もっと福を造り、禍転じて福とする

(絵・陳九熹)

今回の地震は、私たちに苦、空、無常を教えくれました。
遭遇しても、過ぎたことを喜び、心から感謝するのです。
平安で、まだ世のために奉仕できることに感謝しましょう。
生命に対しても覚悟が必要で、無常について「真剣に」考え、時を無駄にしてはなりません。

「この世は無常で、国土は脆い」と言います。四月三日、一瞬にして天地が揺らぎ、マグニチュード七‧二の強い地震が発生し、本当に恐ろしく感じました。プレートが動くと、踏みしめている地面も動き、大地はあたかも豆腐のように揺れました。山は裂け、岩が崩れ落ち、どこもしっかりした所はありません。大自然の威力は恐るべきものであり、人間は実に小さいものです。ですから、自分には力があり、偉いので、怖いものはないと思ったりしてはいけません。大自然を畏れ敬い、警戒心を高めて、敬虔に祈るべきです。

ニュースを見ると、多くの人が、家具が移動したり、倒れたりして怖い思いをしていました。慈済人の家でも同じ状況だったはずですが、衆生を最優先にし、直ちに訪問ケアと配付活動に投入しました。このような慈済の菩薩に感謝すると共に、愛おしみ、尊敬しています。皆さんもこの縁を大切にし、お互いに関心を寄せ合いましょう。特に高齢の慈済人や独居、または老老介護の法縁者に対して、近くに住んでいる慈済人が訪ねて地震後の状況を理解し、家の整理整頓などを手伝ってあげましょう。人は老い、家は古くなるため、地域に生活の支援が必要な家庭があるかどうか、密に訪問して関心を寄せ、どうすれば安心して暮らせるかを考えるのです。

今回の地震は私たちへの説法であり、苦、空、無常について教えています。遭遇したら、過ぎたことを喜び、心から感謝するのです。平穏無事であること、世のためにまだ奉仕できることに感謝しましょう。生命に対して覚悟が必要であり、無常について「真剣に」考えなければなりません。人間(じんかん)には生、老、病、死があり、どんなに愛している肉親も親しい友人も、いつか離別する日が訪れます。ですから、一緒に過ごせる時間を大切にし、愛され、大切にされている時間に対して、心から感謝しなければなりません。

地震の後も、体に感じる余震が続いています。専門家によると、大地が自ら調整を行っており、まだ安定していないそうです。私たちは注意を怠ってはいけませんが、心を落ち着けることが大切です。大きな出来事は発生しましたが、今、最も重要なのは、人手と愛と情を募ることです。「覚有情」とは菩薩のことであり、人間(じんかん)菩薩を募り、情を結集させれば、苦しんでいる人が必要としている時に直ちに支援できるのです。募金するだけでなく、機会を逃さず教育し、愛の心を啓発しなければなりません。

人類が共に暮らす天地の間には、天の気、地の気、人の機嫌が、少しずつ蓄積して衆生の共業を作っています。もし悪の方が多ければ、善は弱くなります。誰もが敬虔な心で以て、善に向かって人間(じんかん)に幸福をもたらさなければなりません。愛が多く、善行することが普遍的になり、善の力が強くなれば、自然と「吉祥の気(流れ)」が生まれるのです。もっと福を造れば、災いは吉祥に変わり、常に平安でいることができます。

諸悪を行わず、人々が善行して奉仕するよう、仏陀は教えています。では善行はどこから始めればよいのでしょうか?衆生を愛護し、お互いの智慧を愛おしむのです。命は両親から授かったものですから、両親に感謝しなければなりません。仏陀が人間(じんかん)に来て衆生を済度し、私たちに仏法の真諦を教えてくれたことに感謝しましょう。また、衆生にも感謝すべきです。なぜなら、仏法を学んで悟りを開こうとしても、群衆と接することがなければ、成仏する因縁に恵まれず、苦しんでいる人がいなければ、菩薩の道を究めることはできないからです。

最近「学」と「覚」について話していますが、学ぶことに終わりはなく、幾つになっても同じです。赤子のように清らかで単純な心を保ち、奉仕しながら学び、学ぶうちに目覚めるのです。修行する時、絶えず精を出し、心から仏法を受け入れ、感動すれば直ちに行動に移すのです。奉仕の力が大きければ、人を感動させて、その人生を変えることもでき、真の法悦を感じ取ります。これは修行での真骨頂でもあるのです。

慈済は間もなく六十年を迎えます。一日五十銭の貯金で人助けを始めてから今に至るまで、一路着実に寸分の差もなく歩んで来ました。このことは、私の人生における大きな慰めであり、称賛です。世界地図を手に取ると、慈済人が様々な国に滞在し、どこかで誰かが支援を必要としていれば、直ちに自分の功能を発揮しています。菩薩は人間(じんかん)にいます。これも私の生涯において、最も価値のあることだと思っています。これまで長い道のりを歩んできましたが、今も私たちは存在しているのですから、時間を無駄にせず、もっと心有る人たちに呼びかけ、良い因縁を積み重ねなければなりません。衆生と仏の間にあるのが菩薩道で、成仏するために通らなければならない道です。皆さん、心して精進し、決して放逸してはいけません。

(慈済月刊六九〇期より)

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