経過:慈済基金会は二〇〇三年に国連NGOの協力メンバーとなり、二〇一九年には国連環境計画(UNEP)のオブザーバーとなった。また、二〇二三年から二〇二五年にかけての国連環境計画により、信仰に基づく組織の女性委員会及び青年委員会メンバーにも任命された。
二〇二四年二月二十六日から三月一日にかけて、第六回国連環境総会(UNEA6)が、東アフリカの国ケニアの首都ナイロビで開催され、国連加盟国の百九十三カ国が代表を派遣した。慈済は国連環境計画のオブザーバーとして、会議には慈済アメリカ総支部の曽慈慧(ヅン・ツ―フェイ)執行長と慈済のグローバル協力事務発展室スタッフの凃君曄(トゥ・ジュンイェ)さんが代表で出席した。
曽さんは、今回の参加者は明らかに若くなっていることに気づいた。「七千人余りの参加者のうち、六割以上が三十歳以下の若者でした」。その他、これまでは国や有力団体が主導して意見を述べていたが、今回は特に各会議で女性と若者、宗教団体のための席が用意されてあり、あらゆるグループが環境会議で発言できるようになっていた。
曽さんは説明を付け加えた。「より多くの女性や少数派グループ、障害者、先住民など立場の弱い人の声が取り上げられ、理解されれば、各国が環境規制の策定や環境政策を実施する時、より包括的になるのです」。
今年の総会のテーマは、気候変動、生物の多様性の喪失、環境汚染という地球の「三重危機」に焦点を当てた。慈済は事前に準備して、「循環経済」のシンポジウムにおいて、環境保護と慈善の理念を結合した、リサイクルしたペットボトルによる災害支援物資の再生及び近年注目されている「エコ福祉用具プラットフォーム」などについてシェアした。
二〇一九年初めてケニア・ナイロビで国連環境総会に参加した時に比べると、今回もナイロビであるが、会場には使い捨てプラスチック製品が全く見当たらず、食事もベジタリアン食の選択肢が大幅に増えた。これは慈済と多くの環境保護団体の呼びかけが共鳴を得た証と言える。「慈済が長年にわたって様々な機会に繰り返し推し進めてきたことで、多くの人の心に留まり、新たな取り組みと支持が生まれたのでしょう」と、曽さんは、この方向性は努力を続けるに値するものだと断言した。
五年前に訪れたゴミ山スラム街のキベラとダンドラを、今回も再び訪れた。ナイロビの中心部から僅か十キロしか離れていないこの場所は、アフリカ最大級のゴミ捨て場であり、 一日あたり三千トンのペースで蓄積され続けている。その多くがケニアに輸入された「ファーストファッション」の古着で、人々の日常的なニーズを遥かに超えた量である。深刻な環境問題になっており、今回の国連環境総会では議題の一つにまでなった。
ケニア政府と国連は、スラム街の整理と移住計画を何度も進めて来ており、政府による国民住宅は次々とできて来ている。貧困層の月収は三千ケニアシリング(約三千五百円)であるため、二万から四万シリングの家賃を負担するのは困難で、生活は現状維持が精一杯である。「しかし、生活に変化があったかと問われれば、あったと答えます。二〇一九年に訪問した時は、本当に怖い思いをしました。道を行くと、両サイドは全部ゴミに囲まれていましたが、今はそれほど高く積まれていません」と曽さんが言った。
セッションの合間に、彼女たちは南スーダンの聖バキタ女子小学校の教師代表らと交流し、学校の運営や慈済の食糧支援の成果について理解を深めた。アフリカで最も若い国である南スーダンは、長年の内戦と気候変動で打撃を受け、七百万人余りが食糧危機に直面している。その学校は南スーダンで唯一の女子校であり、多くの少女が安心して教育を受けられ、また貧困家庭で児童婚を強いられる運命から逃れられるよう守っているのである。校長のシスター・ジェーン・マシコ氏は、證厳法師に感謝の意を伝えてほしい、と慈済の代表者に託した。
「法師様の慈悲は、まるで母親の愛と同じです。子供たちは毎日学校に通い、充分な食事と勉強をすることができるのです。母親のように彼らを愛してくれていることに感謝を申し上げます!」。
(慈済月刊六八九期より)
会場の外では、少数派グループが環境の正当性を訴えていた。多様性を受け入れると同時に、少数派の意見に耳を傾けることが今回の総会の価値である。