に寄り添った。

ニマさんは故郷の四川省カンゼ・チベット族自治州を離れて八百キロ離れた省都の成都市に到着し、電車を降りると直ぐ四一六病院に向かった。二十歳になる彼は、身長わずか百四十五センチで、重度の脊柱側弯症患者だった。

脊柱側弯症とは、脊椎が様々な頻度に曲がっていたり、 S字型で側弯したりしている状態を指す。原因は不明で、医学界の統計によると、発生頻度は約三%で、ニマさんはその百人のうちの一人なのだ。矯正手術後、頭と腰に嵌めた金属製のリングを体の前後左右の四本の支柱に固定し、頭のリングを牽引することで、脊柱の捻れが徐々に改善されるのだ。医療スタッフは彼らに「テレタビーズ」(注)という可愛い名前を付けた。

(注)BBC放送の幼児向け番組に出てくるキャラクター。

ニマさんは肺活量を鍛えるために、毎日二回、十五階まで階段を登らなければならなかった。寝る時はいつも、父親のタポさんの助けを借りてやっと、横になれるのだ。入院してから九カ月の間に矯正手術を三回受けたことで、徐々に真直ぐに立てるようになり、身長も百六十五センチに伸び、やがてリハビリの保護具を着用するだけでよくなった。彼が最も感じたのは「呼吸が苦しくなくなったことです!」。

タポさんによると、子供は生まれた時、既に側弯していて、年を重ねるにつれて酷くなったので、死んでしまうのではないかと心配したそうだ。では、なぜ二十歳になるまで矯正治療を受けなかったのか。

医療スタッフはチベット自治区に入って簡易検査を実施し、子供たちの脊柱側弯症の状況を調査した。(写真提供・花蓮本会)

情報不足が治療に支障をきたした

熱哇慈善会は、長年に亘って脊柱側弯症のチベット族少年の医療に奔走してきた。会長のゲティン・プンツォさんによると、チベット族の村落は、子供たちの成長における健康意識が低く、医療情報が入らないうえに、先進医療からもかけ離れていたため、適時に治療を受けられなかったのが原因だそうだ。

もし全く治療しなければ、時間の経過と共に胸郭も変形し、神経が圧迫されたり、心肺機能に影響したり、更には呼吸不全を引き起こすこともある。平均生存年齢は四十五歳と言われている。早期発見と矯正治療が非常に重要で、手術の効果が最も良く、リハビリも順調にいき、費用負担も大幅に軽減できるのである。

北京と成都に重度の側弯症患者を治療する専門病院が三つある。熱哇慈善会は医療、慈善などの資源と結び付け、定期的に専門医を青蔵高原に招いて、側弯のスクリーニングの実施と治療を手配している。北京朝陽病院の整形外科医である周立仁(ヅォウ・リーレン)医師はこう言う。

「チベット族は側弯症について知識がなく、どこに行ったら治療できるのかも知りません。ですから私たちは、どんなに遠くても僻地に出向いて、側弯症の患者を見つけなければならないのです」。

或る患者家族は病状に対して理解が不足していたため、医師が何度も訪問して、ようやく説得に応じ、治療を受けたというケースもあった。

二〇一九年、四川省成都市の慈済ボランティアは熱哇慈善会を通じて、初めて隣りの青海省のチベット族の患者に会うことができた。標高三、四千メートルの高原で、医療資源の不足や間違った知識、または経済的な理由などによって、その一生が左右されるかもしれない若者を見るに忍びなかったため、個別案件ケアチームを立ち上げ、熱哇慈善会の「チベットの子供に寄り添う」プロジェクトに参加した。それは、これら青少年たちの長くて治療費が高い、「体を翻す」ための治療の道への寄り添いであった。

しかし、慈済ボランティアにとって、今回の旅自体が大変な挑戦であった。平均標高が海抜五百メートルの成都市から標高四千二百メートルにある青海省玉樹自治州に入ると、起こるであろう「高山病」を避けるために、歩行や階段の上り下りに注意を払った。医師は、酸素吸入しながら検査することもあった。

