お正月と春節、故郷を最も強く想いながら二つの文化を意識するこの時期は、日台でも受験シーズンと重なる。過ぎゆく一年の無事を支えてくれた人に感謝し、新しい年に家族それぞれが願いをかける気持ちを込めて、神仏に手を合わせるのは同じだが、台湾では家族に受験生がいる場合、普段から信仰している寺廟に子供の名前を書いた小さな灯りを奉納するのは、祖父母或いは両親の役目だ。本人は受験が近づくと、学問の神様である文昌公にお参りして力を貸してくれるようにお願いする。その時に「肉を食べませんから」と誓う人が多い。文昌公が乗っている牛に因んで牛肉を断つ人もいれば、野菜しか食べないと心に決める人もいる。甥っ子の場合は受験日まで一年間、肉類を食べずに過ごし、願いは叶った。台湾では菜食の習慣が、身近なことから根付いているのだと知って驚いたものだ。
神頼みでなくとも、ベジタリアン食に変えて体の調子が良くなった、精神的な強さが備わった、というコメントは、スポーツ界で広がりを見せている。きっかけはさまざまで、病気の症状改善のためでもあれば、疲労回復のためでもあり、また、スポーツ選手であると同時に、地球環境にも目を向けていきたいという考え方を持つようになったからでもあるそうだ。自分を高めていく時に、このような宣言をすると、家族やスタッフと交わす言葉も変わってくるだろうし、話し合う時間も充実するのだろう。そしてバランスよく栄養を摂ろうと積極的に食生活を見直したことが、自分を大切にする姿勢につながり、精神的に安定して自信にもつながる。冬季北京オリンピックで活躍された、フィギュアスケート・アイスダンス日本代表の小松原美里さんも、その一人だ。自身のSNSで試合の際に立ち寄ったおすすめのレストランや、移動の際に持参するお気に入りの食材を紹介している。最初は苦労もあったようだが、栄養について学び、アスリート有志のSNSグループとの出会いに支えられながら、自分に合った食べ方を見つけていったのだそうだ。
小松原選手は「日本ではヴイーガンとして暮らすことに理解が得づらい」と語っているが、実は昨年行われた東京オリンピックでも、選手村の食事について心配の声が上がっていた。世界各国から来日する選手の食事習慣、特にハラール食、ヴイーガン食への認識が十分でないというものだ。幸いなことに、七百種類のメニューの中にはグルテンフリー・コーナーとベジタリアン・コーナーが設けられ、シェフたちが二十四時間体制でというプレッシャーを乗り越えて対応したおかげで、開催直後から好評を得ることができた。
日本の食文化史を振り返ってみると、六七四年天武天皇によって初めて肉食禁止令が公布されて以来、何度も肉食は禁じられてきた。そこには仏教の伝来が大きく影響している。仏教が国政と結びついた時代を経て、それは武士の精神にも取り入れられ、江戸時代になると庶民の生活を整えていった。明治時代には政教分離となったが、当時の医師であり薬剤師でもあった石塚左玄先生は著書『科学的食養長寿論』序文に「食よく人を養うも、また病を医す」と表し、西洋にかぶれただけの肉食を奨励する社会の流れとは一線を画した。一九二八年に桜沢如一先生がその「食養」という哲学をもとに、長寿法とも言われる「マクロビオティック」という思想を提唱した。その「陰陽調和」、「身土不二(しんどふに・地元の旬の食物)」、「一物全体(いちぶつぜんたい・食材丸ごと使用)」という理念には、自然と調和して「中庸」を大切にし、健康な生活を送るという日本古来の民族性が息づいている。
コロナ禍でおうち時間が生まれ、自宅での食事を見直している人も増えている。テレビの料理番組は、少ない食材でおいしく食べるメニューに変わっている。食べるものがないと言って悩むのではなく、手に入りやすい季節の野菜を「選んで食べる」と食生活も活気に溢れる。その習慣は、外でもベジタリアン食を自然に求めることにつながっていくはずだ。先に述べた小松原さんが京都で立ち寄ったというベジタリアン・カフェは、台湾素食(菜食のこと)を取り入れたお店だ。日本に語学留学された台湾人のオーナーは、誰にでも菜食の素晴らしさを知ってもらいたい、という一心でオープンしたのだという。日台の往来が自由になった時には、ぜひ訪れてみたいものだ。日本の街角でもベジタリアン食が増えてほしいと願う。