心の蓮は再び花開く

編集者の言葉

慈済とTSMC、鴻海永齢基金会が共同で購入して政府に寄付するBNT社製新型コロナウイルスワクチン千五百万回分が順次、台湾に到着し、ワクチン不足の緊張が緩和された。

ワクチンの購入と寄贈は実際、慈済の力量を超えたものであったが、證厳法師は困難を恐れず、一貫した信念を持ち続けた。「お金がどこにあるのかは知りませんが、愛がどこにあるかは分かっています」。多くの実業家が相次いで護持し、全世界の慈済ボランティアもチャリティーバザーを開いて愛の募金を募った。その中で最も際立ったのが「心蓮を売る」活動だった。

「心蓮を売る」という義挙は、一九八六年に花蓮慈済病院が落成した時にさかのぼる。それは、楽生療養院のハンセン病患者が発起したもので、無形の「心蓮(心の蓮華)」一輪が一万元であったが、入所者の間で百万元余りを募って病院建設に寄付したため、社会で次々に呼応する人が現れた。

今期の特別報道の中でも紹介しているが、花蓮静思堂で道場を清潔に保つことを発心した、平均年齢が六十歳を超えた「福田ボランティア」が、百輪の心蓮を募ってワクチン購入の支援に力を注いだ。彼女らの中には収入がない人や社会的弱者のお年寄りも含まれている。その多くは苦労した人生を歩んで来ており、節約して貯めたわずかなお金であったり、親戚や友人を誘ったりして、善行の心願を達成した。

新北市のある慈済ボランティアは、家族が次々に感染し、本人も一度は重症患者用ICUで治療を受けて慌てたが、その時、つくづく感染の恐ろしさが身に染みて、早急なワクチン接種の必要性を感じ、病床で百万元の寄付を発願した。ブルーカラー職種の労働者である夫と彼女が一生働いて貯めたお金だったが、彼女は、「もし、そのお金をこの時に使わなければ、きっと後悔するでしょう」、そして「幸い無事に退院できたので、まだ間に合います」と言った。

證厳法師はいつも「蛍」を喩えにして開示している。「一人の力は僅かでも、それが集まれば暗い夜を明るく照らす光になることができます」。善行の源は世間の衆生に対する真心からの愛と自らの生命に対する信念から来ており、この信念はどの宗教においても普遍的に存在するものである。

印順導師の著書『妙雲集・下』第六部「私の宗教観」の一節にこう書かれている。「宗教の本質は人と神の関係ではなく、それは人生の中で苦難を経た後に、宗教の形で究極の清浄な理想に達することを願うものであり、そのためには修行と実践によって自らを高めることから始めなければならない」。

哲学者の傳佩栄(フー・ペイロン)氏によると、人の尊さは、運命の良し悪しに関わらず、全ての生命に意義があり、自分には存在価値がある、と信じることが、即ち信仰である。追求し得る名利や権威は人生の意義を肯定するには十分でなく、最終的にすべてを放棄しなければならず、内なる精神の充実こそが生きる活力の源なのである。

年末年初に、今年度の認証を兼ねた歳末祝福会が各地で順次、開催された。コロナ禍の中で養成ボランティアが講座を修了した様子を紹介している。志を投入した初心は、自我を越えていくという理想でもあり、菩薩道を歩むうちに心の蓮が花開く法悦を感じ取ることになる。

(慈済月刊六六二期より)

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