簡易検査の後、熱哇慈善会は、手術が必要な患者を山から下ろす手配をした。普通、比較的重度の側弯症患者は、矯正に数回の手術が必要になることが多く、治療期間は半年から一年掛かるかもしれない。日本円で五百万以上の高額な医療費は、一部は政府からの補助金でまかない、一部は慈済が支援した。患者が入院している間、看病する家族に不便なことがあればボランティアが手を差し伸べた。

四川省成都市の四一六病院で、ボランティアたちは「テレタビーズ」の髪のシャンプーを手伝った。(撮影・邊静)

長期入院 異郷での拠り所

二〇一九年八月二十六日、一回目の治療患者であるニマさんも含めた三人は、家族の付き添いの下に成都に到着した。過去五年間で最も患者が多かった昨年の十月二十三日は、脊柱側弯症患者十三人とその家族、ボランティア計三十九人で、チベットから昼夜兼行で旅路を急ぎ、三十六時間汽車に乗ってやっと着いたのである。

慈済ボランティアの付き添いは、駅の出迎えから始まり、できる限り早く彼らの心身を落ち着かせるようにした。四川省西部、青海省またはチベット出身にしろ、多くの患者と家族は初めて成都に来たため、ボランティアは心を込めてチベット茶と茶菓子を用意した。続いて入院手続きをして、洗面用具やバケツなどの日用品も病室に届け、季節の変化に伴って適切な衣服を提供した。頭を固定されていると、患者はシャンプーをするのがとても不便なので、ボランティアは歯ブラシ、スポンジ、タオルなどを用意し、丁寧に頭を洗ってあげた。チベット族の食生活は漢民族と異なり、ほとんどの家族は共同でアパートを借りて小さなキッチンで食事の準備をした。ボランティアは、彼らの負担を軽減するために、家から調理器具を持ってきて提供した。

ボランティアの紀亜紅(ジー・ヤーホン)さんによると、一部学校に通っている子供は中国語がある程度分かるが、付き添っている親たちは全く通じないという。言語、文化、生活習慣の違いは、医療費や地理的な距離よりも、もっと治療における大きな障害となっている。

「医療スタッフとのコミュニケーションや協力の面でも、誰かの助けが必要なのです!」。

ボランティアは、毎週火曜日に病院へ見舞いに行った。コロナ禍の時も休まず、長期入院での様々な問題を支援した。子供たちは病気で学校に行けないため、ボランティアが付き添って、勉強と中国語を教えた。家族は故郷のお年寄りを気にかけて落ち込んだ時は、ボランティアが話を聞いて慰めたり、温かいスープや水餃子を作ったりして元気付けた。子供たちが痛みで機嫌を悪くした時は、感謝の気持ちを持って、積極的に治療に協力するよう導いた。

患者の中の何人かは出家しており、ゲディン・プンツォ会長は次のようにボランティアに説明した。宗教の教えから、多くのチベット人は、重い病気は「前世からの因果」だと思っている。「業を解消すれば、病気の痛みや苦しみが軽減する」という考えから、先天性疾患や身体障害の子供をお寺に入れたり、出家させたりしているのだそうだ。

僧侶のバザンさんは、三十歳になって初めて矯正を受けたので、治療の過程もかなり大変だったそうだ。他の人のように歩いて退院することができず、退院後一年間、リハビリを続けて、ようやく歩けるようになった。ボランティアの王琳(ワン・リン)さんは、バザンさんの手術服の着替えを手伝った時、側弯症という病気に対して切実に感じたという。

「脊椎がねじれて変形した様子を目にして、かなりショックを受けました。こういう治療は、彼らにとって本当に必要なのです」。子供たちが無事に退院した時、ボランティアたちは親に劣らず嬉しく思った。

慈済と熱哇慈善会は、先天性心疾患と先天性股関節脱臼などを患うチベット族の青少年を調査し、緊急に治療が必要な子供たちが、成都、西寧、北京などの病院で治療を受けられるよう支援し、それらの都市では、全て現地の慈済ボランティアが付き添った。

ところで、ニマさんは今どうしているだろうか?彼は健康を取り戻した後、成都に残って仕事に就いている。新たな患者が病院に来るたびに、ボランティアとして通訳や入院手続きの手伝いに来ている。一年間の治療経験を活かして、背筋を伸ばして立ち上がる可能性が見えるまで、患者に寄り添っている。チベット語の「熱哇」とは、「希望」を意味している。

(慈済月刊六八九期より)

    キーワード :